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ハッシュも走ったしサンチアゴの慌ただしい三日間を終え、29日夜のラン航空便でペルーのリマへ飛んだ。
お隣の国なのに2時間も時差があった。

3時間半のフライト後、約束通り到着ロビーにはホステルの迎えのドライバーが待っていてくれた。

ちなみに、ペルーの通貨ソルはチリのサンチアゴ空港では両替不可。

今回リマは単に通過地点、乗継ぎの為に一晩寝るだけなので、空港横のホステルにチェックイン。荷も解かずシャワー浴びて、目覚ましを午前4時半にセットして さっさと就寝。



翌、10月30日


午前6時55分発のスターペルー航空でクスコへ。

スターペルーは、前割だと他の航空会社よりもかなり安い。
リマからバスで21時間かけて行くより安い。




リマを出発してすぐにアンデスの山へ入って行く。

あんなところに!と思うような、猫の額ほどの山の頂きや中腹のほんのわずかな平地に村落がある。あちらにもこちらにも。どんな暮らしぶりなんだろう。

細い山路がクネクネと村々を繋いでいるのはわかるが険しい道に変わりはない。
別にマチュピチュだけじゃないんだ、天空の家々は、これが当たり前なんだなぁと感心しているうちに、1時間でクスコへ到着。




高度3400メートルの都市。富士山の九合目と同じ高さである、と言っても富士登山がまだの方にはピンとこないね。
ゆっくり富士山を登って行くと身体が徐々に高度に順応するのだが、飛行機でひょいっと着いてしまうと身体はどうしていいかわからなくなり不具合を起こすこともあるので、到着後はのったりゆっくりスローテンポで焦らず慌てず、普段の速度の二倍以上かけて歩いた。

バックパックを背負って階段を登ろうものなら頭がくら~として息切れがする。

そんな訳でクスコには一泊のみの滞在。
銀行で現地通貨を引き出し、マチュピチュの入場券を購入し、次のオリャンタイタンボの村までの足を手配。

オリャンタイタンボはクスコよりもぐっと高度が下がって2700メートル、ここで身体を慣らす作戦である。




インカの大都市クスコ。


空港は小さいながらも設備はきちんとしていた。
当初、クスコには泊まらず空港から真っ直ぐオリャンタイタンボ(Ollantaytambo)へ行く予定でいたのだが、現在マチュピチュの入場券がネットで購入出来ないので、まずはクスコ市内のオフィスに出向いて手配することにした。ならば一泊しようと予定変更。

入場券のネット購入に制限がかかっており、現時点では国内からの購入、及び国内のVISAカード利用に限られている。ペルー国内に知合いが居るか、ペルーの旅行社に頼む以外、事前購入は難しくなった。VISAカードの不正使用が多数回発生した為の策なのだそうだが不便な話。

ピーク時ならばすぐに完売する入場券も11月のオフピークともなると直前でもチケットは難なく手に入る。

言うわけで無事ワイナピチュ山登山付きの入場券を購入。ワイナピチュ山と言うのは、マチュピチュ写真でよく見る後ろのとんがり山の事で一日の登山人数が400人に制限されている。これが人気で売切れ御免なのである。お値段 ひとり152ソル(約4700円)+クレジットカード利用手数料10%。観光地は高いのよ。

さて、空港には迎えを頼んでいたのでドライバーが待っていた。
高地でバッグを担いで宿探しは避けて予め予約を入れておいたゲストハウスへと向かう。無論、高いタクシー代は想定内。

ゲストハウスに泊まるのは久しぶり。個室だがトイレ・シャワーは共同。とても清潔で静か、スタッフも親切ないい宿だった。
Hospedaje Turistico RECOLETA。一泊$24US =62ソル。簡単な朝食込み、WiFi、24時間温水あり。

        

チェックインまで時間があったのでまずはコカ茶のもてなしを受け、銀行へ行き その足でマチュピチュ入場券を買いに。ちなみに銀行ATMで現金を引き出すと一律13ソル(400円)の手数料を取られる。一回に引き出せるのは700ソル(21000円)であった。

ペルーでは支払いはソルかドルの現金払いが一般的のようだ。



クスコの町。思ったよりも大きな都市だ。すり鉢状に町が広がり市外は高い高い丘の上。土砂崩れがあると一発でお終い状態のお粗末な家々が並んでいる。中心部は比較的しっかりした作りの家々。昔ながらの石を積み上げた作りあり、泥壁あり、ブロックやレンガやコンクリの家もある。乾燥して埃っぽい。ゆっくり歩いて中心部にあるプラザアルマ広場へ。



第一印象ですっかり町に惚れた。

観光客で溢れている。ピーク時は凄い事になるんだろうなぁ、この町。

高度のせいで頭が重いが、ゆっくり歩いて身体を慣らす。散歩程度なら何の問題もない。昼食を食べに評判のベジタリアンレストランへ。
たったの8ソル(240円)でスープ、サラダ、メインコースの日替りランチを提供している、しかも美味しい。流石に人気店だけあり満席でテーブルを譲り合って詰めて座らせてもらう。隣はオーストラリア人の女性二人。クスコは二度目だそうだ。今回は高度に順応出来ずとても辛いとこぼしていた。

広場からマーケットへ。
肉屋の店前は凄い事になっている。豚一頭どで~ん!、牛の頭が皮を剥がれた状態でどど~ん!!と置き去りだし、クイという名の食用モルモット系小動物が走り回っている。大きなチーズは常温保管、手作りの民芸品やら彫り物置物、ローカル向け安い食堂。ひしめき合う店先を覗いて楽しい散歩。石畳、排気ガス。
アウトドアの店もカジノもある。スターバックス、ケンタッキー、マクドナルドもある。何でもあるなぁ~。


すっかり気に入り長い長い散歩のあと暮れ行く中、宿へと戻る。

街の明かりがとても綺麗ね、クスコ~ 。 字足らず。


オリャンタイタンボ


略してオランタ。

クスコから車で1時間45分。
乗合バスだと10ソル(300円)、ツーリストバスだと20ソル。
途中下車なしだと聞いたのでツーリストバスにした。
        

          途中の風景

        


定員一杯のミニバンで田舎道を飛ばして着いたオランタはとても小さな村であった。


当然ながら山に囲まれているが、その山が凄い。
      

インカ時代の遺跡がむき出し(当たり前かぁ)目の前に 『はいどうぞ』てな感じだ。その真ん中に村がある。

      

簡素な泥作りの家々、生活も質素。川の水で何でも洗う。あまり綺麗とは言えないが野菜を洗っている人もいた。水道はきちんと整備されているが。
ほんの少し倉敷に似ている。細い路地に高い石作りの壁、夜はポツンポツンと明かりが灯り、暖かい印象。空には満天の星。

        

マチュピチュへ行く際の通過点で、マチュピチュへ向かう電車の駅がある為、ほとんどの観光客は泊まらず通過するか、ツアーに含まれている遺跡巡りで数時間立ち寄って行く程度のようだ。



