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3月29日~4月2日  パイネ国立公園 




29日早朝 エルカラファテ7時半発のバスでチリのプエルトナタレスという町へ移動。パイネ国立公園への入り口にあたる場所である。
一泊してキャンプ道具のレンタル 食料の確保 公園の情報収集をする。


     外国人の間では “パイネに行くなら まずナタレスのErratic Rockへ行け”というのが常識になりつつある。


Erratic Rock とは ナタレスにあるホステル宿で、ツアーの手配、道具のレンタル等を行っているのだが、主人のBill氏はオレゴン出身のアメリカ人、パイネを愛し住み着いてしまったようで 毎日午後3時から無料でパイネ国立公園のレクチャーを開いている。最新情報、パイネの基本情報から用具の相談、トレッキングコースの相談まで行っている。誰でも参加可能。コーヒーを飲みながら約1時間の説明は聞いておいて損はない。是非、訪れることをお薦めする。

Erratic RockのHPへはここから

どーせなら そこに泊まりませう、ということで我々はErratic Rockに宿泊。ま、部屋は非常にシンプルで床板ギシギシ、かろうじて清潔、特記する事は朝食が美味かった、くらいか。。。? 値段はその割には高めである。なので宿泊はあまりオススメしない。公園行きのバスの送迎があるのと用具のレンタルが便利ではあるが、、、

さて、30日早朝 (もうここのところ毎日早朝。夜明け前の活動開始は当たり前になってしまった)、テントと寝袋、食料と調理器具を詰め込んで重くなったバックを担いで いざパイネへ。

約2時間で公園入り口。ここでぼったくりの入園料 35ドルを支払う。公園の地図付。なんとも高価な地図だこと。。。

我々は3泊の予定なので 途中を端折って30分フェリーに乗って湖の対岸へ。これまた高額なんですわ~~。ほとんど暴力団並みのフェリー代金22ドル。観光客泣かせのパイネですわい。


  

過去、デイハイクは沢山したものの テントと食料持参の本格的キャンプは実は初めての牛美。オートキャンプと違って全て自分の肩にかかっている。。。

 トレッキングというより 荷役?! と思う程 荷は重かった。。。
奴豚もさすがに「これはTransportだ」(荷運び業務)とこぼしていた。。。




景色が疲れを忘れさせてくれるひと時。







3日目は残念ながら天気くずれ、ハイライトであるパイネのタワー「トーレデパイネ」(空にそびえる三つの岩タワー)は雲に隠れていた。。。





麓のキャンプ場に下りて来て飲んだビールの美味だった事ったら、今回のキャンプでの一番!!!と思える感動の瞬間であった。。。 (俗な我々ですみません。。。)



パイネは出会いの場でもあった
キャンプ場は色々な国の色んな旅行者と逢い話をするには格好の場所。ありとあらゆる旅のスタイルがあった。
ヒッチハイクのみで移動している仏蘭西人カップル、自転車で5年も旅行中のオーストラリアの夫婦、日本女性の一人旅も多かった。ニュージーランドの夫婦からは牛美が毒虫に刺されて顔半分が腫れてしまった時に薬を貰った。



チャリダーYS氏、ウシュアイアに向けてさらにペダルを漕ぐ。

身体に気をつけて素晴らしい旅を! その姿を見るだけで泣けてしまいそうなほとんど母の気持ちの牛美であった。 







皆さん 無事に旅を続けて下さい!!  

また何処かで会いましょう!






(ブログのアップがリアルタイムに追いつかずにいる。
現在地はペルーだ。これからマチュピチュへ向かうところなり。)





  国境を越え

     ようこそチリへの垂れ幕の下をくぐる。




     チリ側はこんな感じだった。


この青い屋根の向こう側には ダイナミックなヘアピン27曲がりの急勾配が待っていた。





いろは坂が正座してひれ伏しそうなほど、スケールの大きな山越え(下り)であった。













下まで下ってしまうと柔らかく広がった景色になる。


 快晴、気持ちの良いドライブ。

 快調にとばしてサンチアゴ着14時。



Air B&B 宿オーナーとは16時の約束だったので、アパートの1階綺麗なロビーでしばし待つ。

我々のスペイン語とオーナーの彼の英語力はほぼ同じ程度だったがなんとかわかり合う事が出来、快適な三日間を過ごさせて貰った。
ただ、独身で単身、気ままな暮らしの様子、台所には汚れた皿が積み上げてあったし部屋の掃除もいまひとつであった。ま、男の子ってこんなもんなんだろうなぁ。部屋の設備には文句なし。ベッドも快適だった。




サンチアゴのハロウィーンハッシュ


10月28日、メンドーサではワイナリーラン"camino de VINO"が開催されていた。メドックの真似でミニマラソンだったのだが、タイムリーにそこに居られたにもかかわらず、それを走らずサンチアゴへ来たには ワケがあった。

     なんのこたぁないHHH があったからである。

          


サンチアゴのハロウィンハッシュ。
28日午後4時集合に合わせてやってきた。


ハロウィンハッシュだからそれらしい何らかのコスチュームで参加せよとの指示だったので、通りの露店で安いコスチュームを用意。
4時集合、自己紹介して着替えて準備中の面々。

   


走る前に準備体操の可笑しな踊りがあったのは初めてである。

        

さて、走るメンバー、歩くメンバーに分かれてスタート。街中をONON(オンオン)と大声を出しながら、変なコスチューム集団が駆け抜けるので目立つ事…。
駆け抜ける我々は一瞬で済むが歩きのメンバー達はかなり受けていたらしい。泣き出す子供や怖がって吠える犬達とか。


ローカルメンバーは麦酒に重きを置いているらしく走る速度がかなりのんびりだったので、我々が初参加の若い娘さん達を引っ張って先行。

      

ハッシュの走り方、コースの見つけ方、後方への連絡方法を伝授、(偉そ~~)「これって凄く楽しい~」と喜ぶアメリカ出身の若人数名と先頭を競いながら約9キロのコースを一番でゴール。



アイリッシュパブ(いつもアイリッシュパブと決まっている)の裏に集まり 円陣を組んでお決まりの儀式開始。


今回は初参加が多く、我々含めビジター組も多く大人数だった。

          


先日もちょいと触れたが、ハッシュにおNEWのシューズで行ってはいけない訳は…

    靴に並々注がれるビールを飲み干さねばいけない罰則があるのである。

牛美も一度 サンタクルーズハッシュで飲まされたのだった。。。
もちろんビール臭くなるし濡れたまま帰宅せねばならぬのね。。。
下ろしたてじゃないよといくら言っても当然聞いてはもらえない。



        

会合後はパブへ移動して、テーブルを囲み 各自夕食をオーダーし、馬鹿話から真剣な話、文化交流やらビジネスの話等々をしながら夜がふけていった。

        


次回サンチアゴに戻ったらまた参加する予定である。





21、22日 ペルーのリマにチラッと寄ってから。。。

23日チリのサンチアゴに舞い戻る。

24日、懲りずに ハッシュランに参加。



       今回は サンクスギビング ハッシュ 也。


町の中心から地下鉄に乗り、郊外でバスに乗り換えて さらにずっと郊外へ。。。 
         結構遠いぞ。。。  山が迫ってきた。

         メンバーのお宅が会場。広い庭だった。


さて、お決まりのサインの説明とサンチアゴ特有準備体操も済み 走りに出る。



       夕方4時半というのに 日差しが強く 暑いこと。。
               木陰を選んで走る。



以前も言ったが、サンチアゴハッシュの面子は ビールに重きを置いているので ランナーは少なく、皆さんゆっくり走る。。 ので、奴豚とワンツーフィニッシュを飾る。


ウォーカーグループは暑さに負けて 近道をして先に戻り、すでに飲み始めていた。。。 




輪を囲み会合開始。
なんだかんだと理由をつけて 皆それぞれ駆りだされ ビールを振る舞われる。

お酒に弱い人は 次第にろれつが回り辛くなる。
  (ハッシュでは当たり前の光景)