小さな村の狭いメインストリートは大型のバスやトラックがこすりあう様にすれ違って行く。

        

それでも我々のように数日滞在する客もいるので 観光客向けのレストランも数軒ある。値段は高いが衛生管理された店で食事をしている。川の水は使っていないそうなんで。


今のところ腹下しはしていないが、常に膨満感がある。すっかりベジタリアンである。

スープはどの店もとても美味しい。





ピスコサワー(カクテル)を飲むなら一押しのハッピーアワーバー

      


四季の花がいっぺんに咲きほこり、皆 挨拶を交わし合う、優しい気持ちになれる素敵な村である。

来て良かったな。



オリャンタイタンボに四泊。

毎日違う場所を走ったり歩いたり。ワン子と一緒に。。。豚もいるよ 

      

小さな村を出たら、周りは畑。とうもろこしやカボチャ、じゃがいもが主流だが、気候が良いので作物はなんでもある。どこも自給自足なんだろうな。
      


              

山は登り放題で誰もいない。無駄に山なんて登る暇人は存在しないんだろう。

      

         

   オランタの遺跡 聖なる谷
        


     ウルバンバ川(別名インカ川)渡しの筏に乗る 船頭さんは中学生かな?

      



カプチーノコーヒーがすこぶる美味しい店があり、朝食は決まってそこに、それ以外は儲けの全てを近隣の恵まれない人達に寄付しているボランティアの店で食べた。食事はどれも美味しく量もたっぷり、野菜もたっぷりでペルーの食事は評価高し。



オランタの宿はネットで予約、着いてみたら拡張工事中で、「休業中か?」と第一印象が非常に悪く、せっかちな奴豚は早々に引っ越ししたそうな勢いだった。


庭を見渡す部屋自体は清潔で、時間は限られているが暑い湯が出るし静かな立地で、牛美には満足の宿であった。

WiFiが弱いのが唯一難点、夜は接続を切られて、奴豚の怒りが頂点に達する。「ここが気に入らないなら他所へ行けば」とまでご主人に言われた初日であったが、、、


、、、が、実際のところ 今ではオーナー夫妻家族一家とは大の仲良し、人間関係はどう転がるかわからない。魚心あれば水心なのである。

WiFiの電源を切るのもルーターが過熱しない為の措置で、今では必要とあればいつでも勝手に電源をいれてくれと言われている。早朝走りに行く奴豚の為に、ガス湯沸かし器のスイッチも奴豚が出掛けたすぐ後につけてくれている。英語を話す息子達からは色々な情報を貰っている。
働き者の嫁達、寡黙な母マリア、実直で頑固な父フェリックス、素敵な一家である。



クスコへ来る迄、マチュピチュ計画には随分時間を割いた。
電車の予約と入場券の手配は同時にせねばならぬと散々聞いていたし、雨季に入るこの時期、せっかく手配した日が土砂降りだったら滞在を延長して 長期戦か?とも思っていたからである。

  遥かマチュピチュくんだりまで来て、雨や霧で何も見られないのは悔しいではないか。ワイナピチュ山に登れないのも残念じゃないか…


     で、実際にクスコに来てみれば

ピークシーズンを外せば何の心配もいらなかったのである。
           そんなもんさね、だいたい何事も。

予算に制限がなければ電車の席はなんとでもなるし、マチュピチュ入場券もワイナピチュ山にこだわらなければ当日でも購入可能。



バックパッカーに人気のマチュピチュへ安く行くルートも雨季前であれば楽にアクセス可能。

安いルートの簡単な説明:
クスコ(またはオリャンタイタンボあるいはウルバンバ)⇄サンタマリア間 乗合バスのコレクティーボ
サンタマリア⇄サンタテレサ 間も 乗合バスのコレクティーボ
サンタテレサ⇄水力発電所(ハイドロエレクティコ)間も乗合バスのコレクティーボ
水力発電(ハイドロエレクティコ)⇄マチュピチュ  徒歩または電車

通常一日かけてこの方法で格安でマチュピチュへ辿り着ける。
多くのバックパッカーが利用しているので乗合バスも楽につかまるそうだ。
雨季で道路や橋が崩れない限りは…



我々は楽チン電車利用。それくらいの予算はあるぞ。
何本もある電車の中でも最安値を利用。片道ひとり45ドル(3600円)
車内で飲み物とつまみのサービス付き2時間弱、ウルバンバ川沿いのガタゴト線路をのんびり堪能なり。

      

さて、オランタ発のマチュピチュトレイン会社の12時36分を購入してあったのだが、三日前に窓口に確認に行くと、前日に再度確認に来てくれと不安な事を言われる。何故に?と聞くと「時間変更の可能性あり」なんだそうな。。。う~む、マイナー会社だからか? メジャーなペルーレイル社にしておくべきだったか?  ま、なんとでもなるさと気楽な牛美と変更に対処し辛い奴豚は憤慨気味。


結局、前日確認に出向くと、我々の便はキャンセルで、他の会社インカレイルに振り替えされていた。「インカレイルの方が高いんだ、へへっ」とほくそ笑む牛美であった。

従来の予定より早めにマチュピチュ入りだ。




昼前にマチュピチュ村 アグエスカリエンテスに着く。



電車が到着する頃、駅には宿の客引きがごまんといるから宿の心配や予約など必要ないと誰もが言っていた、他所様のブログにもそう書いてあった。

     ので、無論予約なしで来た。




が、駅まえには だ~れもいなかった。客引き? どこに?

淋しく奴豚と歩き出す。目星をつけておいた一軒目…  どうやら休業中のようで鍵がかかり誰も出てこない。
ふぅむ…   次行ってみよう、で 二軒目。値段を聞いて、さらに次へ。
三軒、四軒、五軒と部屋を見て歩き、二軒目に値段交渉してチェックイン。
どの宿もピークシーズンの疲れがでたか、ちっとも熱心さがなく「泊まるの? 面倒臭いな」的な表情であった。

バストイレ付きツインルーム、朝食付き、24時間温水、WiFiは夜10時まで、で60ソル=1800円也。駅のそば、裏道なので静かだ。
朝食は朝4時半からサービスしてくれるとの事、マチュピチュ観光は朝が早いのでこれは嬉しい。


小さなバックひとつで来たので身軽。チェックインしてすぐ散策へ。
まずはマチュピチュ遺跡行のバス乗り場チェック。
毎朝雨が降っているので 徒歩で遺跡入口へ登る価値を感じられず迷わずバス券を購入。


村は 日本のどこか田舎の温泉地のようだ。
実際アグエスカリエンテスとはスペイン語で アグア=水 & カリエンテ=熱い そう!熱い水。その名の通りの温泉地である。ショボい温泉が一軒ある。
ウルバンバ川(別名インカ川)が中心を流れ 川沿いに店、線路が通っている。建物は粗末で色はチグハグ、一見するとボロボロの村だなぁ。

これがマチュピチュ村 アグエスカリエンテスの第一印象である。






いざマチュピチュへ


ワイナピチュ登山希望者は事前予約制。
午前7時と10時の2回に分け各200人ずつの登山を許している。
我々は天気を予想して10時の回を買った。

それに合わせて遺跡入場時間も計画。
  … とか大そうな事を言わなくても、11月ともなると入場前から長蛇の列なんてことはなく、バス乗り場でも待つ事なくスムーズに山のてっぺんの入り口まで行けた。
ゲートが開くのが5時なので一番乗りしたい人はお早めに。


バスを降りて15分程度は並んだが、6時には既に遺跡内に入る事が出来、深い霧の中、幻想的な遺跡の見学が始まった。



マチュピチュは山の上にある。実際 に来てみると本当に高い所にあるんだなぁと実感する。

まして霧だか雲だか 周りが真っ白い靄に霞んでいるとまさに天空の遺跡にふさわしい感じ。








遺跡巡りは階段ばかりなので健脚でないとくまなく巡る事は難しい。インカの人達はよっぽど丈夫で頑丈な脚を持っていたのだろう。



        

神殿、住居部分、炊事場、倉庫、牢屋、天体観測所、150世帯、約500名程の人達が住んでいたのだそうだ。今だに謎が多く、今後も新しい発見がなされて行くのだろう。

        


遺跡は立派に保存、整備されており、監視員やガイドにより 観光客がアホな事をしないよう注意している。



ワイナピチュ登山に合わせてまずはざっと廻る。
いい具合に段々と霧が晴れ始める。10時にしといて良かった。
7時では霧で何も見えなかっただろう。
案の定、7時の回の登山者達は雨と霧で濡れた登山道が危ないという事でぐるりと回る事が出来なかったそうだ。なかなか下山出来ずに10時の回の登山開始が遅れて 並んで待った。






さて、我々の番。

階段ばかりの登山道をよいしょよいしょと登って行く。
普段運動していない人にはかなりキツイだろうが、こちとら鍛えてますと言わんばかりに嫌味にグイグイ登って30分で登頂。

別に偉くも何ともないけど自己満足。




   上からの景色だが、ちょっと遠すぎ…
        晴れて綺麗に見えた事が何より嬉しい。
        




食べ物の持ち込み禁止だが、丸一日過ごすのだから飲食物は多少持ち込んだ。

前日マーケットで買ったパンとチーズで簡単に昼にする。
皆さん同様に腰掛けて似た様なランチタイム。
多少ならばお目こぼしあり。

マチュピチュでランチ、考えただけで贅沢、味は何でも構わない。




ゆっくり休み下山道へ。これはちょいとスリルな急階段。幅が狭く踏み外すと真っ逆さまの怖さあり。ここで初めて奴豚が高所に弱くなった事を知る。これを加齢と呼ぶのである。以前は何でもなかった事が段々出来づらくなる。牛美も同様に滑る事が怖くなって来た。高い所は大丈夫なのでスルスル降りて奴豚を待っていた。


さて、改めてもう一度 ゆっくり見学しなおし。
霧の中と霧が晴れた後では また違って見える。


途中、雨。色々な天気のマチュピチュが見られた。

       




    夕方 インカ橋へ。

     恐ろしい所に橋作ってますね。

        蜘蛛ですか?インカの人達は。







      こちら側からの景色が一番綺麗だと思う。
  
             

マチュピチュ閉園は5時。流石に人も少なくなりシーンとした園内。
リャマの母子は夜に備えて小屋に帰る。それにしてもリャマの子供の愛らしさは言葉に出来ない。いいなぁリャマ。

約10時間過ごして、それでも少々名残惜しく 帰りのバスに乗る。
あっという間で夢を見ている様だ。
遠い遠いと思っていたマチュピチュ探訪が静かに終わった。


マチュピチュは霧があった方が断然神秘的幻想的で綺麗だと強く主張する。11月はオススメよん。




沢山写真を撮ったのでアップしとこうっと。




マチュピチュへはインカ道を歩いてくる事も可能。
インカ道とは誰が名付けたか知らないが、マチュピチュへ通じる山道のひとつ。他にも山道はあるのだが「インカ道」という名前が今やブランド化、超人気で予約は何ヶ月も前に埋まる。と言うのも一日に山道へ入れる人数制限があるからである。
約45キロの距離を四日かけて歩く。荷物は荷役が担いでくれるので飲み水や雨合羽程度を自分で持てば良いそうだ。荷役が先回りして全食事とテント設営をしてくれる、王様のようなトレッキングである。
ガイド付き、マチュピチュ入場料付き、帰りの電車付き、お値段はまちまちだ。

本来、健脚ならば二日で歩けるコースらしい。ガイドに言わせると、自分達は一日半で歩くが、お客様は飲んだり食べたり写真撮ってお喋りしてと、止まってばかりで先に進めない、のだそうだ。

トレッキングをしてみたいのはヤマヤマであったが、我々は自分の荷物は自分で担ぐ。自分で担げない山歩きはしない主義なのでインカ道には縁なし。
名もない山道を勝手に歩き回って充分楽しんできた。



  翌日の帰りの電車はメジャーなペルーレイル。

       

インカトレインの方が窓が開けられ、サービスの飲み物も菓子も良かった。

ペルーレイルのエクスペディションというバックパッカー専用車両だから、質が落ちるのかも。

まぁ、楽にオランタまで戻れるのだから文句なんてない。







オリャンタイタンボには素晴らしい遺跡がいくつもあるが、最後の最後まで取っておいた残りのひとつへ。




もちろん ここも階段ばかり。登って下りて。。。

が、登る価値ある素晴らしい光景。
まずは 入口周辺。





火、水、土、風   四大元素を元に都市が築かれている。
感慨水路はどの遺跡も素晴らしい造りだ。
        




こんな階段を見ると やはり登りたくなってしまう。

ついつい、次へ次へと はーはー言いながらも登り続ける。






インカ遺跡は石ばかり。緻密に組合わされた、ナイフでスパッと切ったような、パズルのような積上げ具合は芸術と不思議の域。

      

      




写真右)

回り込んで左上の遺跡までえっちら登ったはいいが、、、

石ころだらけの急斜面をズルズルとまるで雪崩か土砂崩れのように下ってきた。

後から見上げて呆れた。。。






オランタ最後の夜は村で一番と評判のレストランで食事。



写真上左 :ピスコサワーカクテル 右上:ブリトー …… 写真下左:アルパカ肉のステーキとほうれん草のピューレ



オリャンタイタンボから乗り合いバスでクスコに戻る

田舎は簡単。電車の着く頃合いを見計らって 駅付近で荷物を持って立っていれば必ずクスコ行きのバスの運ちゃんが声をかけてくる。
あとは値段交渉して乗るだけ。
ちなみに 我々は一人10ソル。

予約してあるAir B&B宿へ

大邸宅だが古い。床がギシギシするが不思議とその音が心地良い。
素敵なご夫婦で、接客熱心なご主人とさりげなくほっておいてくれる奥様がいいコンビネーション。部屋は狭いが清潔。毎日掃除してくれる。

プラザアルマスという中心からすぐ、警察の隣で立地抜群なり。





   クスコに着いてまず 郵便局へ。

     こんな立派なポストに絵はがきを投函。

           腕 噛みきられそう??