本日はメンバーのハッシュ名 命名の洗礼が三人あって、皆で名前のアイディアを絞る。

名前はもちろんふざけたお可笑しな名でなければならぬ。

名前が決まり、小麦粉とビールで洗礼を受けるメンバー達。(決していじめではありません)
   


       

皆で持ち寄った食材でバーベキューが始まる。

つまみ、サラダ、フルーツ、デザート、ワイン等々 何でもありだった。ちなみに我々が持ち込んだのはチキンの丸焼き。

次第に日暮れて キャンドルの明かりのなか 宴は延々と続いた。








   次回のクリスマスハッシュまで 

        サンチアゴのHHHの皆様、お元気で!







11月26日、チリのサンチアゴからバスで約2時間(実際は1時間45分)、海沿いリゾート“ビーニャ・デル・マーレ”に来たのは、12月2日開催のコスタルマラソンを走るため。

なんだがーーー、

到着翌朝 奴豚と些細な事で大喧嘩。気分悪いったらありゃしないと不貞腐れていたらその夜 速攻風邪を引き、以来、風邪薬服用 + ビタミンC + のど飴舐め舐め、お陰で舌が麻痺してモノの味が分からない。何を食べても同じ味、食欲もわかない。
不思議なものだ…どれも同じ味だと食欲ってやつは出てこないもんなんだー、妙に感心してしまった。

走る準備が出来ていないうえに風邪、多分完走は無理だと思うが、、、
準備せずにフルマラソン走るなかれ、と以前のブログで書いた。その通り、どんな目に遭うかは分かっているのだが、、、、、痛ーい思いをしたボストン

……気が済むまで走ってきます。



    コスタル-パシフィコ-ヴィニャ-デルマール マラソン



12月2日 レニャカからバスで42.195キロ離れたスタート地点へ行き、そこから戻ってくるフルマラソン





       「えぇ。 充分、気がすみましたとも」
                                (長文でっせ)





       まずはマラソン前日のゼッケンピックアップ、エキスポの模様
         
                                 無料パスタサービス。

前夜スタートのサンチアゴ-バルパレソ130キロウルトラマラソン中に ランナー集団に車が突っ込み3名死亡、5名意識不明の重傷という痛ましいアクシデントが起こった直後で、エキスポ会場内は少し沈んでいた。



起床3時45分。夏のビニャデルマールの週末はお祭り騒ぎ。
当然、夜通し音楽が鳴り響いていたので睡眠はイマイチ。(風邪のお陰で散々寝たからいいんだけど)

午前5時半、用意されたバスでスタート地点に向かう。
ビニャからバスの出るレニャカまでは自分達で行かねばならぬのでエキスポで知り合ったアメリカ人女性とタクシーを割り勘。四人で記念写真。



コースはワインディング、ローリングヒル、くねくねアップダウンの郊外の道をひたすら30キロ走ると やっとコースト(海岸に出る)。

とても気持ちのよい 素晴らしいコースだった。

もちろん 走り甲斐の充分あるコース。




        
       スタート直前(左)     と   多分最初の給水5キロ地点(右)


給水は5キロ毎。沿道の応援はほとんどなし。CONCONコンコンという町に入るまで民家はほぼゼロ。
        




タクシーをシェアしたアメリカンガールは奴豚と一緒に軽快なステップ。3時間42分がベストタイムという彼女、このマラソンではサブ4を目指して力走中。

もう一人の女性は 今回3分30秒走り30秒歩くというパターンを最後迄続ける作戦。足へのダメージが少ないそうだ。サブ5狙い。

余程強い気持ちでいないと 歩いた後に走り出すのが辛くなりそうだと思うが、特に終盤、牛美には合わなさそうな作戦。…う~む。どうせあとで抜かされるだろうが。


      
     牛美も15キロあたりまでは身も心も軽くリズミカルに刻んでいた。

100キロ走るとしたらきっとこんなペースでスタートするんじゃないかな?と勝手に想像してゆっくりながらも順調であった。

         



   ハーフ通過ゲート。

まだ元気で、手元の時計では2時間24分だったかな?それほどひどくないじゃん。
だいたい、このあたりで予想終了タイムは想像ついた。

  まだまだ気がすみませんよ、これからこれから。


      

コスタル(海沿い)パシフィックとはいっても、海に出会えるのは30キロ過ぎだ。

長い砂丘の壁を越すとやっと待ちに待った南太平洋が視界に飛びこんでくる。
ここ迄いくつもの丘を超えカーブを曲がり、あの先は海かな?まだかな? ……。と期待して、、、
      海が見える迄、、、と頑張ってきたんだ。
   
         待ってたよ、海。 爽やかで清々しく嬉しい。




全身を優しく冷やす海風にそっと押されながら、重い足を引きずる。

   ペリカンが沢山






コンコンの小さい街並は止まらずなんとか通過。

歩いてるんだか走ってるんだか大差ない速度だと 道行く人も応援して良いもんか、黙ってやり過ごした方がいいのか、気の毒そうな表情の人達の前を黙って靴を引きずる音をズリズリたてて通り過ぎる。



35キロを過ぎ、止まってストレッチしていると背後から助っ人現る。。。

気が済んだわけではなく、そ~と~足にきていたのでストレッチでもしてみるかぁと思ったのだが、背の高い中年の男性が「バモスバモス(ほれ、行こうや)」と促してくれたのだ。「はぁー、ま、ぼちぼちいきまんがな。」と笑顔でやり過ごそうと思うものの、セニョールは振り向いて手招きをやめないので、すまなくなって走り出した。

      
   この灯台も(左)この入江も(右)セニョールの背中を追いながら超えてきた。

ゼッケンをつけていなかったので バンディット(飛び入り参加)か、朝のジョギング中だったのか、35キロから40キロ地点まで 後ろの牛美を振り返りながら、時折 水を差し出してくれながら、ゴールはあの突端を回った先だよ、あと数キロだよと 手招きをして 伴走してくれた。



40キロ、なんとかここ迄来たなぁ。

気温高く、快晴の空は澄み高く、海風は爽やかに涼しく、なんて素晴らしい日曜日だろう。

ここまで来たからには 行くしかないっしょ、と それを察したのか、伴走のセニョールは指を二本立てて、二キロという意味だったのか ピ-スサインだったのか… 爽やかに笑って牛美の背を押し何処かへ去って行った…



   アザラシ達の声が響いてくる

なんと12キロも足を引きずってきたんだ。
トレーニングなしで どこまで走れるかと楽しみにスタートしたわけだが、ハーフなら問題なく走れても、やはりフルはいかんね。
予想通り 足がついてこなかった。不思議と辛いとは思わなかった。気が済むまで走ろうという思いが常に気持ちを上向きにしてくれた。


      

その頃 奴豚は ずっと前にフィニッシュして、海岸へ行ったりランナー達と話したり、メダル係りの綺麗なお嬢さん達と写真撮ったりしていたワケだ。奴豚4時間19分

      


フィニッシュまで500メートル地点

力走とは言えないが、辛うじて走ってますって姿勢。

奴豚が待ちくたびれて見にきたが、「少し歩いたら?」とか「水飲む?」とか、何とかやっとの思いで足を前に出すだけで必死のワタシに 横からグダグダ言わないでくれよ。
セニョールは一言も言わず 5キロも引っ張ってくれたのに。
やっぱり「男は黙ってサッポロビール」でしょう。 (知ってる?このコマーシャル)


      

     やっと終わった。歩くとかえって足がつる。。5時間23分57秒。 ふぅ
   もう今日のところはこれくらいにしておくか~。 充分に気がすんだ。


辛くなるのは覚悟のうえでスタートしたが、いやはや、予想通りの展開に予想通りのタイム。リタイアせず走れたから満足!