ボレトツーリストカード(BOLETO Tourist Card) という10日間有効 遺跡と美術・博物館巡りチケットを買ったので、元を取らねば と 早速クスコ近郊へ出かけた。

このカードには10箇所の遺跡と6箇所のクスコ市内の美術・博物館が含まれており、個別に入場券を買うよりずっと得なのだが、買った以上はいかねばならぬと…… 結構忙しいのだ。



まずはクスコの南、TIPONPIKILLAQTAを目指す。

PIKILLAQTA (ピキラルタ): 行き方は URCOS 行のコレクティーボバス乗り場(町の南側)から乗車。2・25ソル(70円?) 約50分程度で着く。。予定が、途中検問で停められ過剰乗車を注意され 立っている乗客が数人降ろされ 遅延なり。何時ものことの様で皆慣れっこ。

遺跡近くの道ばたで降ろしてもらい、遺跡らしき方向へ歩いて行く。

チケットにハサミ入れてもらい入場。誰もいない。。。。。

      

ここはインカ以前の遺跡。マチュピチュが建てられたのが1500年頃なので、その前の遺跡。石の積み上げ方に緻密さは見られないが それでも真っ直ぐというのが凄い。

      

        城壁は二重。中には住居跡と思われる遺跡。
        快晴で 周りの景色が綺麗だ。


さて、次はTIPON(ティポン)へ行くのだが ティポンはクスコ名物クイで有名な場所。話の種に食べておいでと言われたので、クイテリア(クイ専門店)を覗いてみた。


      


クイ = ハムスター/モルモットのような小動物である。
それを丸焼きにして食すのである。

我々にはグロテスクに見えるが好きな人は好きというヤツである。
食べる部分はあまりなく、全身そのままなので 食べるには勇気がいるかも。味は乾いたウサギか鶏肉的、皮はゴムのよう。
付け合わせには 茹でたジャガイモ、パスタ等。ミントソース付き。



TIPON:行き方は ピキラルタから路上でバスを拾い、ティポンで降ろせと頼む。運賃1ソル(30円)
クイテリアが道の両側に見え始めたら そこがティポンの停留所。
タクシーが待っているので値段交渉して遺跡まで行くのが良い。我々は8ソルにて片道のみ。帰りは下り坂なので徒歩なり。

      

ティポンは12段からなる段々畑が美しい。感慨水路設備も見事。
水が流れる爽やかな音を楽しみながら 山の上を目指そう。

            

山の上に登ると 如何に貴重な水資源を全ての田畑に行き渡らせるか、その構造が全て解る遺跡が見られる。
景色も良い。


      



インカの遺跡にはこんな階段がどこにでもある。

素敵な階段というだけでなく、それぞれの設置位置が憎い程 調和がとれてシンクロされている。



また今日もひと山登って いい具合に疲れ、バス停までトボトボ歩いてぐったりと。。。バスに乗ってクスコに戻った。






本日も遺跡巡りなり。

クスコ近郊の四カ所を一度でまわる。
当初 二カ所の予定が馬で回らないかとのセールストークに牛美がなびいてしまったのである。

だって、70ソル(2100円)で3時間乗馬って言うもんだから。。。それを50ソル(1500円)に思い切り値切ってスタート。(馬二頭だよ、格安~)

      


まず向かったのは プカプカラというインカ時代のミリタリーヘッドクオーター。
 関所でもあり兵隊参謀司令室と倉庫

Pukapukara(プカプカラ)


10分程ぐるっと回ったらそれで終わり。

あまり感心して見る程のところはないので 次へ。







Tambomachay(タンボマチャイ)とはインカ語でリゾートの意味。
水が豊富であったのだろう。幾重にもなった水場と綺麗な山に囲まれた静かな場所。クスコからすぐなので 憩いの場所であったのかもしれぬ。


      


遺跡を見た跡はまた馬に跨がり 次のケンコを目指すが、、、
値切ったからか 途中寄る約束だった”月の神殿”をすっ飛ばされて、牛美が抗議
困った顔の馬番君、仕方なく戻ることになり 月の神殿を回ってから 三カ所目の遺跡 ケンコへと。




Q'enqo(ケンコ)
ここで下馬。馬番君は嬉しそうに二頭を連れて厩舎へ戻って行った。

Q'enqoとはインカ語で”迷路”の意味だそうだ。
一枚岩の大きな遺跡で 儀式に使われたであろう跡と地下深く穴が掘ってあり 地下世界への入口だったと言われている。

日が射さない岩の合間は気温が低く夜は零下になるので、生ものの保存場所にも使われていたそうだ。
      



Saqsaywaman(サクセイワイマン)

家主がサクセイワイマンと発音出来ない奴豚に「セクシーウーマン」と言えば良いよと教えていた。  座布団一枚!

サクセイワイマンはクスコのすぐ町の上、徒歩で行ける遺跡。
広く立派だ。遺跡保存も良く石造りの積み方も素晴らしいパターンが見れる。
最も大きな石が70トンもあると言うが どうやって積み上げたのであろうか。

      

競技場や集会所のような遺跡もある。
連日沢山の人で賑わっている クスコ観光のハイライトでもある。


      



遺跡内にリャマやアルパカが放牧されているのは草を食べてくれるので草刈りの手間が省けるからだそうな。


ふわふわ~~







ここ、セクシーウーマン遺跡からはクスコ市内が一望。メイズのような積み木の様な 美しいクスコの町。







PISAQ (ピサック)を訪れるなら 日曜がいい。


この近辺で最大級と称されるローカルマーケットが開催されるからである。




近隣の村から各々特産品や農作物を背中に沢山背負った明るく元気な女性達が集まって、賑やかに市が始まる。

新鮮野菜や肉、魚の露店を囲む様にアルパカ土産物屋、彫物置物、敷物飾り物、ありとあらゆる店が軒先を並べる。青いビニールシートが風に揺れる。

      


部落ごとに衣装が違うのかな? 色が鮮やかだ。
皆、帽子に花を飾って 色もコーディネートして とてもお洒落。
どんなに年を取ってもフレアースカート。御年配も大きく重そうな荷を背負って 一歩一歩ゆっくり歩いている。


      

この日は 屋外仮設ステージで 歌の披露あり、ファッションショーありで出演者は拍手喝采を浴びていた。

観光客よりローカルの皆さんが一番楽しんでいた様子が素晴らしかったなぁ。

          


     さて、午後からは遺跡に登る。
          遺跡巡りとは 別名「山登り」である。


何処も山の上の上にあるので、せっせと段々畑を見ながら高度を上げる。

      