3分30秒 走+ 30秒歩 で リズミカルに牛美を抜いていった彼女と。

この後、ただのマッサージを受け、一緒にランチで祝杯をあげ 別れた。




帰宅後 シャワー浴びて横になったら 急に吐き気と悪寒。鎮痛薬を飲み布団に包まってベッドに引っくり返っているうち眠った。目覚めると2時半。気分は良くなっていた。
実家へメールを入れ、また泥の様に眠りの底へ。。。

準備が整わずにフルマラソンは あとのダメージも結構来ますわ~。

そんな事言いながらも、素晴らしいコースでマラソンは楽しいと思いながら走ったいい一日だった。
トレーニングしていたら、もっとずっと楽しいんだがね。




病床からいきなりマラソン走ったかと思えば またベッドに逆戻り。



絵文字で表すとこんな感じ。。。




風邪ぶり返して完璧にノックアウト状態。極端な性格なもんで…




一週間ぶりにベッドを出て外の空気を吸う事が出来るようになった。
発作のように襲ってくる夜明けの空咳が続き、満足に睡眠取れず、ぐったり疲れた一週間だったが、ようやく睡眠が確保でき、気力も体力も戻ってきた。やれやれ…

ビニャデルマールに来てマラソン以外何の観光もしていない。
世界遺産のバルパレイソへも行っていないし、フィッシュマーケットもまだだ。あれ程 鮮魚を心待ちにしてやって来たというのにだ。

21日にサンチアゴへ戻る予定を大幅変更してこの街で新年を迎える事にした。
ギネスブックに載る豪華絢爛新年を祝う花火も見てやる。鮮魚を仕入れて刺身や焼き魚もしてやるぞ。
予定外の長期滞在になったビニャデルマールである。




随分と長期間患ってしまった。風邪薬が効かない風邪だった。....... もとから風邪ではなかったのかもしれぬ。まだ咳が出るのが鬱陶しい。

それでもほぼ健康体に戻ったので12月13日、サンチアゴへ日帰り。

正月を過ごすために予約していたアパートを解約したので手付金の引き取りをかねて散策してきた。
主となる観光名所は既に回ってしまっていたので、クリスマスが近づく街のウキウキ賑わいぶりを楽しんできた。大都会はクリスマス一色に染まっていた。包装紙を売る屋台も沢山、よほどプレゼントを贈るんだね、みんな。そういえば、ウチにもひとりいたっけ、クリスマスイブに誕生日を迎える豚が…


帰路のバス車中で、大都会のスモッグを離れ 丘を越え森を抜け、ビニャの海に近づくと真っ青な空が見えて、「あぁ帰ってきたなぁ」とそんな和やかな気持ちにさせてくれる。年末ここに滞在する事にして正解だったなぁ。



12月14日、世界遺産のバルパレイソを散歩。

う~~~~ん、どこのどんな部分が世界遺産なんだ? 街並み?
疑問だ。何を後世に遺したいんだ? よくわからない。
間違った地域を歩いているんだろうか? バルパレイソの魅力のカケラも認められず戻ってきた。後日ネットで調べで出直してみよう。





12月18日

2日にマラソン走ってすぐ風邪で臥せったので、せっかくのヴィニャデルマール・ヴァルパレイソ 生活の最も楽しい部分をこれっぽっちも堪能出来ずにいた。
無駄にした日々を取り返せねばねと隣町レニャカへ散歩し 海洋保護地区でアシカや海鳥達を眺め、ショッピングセンターでクリスマス気分を満喫し、スーパーをはしごして米酢や粉わさびを仕入れて いざ万全の体制で魚市場へ繰り出す

             

午前9時、港の場外売り場に ど~だ! てな具合に沢山の店が並んでいた。




どのスタンドも採りたての鮮魚、貝、蟹や海老がたんまり積み上げてある。

カモメの大群、ペリカンも負けてない。






海沿いの柵の向こうにはでっぷり太った象アザラシがどっで~~んと巨体を横たえている。

スタンドから飛んでくる魚の頭を目にも留まらぬ素早さでキャッチ! 音を立てて丸飲み、満足げにゲップ! くっさ~~~、口臭、臭過ぎだよ。
巨体をゆっさゆっさゆすって移動しながら飛んでくる魚の頭を機敏に咥える。運動神経いいねぇ。。


跳び上がって噛みつかれるから柵から手を出しちゃいかんよとスタンドの漁師さん達が教えてくれる。

      魚の頭 勝手に持って行って いいよ だって。

魚買いに来たんだか、アザラシの餌付けに来たんだか。。。象アザラシに爪があるって初めて知ったわい。

      


さて、どれを買おうか。。。 う~~ん 核家族ってこういう時 残念。中華料理も同様に人数が少ないと少量しか買えないからなぁ。


というわけで一点買いにした。

小ぶりの鮭とハマグリに似た二枚貝を1キロ。鮭は皮を履いで三枚におろしてもらった。楽でいいね。

お値段は鮭が700円で貝125円。これで二日は楽しめる。ルン!




あ~ぁ、今迄 物凄く時間を無駄にしてた気がして悔しい。
俄然 楽しくなったビニャデルマール滞在である。

写真右は魚市場(港)からヴァルパレイソを望んだところ。



12月19日 珍しく終日雨。

排水溝のない道路には雨水がたまりに溜まって川になっていた。

映画 「SKYFALL」(スカイフォール) 007ですね、を見てきた。
この映画を見に行く時は 遅刻してはいけませんよ、オープニングが恰好いいんだ。
ダニエル・クレイグがボンドに抜擢された時は、軽そうで力不足では?と思ったのだが 全作見てきたが 蒲鉾に化けたね。ボンドガールとの絡みのシーンはしっくりしないが、真面目で潔癖、仕事人の雰囲気を持ったボンド。この人私生活でも、真面目でいい人なんじゃないかなと思う。



12月20日   久しぶりにジョギング。

ヴァルパレイソのバスターミナルまで7.5キロだけ。
筋肉がなまったのがよーく分かった。喉を労わって鼻呼吸、息が上がらないゆっくりペースで海沿いを走った。
アシカがジャンプしている姿をしばし眺める。到底上がれなさそうな高さの岩場めがけて、勢いつけて飛び上がっている。手が届いた!  見学者から拍手。


すっかり身体がなまってしまった。
もともと強靭な肉体でも鍛え上げられた筋肉でもなし、チラッと張り付いていた薄い筋肉はタダの肉に戻ってしまった。

またイチからやりなおし。ジョギング再開するも、走りながら見る景色がスローモーションのようだ。足は前に出してるつもりだがちっとも前に進んで行かずじれったい。ノロくて自分で笑ってしまう。
年取るってこうゆう事か。維持するのは大変だ。



12月22日のクリスマスハッシュランに参加。

わざわざサンチアゴまでお出掛け。   奴豚は心底ハッシュが好きらしい。。。
知り合ったハッシュ仲間の車に便乗させてもらい、その夜はエル・キスコの彼等の家に泊めてもらった。