ピサックの遺跡はだだっ広い。上に登りつめたかと思ったら、今度は先へ先へと進む。
山の頂を回り込み段々畑はあちらにもこちらにも作られている。

      

儀式に使われたであろう水場や住居跡。

           

要塞もある。
ぐるりと巡るには健脚でなければならない。インカ遺跡はどこもそうだが…。。

      

マーケットが5時に終わるので、それまでには下山予定でいたのだが、意外に広い遺跡に時間がかかってしまい、下山は走って下りてきた。
下りは易し。楽しいランニングであった。

帰路はピサックのバス停でクスコ行のコレクティーボをつかまえて、2・20ソル払って戻るなり。



昨夜、11月11日、ピサックから戻り、その足で夕飯へ行ったのだが、
連日 口にいれる物には気を付けていたのに、サラダに食当たり

レストランは観光客向けのお高めの場所を選んでいるのだが、この夜の店は駄目であった。

Trip Advisor(トリップアドバイザー)にも上位に選ばれているJack's Cafe (ジャックスカフェ)で地中海風温野菜サラダを食べた。温野菜というところがお腹を気遣っている事実が判るだろう。

  ……が、温野菜の下に敷いてあった大量の生レタスが犯人だったのだろうと思う。

宿の奥さんが、「レタスは避けた方がいいのよ、」と翌日教えてくれた。

その前の夜にも生サラダを食べたが、その店は大丈夫だったので つい気を許してしまった。



    12日は終日 起き上がる事が出来ず 寝ていた。
      水とコカコーラで一日過ごす。
家主が淹れてくれたフレッシュミントティーがスーッとしてありがたかった。

                   そんな訳でブログが滞っていたのであります。





腹具合は上向きながらもまだ全快には至らず。
いったいレタスにどんな菌が付着していたんだか。

そんな訳でお腹に力が入らないので 13、14、15日とクスコ市内に留まって市内観光。

ボレトツーリスティコカードに含まれている美術館や博物館は全く迫力も面白みもないヤツばかりで ささっと終わってしまった。
唯一、カルチャーダンスショーはである。




  丘の上に立つ クリストブランコ (白いクライスト)

     前にあるのは照明装置である。
     夜は闇の中に白く浮かび上がる。
   高い丘の上に 浮いているようにも見える。







  丘からプラザアルマスを見下ろす。

   中央にある緑のスクエアがプラザアルマス。




11月16日


ボレトツーリストカードの有効期限の最終日。(有効期限は購入日を入れて十日間)
体調 復活したので(と言うか、お腹の不安が消えたので)乗合バスのコレクティーボに飛び乗りムライを目指す。

ウルバンバ行のバス停で「ムライへ行く?」(その手前の)「マラスへ行く?」と 何度も車掌に確認した。ひとつ返事で「行く行く」と言う。
しつこく聞く「本当にマラスまで行くの?
笑いながら「シーシー」(シーとはスペイン語でYesの意味)と頷く車掌。
客の女性が後ろで首を横に振っている。 ほら、やっぱり 行かないんじゃん。。。内心思った。

スペイン語が堪能じゃないから仕方ない。
大体予想はつく。車掌が行くと言っているのは、あながち嘘ではないが、多分マラスへ行く道の交差点で降ろされるんだろうな。… で、その通り 交差点で降ろされた。
でも車掌の男の子はちゃんと我々の事を覚えていて、停留所に近づいた時に もうすぐだよと教えてくれたのだから、悪気があったわけではないのだ。

さて、停留所から我々の目指す遺跡 ムライまでは、まだまだ遠いのである。
マラスという小さな村を抜けて延々と未舗装路を行かねばならぬ。距離にして14キロ。
走るか? と 思ったが遺跡巡り前にぐったりしそうだ。。。そこからサリナレスという塩田へも行くとすると、さらにプラス10キロ。

タクシーの運ちゃんと値段の交渉をしていたら、タイムリーにチリ人カップルがやってきたので、四人でタクシーをシェアすることにした。

サリナレスとムライを回って戻ってくる行程で四人で70ソルと言う。
「さっき二人で50ソルって言ったよねー」と突っ込むと、60まで値を下げる。もう一声、と言いたいところだったが、一見して極貧バックパッカーのチリ人の若者が「相場がそんなものだから良いのではないか?」と発言したので黙っていた。『我々は値切りがシビアー過ぎるのだろうか?』

で、行ってきました。が、しかし、宿にカメラを忘れてきた。。馬鹿。(写真はiphoneで撮ったもの)


Salinerasサリネラス : は 山間の塩田


   高台から見下ろすとこんな感じ

   



斜面の傾斜を利用してテラスを作り、山からの水を流し込み、約二週間程かけて日干し、乾燥させて塩を作る。

      

      塩の結晶、自然の美。
          太古からの知恵。
        
山から流れ出る水がものすごーく塩っぱい。海水よりずっと塩っぱい。細い溝を掘って水を塩田へと引き込む。
              何とも言えぬ美しさであった。



Morayムライ:インカ時代の実験的円形段々畑

      
       調和のとれた美しさ。円形の柔らかさに感心。



また乗合バスコレクティーボをつかまえて次の遺跡、チンチェロへ。

Chincheroチンチェロ : 過去、インカの要塞だった跡地に建つ教会が有名。




物凄く古いが内部はほぼ当時のままの姿なのだそうだ。
今まで訪れた教会の中で最も胸うたれる場所であった。

撮影禁止のため写真なし。一見と言うか訪れる価値あり。



外には遺跡、段々畑。

子供達が楽しそうに岩の上で遊んでいた。



サリネラス、ムライ、チンチェロ、写真を見た時点で実は見なくてもいいや、と思っていたのだが、実際我が足で訪れてみて、写真で見るのとは大違いだと強く思った。
どんなに素晴らしい写真でも映像でも写しきれない何かがある。それは[来ればわかる、来ないとわからない]ものなのだろう、きっと。




主だった遺跡はほとんど回ってしまった。
同じ遺跡に二度行きたいか?と言うと、それほど深い興味があるわけでもないので、クスコ市内をぶらついている。

      

クスコでは珍しいランニングイベントに遭遇。4キロのダウンヒルコースのようだった。

        
 

            




12角の石や14角の石を見に行ったり、教会を覗いたり、アウトドアショップをひやかしたり…

          角が12の石               こちらは14
        

こんな風に納まっている。          普通の石壁だって十分綺麗だ。
    


天気も不安定で 急に雷、稲妻、大雨が降るので、出掛けてもすぐ宿に戻ったりだ。

15日に二軒目のAir B&B宿に引っ越した。
一軒目は立地抜群だったのだが、予約が7日間しか取れなかったのだ。
移った二軒目は、部屋がとて~も広く、中心から少し離れるが静かで、これまた快適。


     プカラ(レストラン)の土曜昼限定の和定食:本日は角煮定食なり! 完食。
      



12月2日にフルマラソンを控えているのに、牛美はまったく準備をしていない。

奴豚はちょこちょこ走っている。オランタでも走っていたし、ここクスコでも朝に晩に走りに出ている。が、何故か走る気になれない牛美である。
観光で忙しいとか今後の計画を練るので疲れるとか、高地であるとか、腹下ししたとか、まぁ 色々。。。
クスコではたった一回だけ、8キロだけ走った。

走る気になれない者を押しても引いてもダメなので、次のマラソンは[準備をせずにフルマラソンを走るとどうなるか?]という体験リポートをしたいと思っている。

乞うご期待。







11月19日はクスコでの一軒目のAIR B&Bの家主の誕生日に招かれていた。

既にチェックアウトして別の宿に移っていたのに、是非来てね~と念押しのメールも頂いたので、嬉々と押しかけて行った。

この夫婦とは初めから心が通って、引っ越し前は別れ難く チェックアウトの前夜(14日)は奥さんの誕生日も兼ねて(夫婦共に誕生日が近いんだ)ピスコサワーナイトで四人で盛り上がってしまったのだった。


この夜の旦那さんの誕生日も 多分四人でピスコサワーかな?と軽い気持ちで来てみたら、なんと親しい友人達も集まり ちゃんとした誕生会の支度がされていたので、焦って 外のリカーショップへワインを買い出しに行った。 手ぶらじゃねぇ~~~、いくらなんでも。

一天にわかにかき曇り、大粒の雹が降り始め、ワインを抱いて走って戻った。ずぶ濡れじゃ。。。

素敵な夜だった。

古いが立派な屋敷の滅多に使わない大広間に皆でワイワイ集まり、一緒にピスコサワーを作った。すっかりマスターしたぞ、ピスコサワー。

記録映画の撮影にも利用されたという年代モノの立派な居間、クスコ生まれクスコ育ちの旦那さんは我々と同年代。英語とスペイン語で笑って語って、バースデーケーキを頂いて、お暇する時はすでに寂しくて、、、あったか~~い宵であった。

人と人の関わり合いというのは素敵であり、不思議でもあり。。。





3週間過ごしたクスコ(マチュピチュ&周辺を含む)に別れを告げる日。
11月21日、スターペルー機で午前のうちにクスコを離陸する予定が、、、 … …。

いつ迄たっても飛ばない。 と言うか 飛行機が来ない。

リマから来るはずの飛行機が軒並み遅延。大手のラン航空、ペルー航空、タカ航空、我々のスターペルー航空、全ての航空会社が遅延で、小さなクスコ空港ターミナル内は人で溢れて、座る椅子さえ既にない。ごった返す出発ゲート。

ま、そうこうするうち、2時間遅れで無事リマへ飛ぶ事が出来た。文句ない。
さよならクスコ、ありがとう。もう来る事はないかもしれないが、いい時間を沢山貰った。

1時間10分のフライトはアンデスの山々を見ているとあっという間であった。



余談:インカコーラの味はいまひとつ… 学生の頃、駄菓子屋に置いてあった 量が多くて安かった炭酸ジュースにちょっと似ている。(チェリオだったか?? まだあるのかな、チェリオ)

忘れていた。



クスコには ”小股の切れ上がった”  白バイガールズがいるのである。

思わず、姉さん!と慕いたくなるような、毅然とした悪を許さじ という凛とした態度と、バイク用のびた~~っ!としたタイツが腿に張り付き黒のブーツにキチッと編み込んだ髪といい、サングラスといい、ともかく格好いいのだ。

白バイだから主に車道の取り締まりをしている。
バイクを路肩に停めて次々と車を脇へ寄せさせて証明書を確認している。有無を言わせぬその生意気そうな態度、見ていて小気味良い。

クスコの道路交通整理も見かけたのは全て女性であった。


いいなぁ、あのタイトなタイツ。。。


女性が制服をビシッと着こなしメイクをすると戦士が戦闘準備を整えたような気迫があって好きだ。



アレキパで を探していた。


小パックにつけていたダイアル番号合わせタイプでTSA(アメリカ運輸保安局)認定の高級品だったのにワイヤーがプチンと切れた。

           安宿・安旅に鍵は必須である。

で、相当数の店を当たってみたが欲しい鍵は見つからなかった。

そもそもダイアル番号合わせ式の鍵がない。
スペイン語で何と言うのかも分からなかったが、鍵屋で鍵を指差し「番号のヤツ」と手振りで説明したら直ぐわかってくれた。
牛美はいつもジェスチャーである。これが自分で言うのも何だが 的を得ていてまず100%解ってもらえる。ジェスチャーゲーム大会に出場したらば、高得点を獲得出来ると思う。。。


   話を戻そう。

この番号合わせ鍵をスペイン語(と言うか、ラテン語)で何と言うかだが、「コンクラーべ」なんだそうだ。面白くない? 番号合わせの「根くらべ」。


そういえば 「ダビンチコード」にも出てきたな、コンクラーべ。
確かローマ法王を決める教皇選挙だったか何かで、長引くと三日もシスティナ礼拝堂に籠もる、これもかなりの根くらべ大会の意味合いがあった気がする。


正にそのコンクラーべが開催されんとしているわけだな、バティカンでは。



教会つながりでもうひと話題。

アレキパには素晴らしい修道院があるので見学に行った。

      

長い歴史のある由緒正しき修道院。

現在でも30名ほどがひっそりとここで暮らし、祈りを捧げているという。

     

美しい回廊がいくつもあり中庭、菜園、墓地、台所、かつて歴代の修道女達が暮らしていた部屋も公開されている。

          写真上の中央は 洗濯場     右は 質素な部屋。

    ベッドと祈りを捧げるスペース。身の回りのものを保管する箱一個と椅子。
我々は 物に囲まれて、物に埋もれて日々の暮らしをおくっているが、本当に必要なものはほんのわずかなのではないか。。。… と そんな事を思わせてくれた。



アレキパは長居したくなるいい町だが、アレキパを訪れる外国人旅行者のほぼ100%はコルカキャニオンCOLCA CANYONへ行くのが普通だ。


御多分に洩れず我々もコルカ渓谷へ向かった。

早朝のアレキパ郊外も走ってみたが 世界で最も深いという渓谷を駆け回りたいーというのが本音である。渓谷には数知れぬトレイルがある。

コンドルの生息地としても有名だ。コンドルが舞う渓谷を何処までも何処までも走って行こうじゃないか。


午前3時、迎えのマイクロバスに乗る。
市内を回って集客し、バスは渓谷へ向け出発した。

渓谷入り口の村まで約4時間弱。25分の朝食休憩の後、コンドルが多く見られるという展望台へとさらに渓谷の奥へ入って行く。

雨季の今は、なかなか巣から出てこないらしいが、見ることが出来るか? 渓谷を舞うコンドル達。
朝のうちがいいらしく、展望台にはスズナリの人人。。


   あ、いた。

        
      飛んでる。。。        音もたてず悠々と。。。



コンドルの美しさは サイズも立派だが、羽ばたきする事なく舞う美しさにあると思う。


      