クリスマスハッシュ会場は郊外の邸宅。近郊の野山を走るコースだった。クリスマス休暇中とあって参加者 少な~~~。
ランナーは今日がお初ハッシュというカナダ出身の男性と我々、三名のみ。あとは皆さんワンカー(ウォーカーのこと)でビールぐびぐび。




   まずはお決まり 準備体操から。






   R は ランナー

   W は ワンカー(ウォーカー)




     クリスマスなんで 赤い帽子はお約束。
      頭に熱が溜って暑いって。。。
 
    それでも前半はトップを独走。



             


         チェックポイントで記念撮影。








      
先導犬は少女の飼い犬。後方で走るのを止めた少女に気付き、彼女の元へすっとんで戻って行った。まったく犬ってヤツは。。。なんて素晴らしいんだろう。。。




後半はノッパラの上り坂が続き、トップから脱落。



ビールチェック(コース途中のビールストップ)でくつろぐメンバー達。

暑い日であった。



戻って会合。お決まりのビール会。運転する人用にノンアルコールも準備あり。


      クリスマスハッシュ恒例、プレゼント争奪戦の始まり。
  

     おあとは BBQ で〆なり。


サンチアゴハッシュの皆さん、ありがとう。
Thank you Santiago Hashers!
                 奴豚作成クリスマスハッシュYoutubeはこちら




12月23日

昨夜のクリスマスハッシュ後、ハッシャー仲間の家に泊めてもらった。

サンチアゴから車で約1時間半。
バルパレイソよりも南に下ったところにある エル・キスコと言う名の小さなリゾート。
海岸沿いに道が通じていれば ほんの30分程度で行けるかもしれない距離なのだが、道がないのでヴィナ・デルマールからは意外と近くて遠い場所である。

6匹の犬と2匹の猫達と暮らすカナダ出身の彼等の家は海を見下ろす高台の静かで贅沢な場所にあった。

      


          ワンちゃん達と海辺の散歩。

チリでのリタイア生活もなかなかいいかもしれぬと思った日だった。

   彼等の隣は売り家だって。。。ふぅむ。。。

      エル・キスコ なかなか良いぞ。






12月24日 昼間ひとりで5キロ程度の軽ジョギング。


  本日は奴豚の誕生日。世間ではクリスマスイブという。


アパートでささやかに夕食と小さめのケーキで祝う。
チリはワインもスパークリングワインもお安く嬉しい。
(因にワインは200円、スパークリングは500円程度のもので充分美味しい)


12月25日 朝っぱらから部屋の呼び鈴をならす輩あり。6時半にリンリン押すな。。。誰? 無視して寝ていた。もしかしてサンタクロース???

  午後ジョギング12キロ。ちと疲れる。。。



12月26日 映画 Hope Springs (ホープスプリングス)を見に行く。日本公開は未定か? メリル・ストリープ、トミー・リージョーンズが夫婦役。なかなか面白かった。
        カップル間の心のスレ違いに効くかな??


12月27日 奴豚体調不良。南米に来て以来 ずっと引きずっている花粉症だかアレルギーだか原因不明の掻痒感と胃腸の痛み。

夕方 気分が良くなったようなので 隣町レニャカで開催の海岸特設ステージでのクラシックコンサートを聞きに。海に沈み行く夕日と波の音をバックに聞くクラシック曲の数々、なかなか粋な計らい。



12月28日 重い腰をあげやっと病院へ行く気になった奴豚。
ブエノスアイレスでも血液検査してもらったが、その時の検査結果持参で総合病院の緊急へ。検査と点滴。

結果は立派にアレルギーと判明。ややこしい病でなくて良かった良かったと喜び カジノへ繰り出す。
「のど元過ぎると熱さ忘れる」とは奴のことを言うなり。極端な性格だよなぁ。。。




12月29日 昼 バルパレイソへジョギング。


往復約15キロのジョギングの予定が......

思いがけず途中の魚市場で鮭を一匹買ってしまい 
  牛美だけ2.5キロの魚ぶら下げてバスで帰宅なり。

お陰でジョギングは9キロ程度でストップ。

曇りで涼しいお陰で走るのも楽だった。



  早速下ごしらえ。


      手つきはぎこちないですが。。。








   ……。……。でもってこんなん出来ました。

まずは半身をオーブンで野菜と一緒に焼いて いただきまーす。



          あと二日で今年も終わりかぁ。





12月31日

2012年、名残惜しい…などとちっとも思わず いつも通りの一日。
旅して転々と移動していると掃除はしなくていい、おせち料理は作らなくていい、近所付き合いもない、まったく隔離された年末年始で、普段となにひとつ変化がないものである。
それを寂しいと思うか 楽と思うか、それはその時の気分による。

日本が新年を迎えるチリ時間の正午、奴豚と「明けましておめでとうございます、昨年は御世話になりました、今年も宜しく」と挨拶を交わし ジョギングへ出掛けた。
約1時間半、高台へ登り、海辺へ下り、今晩の花火はどこで見ようかとロケハンしながら走り、戻って昼食。まだノロノロから脱け出せない…


街の中心部 バルパレイソ通りは出店が並び人が溢れている。
元旦のみスーパーが閉まるので買い出しの人も多数。
『 何 買ってんだ、そんなに?』 と買い物袋を覗くと、ポテチやソフトドリンク、アイスクリームと主にスナック系であった。一日スーパーが閉まるくらいで 大混雑するこたないだろうに。。。
先日のクリスマスもそうだったけど。。。

我が家は先日買った鮭がたんまりあるので食料には困らんぞ。

夕飯をシャンパーニャ(スペイン語表記)で楽しみ、イザ 花火を見に出掛けるなり。



     2013年 さらに素晴らしき 良き年でありますよう




  カジノ前から海岸に集まった人達。

 カジノ提供の無料シャンパーニャを頂きながら花火を待つ。


        0時5分 街灯が消え。。。



始まり始まり。ヴァルパレイソからビニャ - レニャカ - コンコン の 四つのリゾートを繋ぎ 7カ所からシンクロして打ち上げられております

      

海から高々と上がる花火。
腹に響く 打ち上げ音と炸裂音が小気味いい!!!



         新年 あけましておめでとうございます




1月1日

元旦からダラダラすると一年ずっとだらだらしそうで不安なので、、、

気乗りしないが、奮起して走りに行った。走り初め。
隣町レニャカまでバス。昨夜の騒ぎの名残、ゴミやクラッカーの色とりどりの紙屑が残る路面。
海岸に設置された柵の撤去作業をする人達、海岸で寝転ぶ人達。新年といえども昨日と何の変化もない。


身体が重い。。。太ったかな? 走るのシンドイわぁ。。。
新年早々こんなことではいかんと、せめて10キロ、レニャカからアパートまで、ともかく走る。
奴豚は身体が軽いそうで、ビニャの街を素通りしてバルパレイソへ向かって去って行った。
牛美は別れて1人帰宅。ふぅ。。




映画「ライフ・オブ・パイ」(トラと漂流した227日)

チリでは1月3日封切りで初日に見てきた。

3D。アバター以来、なんでもかんでも3D上映というのが嫌だったのだが、2D上映の時間が深夜だったので仕方なく余計払って3D黒メガネをかけて見た。眼鏡にさらに黒メガネって煩わしい…(3Dで見るまでもない気がするのだが。。。)

映像は綺麗だったが、テンポがスローで少々気疲れした。
期待したのが仇になって、あと味はいまひとつ、という感じであった。227日も漂流した感じではなかったなぁ。
ファンタジー映画なんだね。最後に彼の口から語られる「二つの真実」に深い意味があるんだろうが、もたつく気がしてしまった。
まぁ、取り方は人それぞれですから。




5週間。

ヴィーニャに来てから5週間経った。

マラソン走って、風邪で寝込んで、のんびり年末年始を過ごした心地良い街ともお別れだ。
いつもながら、ちょっと長めに滞在した場所を去る時は後ろ髪を引かれる思いだ。
居心地良い場所を後にする時は決まってそうなのだ。わかっているんだ。

荷物をまとめ、バックパックを背負うと、もう気持ちは次に向かっている。根っからの旅人かも。

それでも最後の夜はキャンディーズの「微笑み返し」の気分で「私達、歩いて行くんですね~♩」なんて気になっているわけである。。。。





もう何処へも行かずに ここに居着いてしまいたい、、、と ふとそんな衝動にかられる事があるのは事実。

居心地の良い土地に長居すると きっと誰でも一度くらいはそう思うかもしれない。


それでもまだ我々には行きたい場所があるのだ、見たい所があるのだ、だから 16キロのバックパック(以前より軽いぞ!)を背負って歩き出すと、ほぅらね! また 素敵な街に出会った。


街との相性は一目惚れに似ている。第一印象で決まる。




奴豚がまず「悪くないじゃん」と言い、何事も冷静な牛美(冗談冗談…)が しばらーく経ってから「いいじゃない、ココ」と言う。それで決まり。二人とも、とてもココが気に入った。

ラ・セリーナという街。




ヴィーニャからバスで7時間。途中ロスビロスというなーんにもなさそうな地方小都市を通り(写真右)約500km北のラ・セリーナという街へ。

他所様の評判はイマイチで、ビーニャの方が綺麗だとか聞かされていたので全く期待せず来たお陰で、逆に印象が良い良い。



早速、朝からパワービジットで街を走り回る。

狭い街だからすぐにひとまわり。

丘へ上り墓地横のモニュメントから眼下を見渡す。
(写真右は隣町の景色)









丘を下り、そのまま海岸へ走る。




静かだ…

約1時間半のジョギング。

明日は海岸沿いを隣の漁港コキンボまで走ろうっと。







ラ・セリーナの南にはコキンボという名の漁港がある。
ちょうどヴィナデルマールとヴァルパライソ的な位置関係。

ヴァルパライソも漁港だが、このコキンボというのがこれまた ことのほか い~い小漁港であった。ヴァルパライソよ、ここを見習いたまえ。



ラ・セリーナのホステルからジョギングで漁港まで13キロ。海沿いの遊歩道を走る。




港は小さいが活気があって 魚料理の店がひしめき合うように軒を並べ、威勢の良い声があちこちから聞こえてくる。
鮮魚屋も沢山。これぞ漁港の醍醐味、観光漁港として終日開いており、何時行っても魚が食べられる。

     吊るしてあった魚達。  大きな口だ。

      




 決して安くはないが、色々な種類の魚、貝料理が食べられる。

 調理方法は主にフライかソテー。

 付け合わせに野菜、炒飯。またはフライドポテト。



   量 多し。




コキンボの丘に立つ十字架まで腹ごなし散歩し、丘から眼下を見渡すなり。

       







  昨日の魚に味を占めて、、、

 本日も漁港目指して13キロのジョギングなり。

   魚とビールが待っていれば13キロは楽し過ぎ!

      曇り空の中をスタート。



   空を舞うカモメ達。      と       漁港横にはペリカンの群れ。
      

    途中でピーカン。気温上がって皮膚から塩が吹き出す。



 昨日登った十字架の丘がどんどん近づいてくる。

   もうすぐ漁港、美味しい魚が待ってるよ。



   今日はマーケットも開催中。
      新鮮野菜と果物が並ぶ。

 ネクタリンとプラムを購入、ずばり 甘い!!!



本日は 食後 砂浜を散歩で戻る途中、カジノに寄り道。
スロットマシーンで昨日と今日の昼食代を稼ぐなり! うふ!





特に長居する理由がなければ、基本滞在は三泊。もちろん気に入った場合は延泊になるが、セリーナは当初から四泊と決めていた。

        1月9日に次なる町、ビクーニャを目指す。

ビクーニャはセリーナから東へ、内陸のヴァレー(エルキン渓谷)へ入って行くのだ。
距離にして60km程度。舗装のよくないガタゴト道をオンボロバスで約2時間。
カラカラに乾いた渓谷の町、ビクーニャに来た。
よほどの暇人以外、日本人はまず来ないであろう。。。

道中の村落には何もなさそうで、はたしてどうなることやら、と近づくにつれ不安が増したのだが、バスを降りて周りを見回すと広場周辺には店も宿も何件かあるし にぎやかだ。

 写真左)は 中央広場にあった「顔」



予約していた宿まで徒歩。思いっきり暑い。
午後二時の日差しは強烈でこの暑さでは日中は走れないな。。。と少し落胆。

我々のホステルは、町では安い方に入るが 我々的には高い部類に属する。
ハイシーズン値段なので仕方ない。チリは本当に宿代が高い。。メールやネットで予約出来るような便利で洒落た宿は高いのである。



        さて、ビクーニャで何すんの?と我々も思案。

天体観測所ツアー、ピスコ蒸留所見学、ノーベル賞作家ガブリエル・ミストラルの生家見学、と選択はそんなもんである。


  。。。で、先ずは着いた初日の夜、天体観測所ツアーに参加。

21時過ぎ、まだ薄明るい夕映えの残る空にひとつ、ふたつと星が見え始めた。
英語で説明をしてもらいながら、望遠鏡を覗き木星の筋を確認。どんどん星が数を増して、とうとう空は星だらけに。
人工衛星が縦横無尽にあっちからこっちから流れて行く。
           

砂漠に近いこの辺りは雨がほとんど降らない。湿気もなく乾いて、雲さえ無いお陰で天体観測には格好の場所。世界各国の観測所がこの近辺に集結している。勿論、日本のチームもいるそうだ。と言うことは日本人も訪れる場所だったのか。
2020年には世界最大の望遠鏡を導入する予定のチリ政府。現時点では他国に水を開けられているが、一挙挽回を図るらしい。




  さて、お次はピスコ蒸留所見学へ。

      


地下の資料館には過去 フランスから輸入した酒造りの器具等が展示されている。
葡萄から作る醸造酒なので基本の作り方はワインと同じである。

工場見学と来たら“試飲”抜きには語れない。

度数の違う原酒を二種、カクテル割にしたものを二種、小さなカップながら四杯頂き、ニコニコ。

   グラッパとかウゾーとかの種類に似ている。アルコール度数40度なり。




ヴィクーニャの散歩の友も確保。(写真右)

因に ガールフレンドである。ホステルを出た時からついてきた。
公園のベンチで休む時は ベンチの下に寝転んで待っている。

翌日もいつの間にか現れ 一緒にお散歩なり。
目がクリクリなので 「どんぐり」と名付ける。



渓谷の昼は乾いて暑く とても走る気になれないので、早朝 裏の山へ向かう。

奴豚とは別行動である。走りたい方角、時間帯、走るスピードも違うので 自ずと別々。互いに気楽。



すぐ裏のミラドー(展望台)と呼ばれる小山の頂上には数々のアンテナが並ぶ。

マリア様はアンテナに押しやられている感じ。

神様より携帯電話の時代か。。






この小山から ずっと奥へ奥へと果てしなく走っていけるが、牛美は深入りせずに折り返す。                        写真右はヴィクーニャの町。
      



朝の渓谷は霧と靄と砂漠とサボテン。

清々しく素晴らしい時間。








暑い午後はバスで隣村へ。

何もない。誰もいない。。。と思ったら山羊達とすれ違う。



          