一羽だけだったが 姿を見ることが出来た。






バスはさらに渓谷の奥のちっぽけな村へ。
ここが我々の目的地。

カバナコンデ Cabanaconde 村で下ろしてもらった。



 窓からの景色(拡大クリック可能)
 ブリキ屋根の掘ったて小屋ばかり。



  山小屋に毛が生えた程度の簡素な宿は連日の雨で湿って寒かった。
    隣の庭には子豚と足を怪我した黒い子ヤギ、白山羊二頭。
      早朝から雄鶏がしつこく朝を告げてくれる。




早速、翌朝走りに出る。村を出て振り返ると霧が村を飲み込み始めていた。
       


コンドルの展望台から村まで16キロメートル。
ほぼダウンヒルを駆け下りてきたが、途中で霧に覆われて何も見えなくなってしまった。

霧の中から馬や牛やロバが走り出てくるのを追いながら避けながら 村へ走って戻った。







カバナコンデCabanaconde は 本当に小さい小さい村だ。


インターネットなんてない。各家庭には設置されているかもしれないがWi-Fiありの宿は村に一軒のみ。唯一の高級ホテルにあるだけだ。
我々の宿にはテレビも電話もなんにもない。バストイレは共同。お湯は出る。


二日目も早朝ラン。奴豚はトレイルへ、牛美は田舎道へ。
  ふと見上げると上空を コンドル が舞っていた。 あぁなんて素晴らしい。
     コンドルと一緒に何処までもどこまでも田舎道をかけて行った。


雨季のお陰で 毎日決まって午後2時頃から大雨になる。午前中は快晴なのだが。

こう激しく降られては どこへ行く事も出来ず、狭く湿った部屋のベッドの上で「寒いね」と言いながら本を読んだり写真の整理をしたりと 長い午後の時間を持て余していた。
村には気の利いたカフェなんてもんはないから部屋にいるしかないのである。

    そこで カバナコンデを二泊で出て、ちょいと大きめの村へ移動した。

チベイChivayという渓谷の入口の村。
カバナコンデより遥かに大きくレストランも沢山ある。

宿は数軒歩いて廻って なんとWi-Fi付き バルコニー付き 眺望付きの素晴らしいホステルを見つけた。ピシッとアイロンのかかったシーツの乾いたベッドが天国のようだ。

宿の正面はローカルマーケット。早朝から活気があり 隣の教会の鐘を慣らしに屋根に昇って行く少女の姿が見える。手打ちの鐘である。

中央広場にはリャマの子供をつれた民族衣装の女性が数名、雑談している。なごやかな午後。いい村だ。

           居着きそうだな、ここ。




ここでも毎日 午後は雨。たいてい2時か3時頃に真っ黒い雲が押し寄せてくる。風が強くなり『くるな~』と思うと 大粒の雨が音を立てて向こうからやってくるのが見える。


マーケットは店じまい、にぎやかだったメインストリートには誰もいなくなる。雨の音、雷の音、稲妻が空を引き裂くように奔る。
バルコニーに出て 大自然のショーを飽きる事なく眺めている。



朝5時半 マーケットがにぎやかだ。
   せっかくの晴天は楽しまなくっちゃ、と 我々もトレイルランに出た。

   

    トレイルって なんでこんなに楽しくウキウキさせてくれるんだろう。


アップダウンはきついが 文句ない!
時計も距離も人も気にせず自然と自分。
走る速度が速かろうが遅かろうがそんなことどーでもいい。
走れることが心底嬉しい。そんな時間。



Chivay 三日目


朝日が昇ると 『行かなきゃ。。』 てな気分になる。
午後に雨が降ると思うと余計に晴れの時間は大切に使わねば。

トレイルは四方八方に伸びておりどれを選ぼうかと迷う。


チベイには温泉がある。
温泉というと我々日本国民は露天風呂的施設を想像するのが常だが、海外でHot Spring(温泉)と言うと プールと変わらない湯船である事が多く、味も素っ気もない。
ここの温泉もプールタイプ。浸かる気にはならない。



温泉へ向かう道を選んで走って行った。
村から3キロ地点の温泉施設を過ぎると 
その先 路面は土になり細いトレイルへと繋がっていた。




              コルカ渓谷を流れる コルカ川

      


                気持ち良い朝のひととき
      

トレイルは皆のもの。ロバの親子がくつろいでいる横を過ぎ、  
 この先行き止まり付近で、羊の親子に通せんぼされる。
   鼻を膨らまして怒っていたので回れ右なり。
               


 Chivayのメインストリート。
Chivayの宿なら

Hostel Sol Imperial

:部屋数7、部屋もベッドもリネンも清潔
 一泊40ソルのところを35にて交渉。
 2階の301号、302号はバルコニー/眺望付き。
 部屋でWi-Fiが繋がる安宿は村中を探してもここだけ。

メインストリートにありマーケット正面、プラザアルマ脇、立地抜群。
若夫婦がてきぱきと切り盛りする心地よい宿。
ホステル関連リンクページ




Cabanacondeカバナコンデ二泊、Chivayチベイに四泊。合計Colca Canyonコルカキャニオンに六泊したので、残り時間がギリチョンになってしまった。


予定ではArequipaアレキパからNazcaナスカとPiscoピスコに寄りながらLIMA リマへ北上しようと思っていたが 全て端折ることにした。


まずはチベイからアレキパへマイクロバスで戻った。
帰りの車窓からの景色も素晴らしく後ろ髪引かれること引かれる事。。。 機会があればまた是非訪れたい場所である。



アレキパで二泊。元居た宿に戻り 溜まった洗濯物の整理。
リマへの夜行バスの手配。
今後の旅程の確認と各宿への確認メール等の処理を済ませ、二日の滞在も慌ただしく長距離夜行バスに乗るためターミナルへ向かう。


。。。と、雨で道路が閉鎖されて 出発が遅れるとな。。。
南米だからね。もう、少しの事じゃ驚かないぞ。


リマまで15時間の予定が、18時間になったくらいで 、大した事じゃないさ。

着きゃぁいいんだ、着きゃ。




安いバスに乗ると夜中に盗賊に襲われると噂のペルーのバス事情。
賊と運転手がつるんでいるとの裏話もあり、信頼おける会社のバスを利用なり。

クルーズデルスール社は最高値だが、長距離バスは運転手二人体制。
交代しながら、スムーズな道を快調に進んでくれ、18時間の長旅ではあったが 思いのほか快適ではあった。(流石に疲れたが)