ヴィクーニャからさらに渓谷の奥地へ入ったところにPisco Elqui ピスコ・エルクイと呼ばれる小さいが居心地の良い村がある。

本当に小さく 中央広場をくるりと回るともうそれで終わり。店もレストランも数件、ここはそれでも充分なのだ。

ピスコというくらいだからピスコ酒用のぶどうが栽培されている。
緑の渓谷は一面葡萄畑だ。山からの川の水で潤っている。


     この小さな村で我々は 忘れられない心に残る三日間 を過ごした。




渓谷の村の夏は乾いて暑く、日中は何もする気になれず、ホステルの庭にあるプールサイドで涼むくらいだ。





    そこで早朝、明るくなり始めた頃 トレイルへと走りに出る。

初日はとりあえず渓谷の奥へ向かって走り出したが、予想外にもあちらもこちらもフェンスで囲まれ、ぶどう畑へも立ち入り禁止で、行っては戻り、鉄条網をくぐりフェンスを越えとなかなかワイルドであった。


      

      宿で知り合ったイスラエル人ランナー、長身のロンと三人で走る。


宿へ戻る途中で野良犬が走り寄って来た。南米には野良が多いのである。用心に棒切れを携え走っているのだが、こいつは悪意がなさそうだった。

       遊んで欲しそうにしているので一緒に連れて走った。




翌朝、同じ時間に宿を出る時に、昨日の野良が宿の前にいたので連れて走った。

      

元気一杯のこの野良は心底楽しそうに我々と行動を共にした。嬉しいのを押さえきれないのか時々喋りかけてきたり、ベロリンと舐めてくれたり、前になり後になり嬉々と走るその姿が愛らしくてたまらない。
賢いのだ。牛美がひとり遅れてトレイルに迷いそうになると決まって野良が様子見に戻ってきてくれる。「あ、いた。」とでも言っているようである。そして行くべき道を示してくれる。不思議な子だ。心の優しい子だ。「大丈夫だから行っていいよ」と前を指差すと一目散に奴豚達のいる方へ走り去って行く。そんなことが三日間のランニング中、何度もあった。



走り終わって宿へ戻る。またね、と別れて、夕方公園で彼と再会。
のんびり寛いでいた。ここで生まれてここで育ったのだろう。
気だての良い野良犬である。すっかり我々は彼に惹かれてしまった。
     お喜楽顔だが結構賢い。




三日目の朝、宿の前に野良の姿がないので公園まで迎えに行ってやった。

 と、どうだろう。  飛び上がって喜びを爆発させて、ご近所の犬達に向かって「これから走りに行くんだよ!!」と吹聴でもするように ちょっと自慢気にひとしきり吠える姿が可笑しくて仕方ない。
馬鹿者、と苦笑しながらも、あまりの喜びようにこちらも嬉しい。


  今朝は山登りラン。
   “◯◯”と煙は高い所が好きなのだ。

せっせと足場の悪いハゲ山を登って行き、日の出でパチリと記念撮影。



   二人と一匹のグループ写真。(右)

     まだ山の中腹、ここからさらに登る。




      

   どこまで行ってもキリがない。   延々と連なる山並み。

          素晴らしい景色を堪能する。

  
  朝食に間に合うように下山する事に。

  名残惜しい山のランニング。
  時の経つのを忘れてしまうほど楽しい。

     疲れを感じることもない。



これもひとえに馬鹿者の野良公のお陰である。
こんなに幸せな気持ちにしてくれ、我々を選んでくれてありがとう。
犬との関係は 人が犬を選ぶのではなく、実は犬に選ばれるのである。



     別れは辛かった。

今まで何匹もの犬達と関わってきたが、連れて行きたいと思ったのは今回が初めてである。
公園のバス停で、ぐっと堪えて後ろを振り向かずにバスに乗った。

        

    元気でいろよ、馬鹿者。




ピスコ・エルクイのホステルにはWiFiがあった。
場所はカフェテリアに限られ、接続にもムラがあったが、何よりないよりマシ、ありがたいことだ。

ところが 我がiPadがストライキ

立ちあがらない。
電源も落ちない。
強制終了を繰り返してももとに戻らない。

またか。。。以前もあったんだ。

リインストールしてバックアップデータを戻してみる。
一瞬治ったかのように見えて、また同じ症状に戻ってしまった。この間、約3時間経過していて、深夜になり、復旧は翌日に持ち越す。


工場出荷状態に戻してみた。

バックアップデータをインストールすると機嫌が悪くなる。
何の為のバックアップじゃ。仕方ない過去は忘れよう。

まっさら、いちから出直しである。


っったくーー、、、。


. 野良公の馬鹿者の事が頭から離れない。思い出しては寂しくなったりにんまりしたり、変な人達である。

エルクイ渓谷と呼ばれる 素敵な村々を通り、再び海岸のリゾート ”ラ・セリーナ”へ戻った。
帰路のバス運転手は山道のくねくねを巧みなハンドルさばきで あっと言う間の2時間半でセリーナのターミナルまで連れて帰ってくれた。が、野良公との距離がどんどん離れて行くのは淋しかったなぁ。。。


セリーナの町に戻り、海岸沿いの14kmランニング、漁港でのランチ、帰路のカジノでランチ代を稼ぐというパターンに戻った。


今回セリーナに三泊したのは、ダカールラリーの混雑をやり過ごすつもりであった。


以前パリダカと呼ばれていた砂漠のラリーレースは 今は南米の砂漠で行われており ダカールラリーと名称を変更している。

我々が北上しようと予定していたのと同じようなコースをあちらさんは南下してくるので、どこかですれ違うことになる。チームやサポート、その家族や友人、観戦者、ファンが揃って移動するので、バッティングすると宿が確保しにくくなる心配があり、出来れば脇道にそれてやり過ごしたいと思っていたのだが。。。実際 宿はどこも満室のようだった。。。

ラリーがセリーナに来るのが18日なので我々は18日の朝 北へと向かうバスに乗った。


ラ・セリーナ以北、観光に力を入れている町は希少である。

どこも鉱山、炭鉱が産業で、それなりに潤っているので宿代は強気の驚きの高値。
数年前に落盤事故で33人が69日間地下に閉じ込められ、奇跡の救出劇のあった町コピアポもこの先だ。泊まろうかどうしようか思案中である。

取り敢えず、宿の予約もないまま行き当たりばったりでVallenar(バレナー)という町までのバスに乗った。
早い時間に到着して徒歩で宿を探す作戦。
町が気に入らなかったら次の町へのバスに乗ろうと思っていた。

バスの車窓からの景色はすっかり砂漠地帯。
初めは面白いと見ていたが短調で眠気に襲われた。

バレナーまで3時間。
砂漠の中に急にオアシスのように緑が現れたと思ったらそこがバレナーであった。
渓谷と言うくらいだから、川に浸食された深い谷の狭間、川沿いに町が広がり下ってみると緑溢れる小さな町だった。

ダカールラリーのサポートチームが寛いでいた。
各自の車の整備をしたり食事を取ったり、公園で寝転んでいる人達もいる。
レースも終盤、疲れも出ている頃だろうなぁ。






牛美はひとりバレナーの町を歩いて宿を探す。奴豚はバスターミナルで荷物番。
拙いスペイン語で部屋の交渉。時には解らない方が安易に進む時もある。





年配の女性に すがるような眼差しで「セニョリータ、27,000 を 25,000にしてくれませんか?」と筆談してみる。

WiFiシグナルも強い、朝食付き、トイレシャワー付き、しょぼい宿だが立地が良く庭にテーブルがありいい感じであったので ここに一泊する事に決めた。





バレナーには ほんの一晩の滞在。
奴豚が不機嫌、「気に入らん」というので そそくさと次の町へのバスに乗る。



チリの北部は砂漠地帯。鉱山ばかりで景観はいまひとつ。
バスの行き先はカルデラCalderaという海沿いの小さな小さな港町。




途中 コピアポの町を抜けて行く。
砂埃ですすけた印象の町だった。




着いたカルデラ。
バス停で牛美が荷物番をしている間、奴豚が宿探し。
目星をつけておいた最初のホステルに決め、町を散策。

      
小さいが港には魚屋もあった。
天気が良いと なかなかどうして悪くない町である。



先を急ぐ必要もなし 三泊した。

隣にある猫の額程のリゾート地バヒアイングレサへジョギングしたり、海岸沿いをぐるりと巡って走ったりと 連日せっせと走った。

(写真左:突端の灯台)



          (写真右:中央広場の教会)

一周するのに15分もかからない程の小さな町だが 印象は良かったな。




さて、これからいよいよ アタカマ砂漠へ。


アタカマ砂漠へ


1月22日 カルデラ 22時20分 発 の バスに乗った。

サンペドロ デ アタカマ、日本人には通称 ”アタカマ” 、 その名の通り アタカマ砂漠のど真ん中の町へ向かうのである。

所要時間9時間の夜行バス。満席だった。
我々は カマエクゼクティブ(やや寝台)席で ゆったり休む事が出来た。
(やや寝台)と書いたのは、セミカマ席の通常のリクライニングと比べると150度リクライニングするので、寝台とは呼べないが ゆったりだからである。


翌朝 9時、ローカルは ”サンペドロ”と呼ぶ サンペドロ・デ・アタカマへ着いた。
バス停から予約しておいた宿までは1ブロックですぐ。町の中心から2ブロックと絶好の立地。
フランス人の間で絶大な人気を誇るホステルローズ・デ・アタカマ
本当にフランス人しかいない。。。ホステル内の公用語はフランス語、いきなりフランスに戻った気分。まぁもともとスペイン語もフランス語も牛美にとっちゃ 似たようなもんだ。もちろん英語も通じる。

このホステル、立地よし 値段よし 部屋も共有スペースも清潔 おまけに羽根布団。
シャワーの時間は朝晩2回に限定、朝食は付かないがキッチンで自炊可能。物干し場もあり、中庭も広く 家具類は古いが、我々には申し分ない宿。
物価高のアタカマの中心部でプライベート部屋が20,000ペソ(40ドル)なら文句ないぞ。
ドミ部屋(8,000ペソ)もあるので一人でもOK。かなりオススメの宿である。(詳細



写真下は中央広場の様子。
      



  昼時、アサード(焼肉)屋さんの肉を焼く煙。
   人も犬も匂いにつられて集まってくる。
        もち、奴豚も。。。


        中央広場は皆の社交場。


 
  野菜買って エンパナーダ立ち食いしながら そぞろ歩く。



ボリビアへ抜ける四駆のツアーと 貸し自転車屋を物色。

ゴージャスな夕焼けのなか、中庭でネギたっぷりリゾット、アボガドツナ缶乗せの夕飯なり。




 アタカマはこんなトコ

東は雪をかぶった5千メートル級の山々。活火山からは煙がのぼる。あれを越えると向こう側はボリビアだ。
西は 月面てこんな感じか?という 砂漠と岩山が果てなく続く。塩を豊富に含んだ白っぽい大地と濃い茶色の砂丘、ピンクがかった山並み。ほんの少しの緑があちらこちらに。

強烈に渇いて 朝晩は寒く日中の紫外線は強力、まさに砂漠の気候。
世界の砂漠の中でも最も乾燥しているそうだ。
鼻の中がカラカラに乾いて痛いほど。



マウンテンバイクを借りて 夜明けに塩のラグーン(湖)目指して 走り出す。

  東の山の上に 光が…。 … … … 。         パッカーンと朝日の登場。
      



暁のライダーは一路 湖を目指して 真っ平らなアスファルトをまっしぐらに進む。
朝の冷気が気持ち良い。寒くて指がかじかむ。

      



   岐路、ここから砂利道。

      お尻痛い。。。。




     22キロ先のラグーンまで1時間半。一番乗りで誰もいない静かな塩湖。

        


湖は三箇所あり、一箇所だけ入水が許可されている。他はフラミンゴ達用。



  まだ寒いんだけど。。。

   ソロリソロリと入ってみると、、、

     強い塩気で身体が浮く。 死海と同じ。





プカプカと浮きなしに漂う浮遊感。

泳ごうとしても足が水面から上に持ち上がってしまい泳げません。







塩ラグーンで浮遊感を堪能し塩で真っ白になった肌を水で落とし、すっかり冷えて、にわかチャリダーは 今度は山へ向かう。

      


     ひと山登って トンネル通って、
        




  チャリダー達の前には 

   更なる山と砂漠が広がっていた。。





"月の谷" を目指して



 今日もにわかチャリダーは 朝も早よから
   フットワーク軽く 。。

        出発進行ー!





目指す先は「ヴァレー・デ・ラ・ルナ」(訳するに 月の渓谷 )

月面はこんな風じゃないか?という 月に行ったことのない我々が思い浮かべる世界である。



      

塩の大地は白く乾き、ミネラルを多く含みクオーツ石などはむき出しである。
岩と言うよりも石と砂の大地を風が刻んで作った地形。ゴツゴツよりむしろギザギザで不用意に触ると鋭利なエッヂで怪我をしそうだ。(実際切ったのだが。。)




細かい砂、透き通った水晶、表面はキラキラ日に反射する。






     まさに月面 の イメージ。







スケールの大きな景色の中をさらに進む。
広大な公園である、が、アタカマ砂漠のなかにあっては ほんの点ほどの大きさだ。




空も雲も 綺麗だ。

飛行機がまっすぐな線を引いて飛んで行く。
空からはどんな風に見えるのだろうか。



スリーマリーと名付けられた岩。何万年も前からここに立っている。
風に少しずつ削られて行くのだろう。






日陰を求めて岩の影に座る。シーンとした景色のなかに ピキッ! ビシッ! と 渇いた音がする。
誰かいるのかとあたりを見回す。
石と泥と塩で出来た その岩の表面から聞こえる。
少しずつ剥がれているのである。

崩れないかとヒヤヒヤしながら、しばしランチ休憩。






     ここから天然塩を採取している。        水晶と思われる表面(写真右)
     



  開園は9時半だが、チャリの我々を8時半に入園させてくれた。

誰もいない月の渓谷は、自分を なんてちっぽけな存在に思わせてくれたことか。。。

圧倒的な大地の中に ポツネンと 存在している我々人間は、小さく、その生涯は短かい。


      


何百年も雨一滴降らない場所もあるのだそうだ。

NASAが火星探索ロボットの試験をしたこともあると言う。




  塩の川、蛇行する河の跡、
     大地に刻まれた 壮大な景色。

       ここに来ると無口になる。




   圧倒的な規模の 大砂丘。
       砂の海、砂の波、
         広すぎて、例えようが無い。

  (クリックで拡大すると左上に車が小さく見える)





結局、丸一日をここで過ごしたが、すれ違う人はほとんどいなかった。
団体ツアーは夕方なのである。
車でさぁ~っと巡ってしまっては、ここの素晴らしさは半減するだろう。


是非、自転車でゆっくり巡って欲しい 素晴らしい渓谷である。



当初、アタカマには三泊程でいいかと思っていたのだが、砂漠や山や湖やら 息を呑む程美しい夕焼とかを見ているうちに、結局六泊してしまった。

アタカマ砂漠を抜けてボリビアへ入国しウユニ塩湖へ向かう3日間の四駆車ツアーの日程も、無理言って二回も延期してもらった。(ボリビア人、結構融通効くね、ありがとう。)


アタカマ砂漠も素晴らしかったが、この先に是非見たい所があるのだ!

それは ウユニ塩湖 : 雨期に入って雨水が溜まるまで、わざわざ日程待ちして、この時に調整してきたのである。


ウユニ。 最近ユニクロの宣伝で紹介されているらしい。(日本にいないからわからんが。。。)
地平線と空がくっついて境がなくなり、世界がまん丸になる場所。どこからが空でどこからが塩湖か解らなくなるのである。全ては鏡張り。全てが湖面に映り込んで まるで宇宙に浮遊しているような錯覚を起こす、この世とは思えない あり得ない程美しい光景なのである。

それを見たくてボリビアへのツアーに参加した。ツアー会社選びも慎重。
塩湖で朝日が見られるか?否か? 運転手や四駆車の状態、食事や宿、何がツアーに含まれているのか、色々調査して、エストレラ・デル・スール(Estrela del Sul) という会社に決めた。
。。。矢先に、まさにその会社のツアーで運転手が飲酒運転、ヘロヘロで危険な運転をしたという情報が耳にはいる。よくある事らしい。運転手が二日目くらいから夜な夜なドライバー仲間と酒盛りをする話は聞いていたが、実際目の当たりにし、その会社のツアーに申し込んだとなると話は違ってくる。

事務所に出向いてプレッシャーをかける。のらりくらりと応対するボリビアン。
朝日も、ベストドライバーも確約はしてくれたが、口約束はあてにならない。実際、ツアーは始まってみなければわからない。あとは同乗者達と相談して、運転手が居眠りしないか、飲酒運転しないか、皆で常時確かめるしかない、と かなりの覚悟で出発の朝を迎えた。




1月29日
いざボリビア国境へ。

… と、その前にチリを出国せねばならぬ。出国スタンプを貰うのに長蛇の列。1時間並ぶ。


さて、やっと国境を目指すなり。トイレか?と思うような簡易建物内部で、「日本人? ふうん。何日滞在したいの? 30日? 何故?」と軽く質問にスペイン語で答えて入国完了。


周りは山。チリ側からの四駆車ツアー陣と ボリビア側からの四駆車ツアーの交差点。
グリンゴトレイル=つまりは外国人観光客のゴールデンルートだ。

これからいくつもの湖をめぐり、5千メートルの山を越えて、二日かけてウユニを目指すのである。



昼近くになって朝食。

チリ側のバスドライバーがささっと準備をしてくれ、車の横で軽食。

ここでボリビア側からの四駆車に乗換える。
ボリビアの観光はボリビア人ドライバー・ガイドに限定されているのだ。




プンタ アレナス Punta Arenasチリの最南端の町である。


2007年に我々はアルゼンチンの最南端 ウシュアイアへ行き、一ヶ月滞在しマラソンも走っている。ウシュアイアとは さらに南で南極に最も近い町である。

ノルウェーのトロムソに行った際のブログにも書いたが、最北端や最南端と言われる町はどこか似ている。(トロムソの美しさは群を抜いているかもしれぬが。。。)
アイスランドにも似ている。

まずは気温 = 当然だが、どこも寒い。建物の外観も似ている(雪のせいか?)
日差しも似ていて空気も似ている。海の景色も。
服装にも共通するものがある。
雰囲気も似ていて、早い話が『以前に来た気がする』のである。

      

プンタアレナスは予想より大きな町で近代的だ。

チリは南米というくくりから外した方がいいと想う。チリとアルゼンチンはあまりにヨーロッパ色が強く 南米のイメージは既にない。
プンタアレナスの市内を散策していると、ふと ヨーロッパか英国に居る錯覚になるが、聞こえてくるスペイン語にハッとする、といった感じだ。



町から20キロ離れた 小さな空港に着いたのが午前5時半だったので、狭いターミナルの木のベンチで仮眠を取り、10時のミニバスで市内のホステルへ。
雨上がりの町は リマから来た我々には極寒で ありったけの冬服を引っ張り出し マフラーと毛糸の帽子に手袋と完全防備しストーブに尻をくっつけていた。


暖かい部屋で一息ついたあと、晴れ間が広がり 差し込む日差しに気を良くして 走りに出た。
ボリビアの高地で散々走ってきた二人である。

高地トレーニングは我々の身体にどんな変化を示してくれるのだろうか…

      

海岸沿いのサイクリングロードを走り出した。
リマで一日ベッドに臥せった事を思い ゆっくり走り出したが 身体が軽くて 知らずにペースが速くなる。奴豚に速すぎと指摘されスローダウン。
水平線へと消えて行く大型客船が見える。南極を巡るクルーズ船か?
なんとまぁ身体と足が軽い事か。靴にスプリングでも入っているかと思うほどだ。
ボリビアの登りで 呼吸に苦しんだあの時が嘘のよう。キロ5分なんてスキップ気分である。
(得意になるのも今だけと思うが。。。たまには言わせてや)
          ふふふ、気分はケニアン

       高地トレーニングに行く訳がよーく解った。

何が楽って呼吸が楽なのである
酸素が全身の筋肉の隅々まで行き渡っている感覚。



 この調子のままハーフマラソンを走ってみたいなぁ。
   。。。と、散々書いたので 週末のマラソンは如何に???

     …… なのだが、 フォークランドは強風のレースなのである。

 前に進むより押し返されないよう踏みとどまるだけで終わったりして。。







ずいぶん前にラン航空のチケットを手配したので、度々 機材や便名、出発時間や経由地の変更をされた。 これがまた 勝手にされるので用心せねばならん。
何度 ラン航空に電話をし、オフィスへ出向いて確認に確認を重ねた事か。。。 南米の航空会社は要注意である。

いよいよ フォークランドへ飛ぶ日が近づいてきた。




  プンタアレナスで世話になっている宿。
    狭いがベッドは快適。




    宿の猫 庭にわんさといる。
     皆 気持ち良さそうに ひなたぼっこ。


マラソン前にじたばたしても仕方ない。
 軽くジョギング気分で海岸を走る。
 澄んだ空、日の光と青さが眩しいほど。
 海ではイルカが跳ねている。

 モニュメントが南極はあっちだと指している。



  楽しみだなぁ、フォークランド。




今回の南米旅編、チリでの滞在はここプンタアレナスが最後である。

フォークランドからの便が遅れなければ丸々二泊のところが、遅延のため中一日になった。
翌日 リマへ向かう便がこれまた早朝で(6時)3時半に宿を出ねばならんとあっては、プンタアレナスの町で何かしようという気にならず、結局 部屋で一日中ずーっとネットをしていた。
フォークランドでインターネットが不自由だった分の反動である。


二人共、ものも言わずに各自の画面を食い入る様に見ていた一日。

これでチリともお別れだ。



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