もういい年なんでビジネスクラス利用也。



もうすぐリマに着くって時になって、ふと右腕に痒みを感じる。
蚊か? ブヨか? なんだろう、また刺されたか。二箇所。

特に気に留めていなかったのだが、一晩寝て起きたらパンパンに腫れてしまっていた。

おまけに熱まで出てきた。なんてこった。
ひどい頭痛と熱で まる一日完全休養。


刺されたのが顔や足でなく、腕でまだ良かった。。。と思おう。
だんだん虫刺されの症状がひどくなる気がする。





リマは今回の南米旅中に 何度も来ているのだが いつも乗継ぎ乗換えで慌ただしく 未だゆっくりリマ市内 / 近辺を見ていない。
4月にリマから北米へ飛ぶので、その際 ゆっくり時間を取るつもりである。


      毒虫さされのせいか、熱が上がって頭痛がキツイ。。。

こんな時 我が相棒は頼りにならないので 自分でタオルを冷やし こまめにひっくり返して頭を冷やしていた。

ときおり苦しくて唸っても 奴豚は隣のベッドに座りイヤホンをつけネットでサッカーゲームを観戦していて聞く耳持たず。
いつもの事だ、特に期待していない。自分の面倒は自分でみる。
流石に夕飯は買ってきてもらったが。



           まる一日寝ていた。



いつまでも臥せっているわけにはいかぬ。

夜のラン航空便で リマからサンチアゴへ飛び、さらに夜中に乗り継いで チリの最南端の町 プンタアレナスへ行かねばならぬ。

プンタアレナスから週一便だけ飛んでいるフォークランド諸島行きに乗るためだ。


     3月17日 いよいよ フォークランド スタンレーマラソン。





3月25日。ペルーのリマへ戻った。今回は定刻。

すっかり馴染みになったドライバーのデニスが迎えに来てくれていた。
空港で知った顔が待っていてくれるというのは嬉しいものだ。

前回リマを出発した時はまだ夏だったが、今回肌に感じる風はすっかり秋だ。
走るのには絶好の気候。

ミラフローレスのB&Bはとても居心地が良く プロモーションで値下げ中。





  3月26日。年に一度の あれである。

     ロウソクは四本なり。

ドレスアップして食事に出掛けるでもなし。。。
  (ランニングウェアだし、日焼けしてえらい事になってるし、)



        ご馳走でもなし…

    オードブル盛り合わせ(チーズとハム、オリーブと人参)

シャンペンと赤ワインに ケーキ。以上。
何より嬉しい。

いい誕生日。


3月27日~29日

やっと落ち着いてリマ散策のはじまり。

滞在しているのはリマでも最も治安が良いとされるミラフローレス地区。
海岸沿いの高台を走り、ショッピングモール巡りをする。

朝晩、すっかり涼しい。連日 海からの濃霧で 白いもやもやがあたりにたち込めている。
通年 湿度が高い都市である。

散策と思ったが、イースター休暇で店は休み

期待していたセビーチェ(鮮魚のマリネ)屋も 軒並み休み。
未だにセビーチェを食べる事が出来ずにいる。生だから、もしもの腹下しを思うと長距離移動前やフライト前には食べるわけにはいかないし、翌日腹痛で部屋に籠もれる日にしようと思うと なかなか機会がない。
(と言うのも ビナデルマール滞在中 セビーチェ屋で鮮魚を譲ってもらった事があった。内臓を除いてもらい 持ち帰って夕方調理するまで冷蔵庫に保存。いざ調理と取り出したら 赤いうにょうにょした糸ミミズみたいなヤツが這い出してきていた。あんなヤツ、お腹に入れたくないもんなぁ)

ほぼ毎日、近所のスーパーのデリ食也。



旧市街へ行こうと思いながら、怠惰な時間の過ごし方でなかなか出不精。(特に奴豚が…)    カジノだけはホイホイ訪れるくせに。



牛美は北へ向かう移動手段の手配。

カハマルカとチクラーヨへ行くには、バスだと16時間。飛行機だと1時間半。

安値を優先するか、高くても時短と快適さを選ぶべきか。。。
LC Peruという新参の航空会社が割引していたので、さほど高くない値段で航空券ゲット。
往復US$126ならクルーズデルソル社のバスとは20ドルの違い。
悪くないじゃない?(南米格安航空の難点は往復を買わねばならぬこと)


リマの名所巡りはまたまた後回しで、標高2800メートルのカハマルカヘ飛ぶことにした。(高いとこ好きだなぁ)



29日の昼に LC Peru (ペルーの格安航空会社)から ぽろりんとメールが…


   明日のカハマルカ行き午後便は欠航になりました。。だと…………。


    「 へっ ?? 」 欠航。 ほらねぇ、   だから南米の航空会社は信用出来ないんだ。


ホステルのマネージャーに 電話で問い合わせしてもらう。
  午前の便に振り替えますか?って、他にしようが無いじゃないか。朝1便、午後1便しかないんだから。
朝5時発だと…。 3時半には空港へ行かねばならぬ、早起きは辛いのう。
  それにしても、メールが確認出来なかったら乗れなかったのかーーー。あぶないあぶない


           で、3時半に空港へ行きましたとも。

  
        ちっちゃな プロペラ機。      朝日見たらから良しとしよう。



カハマルカ着は7時前。
もちろん早過ぎて 宿には入れてもらえません。

    いつもながらの南米の空事情。



カハマルカは酪農が主産業。


乳製品が豊富である。町はまだ観光客すれしておらず、おっとりのんびりだ。
中心にあるプラザアルマ周辺に必要なものは全て揃っていて便利。

乳製品 特にヨーグルトやミルクから作る濃厚なペーストを売る店、クッキーやパイ等バターたっぷりのお菓子屋、チョコレート屋と なかなか美味しい町である。



     

プラザアルマから階段で登った所にある教会とそこから町を見下ろす。

   


インカ帝国最後の王がここでスペインの征服者に捕らえられ殺された事で有名である。

クスコから度々この地にある温泉に来ていた王様は入浴中に捕らえられ監禁された。
釈放を条件に、監禁されていた部屋を金銀で満たしたのだが、スペイン人は約束を破棄して王様を殺してしまったそうだ。お陰でペルー人はスペイン人を信用しなくなったという噂ははたして本当かな?

その部屋はランサムルーム(身代金の部屋)として公開されているのだが、我々が行った時はメンテナンスで休み。




インカ文明以前に使われていた 神聖な儀式の森を訪ねる。
クンベマヨ:岩の森(ストーンフォレスト)と呼ばれる場所である。
     

岩の裂け目を通り抜ける。さらに岩の森は広がっている。
    


ここは貴重な水源でもあり、緻密な水路を見る事が出来る。
3千年も前に造られたそうな。
    

丁寧に説明してくれるガイド訳の教授の勧めで 茹でとうもろこしを購入。チーズと一緒に食べるのがこちら風。(とうもろこしの後ろに教授)


写真左)3千年前の地図。
水路設備を示した地図だったのか?マニュアルか?


カハマルカは今 雨季。連日午後から雨。
この日も途中から強い雨に叩かれながらであった。




雨季のカハマルカ


一日中降り続くことはないが、毎日昼頃から決まって雨。
部屋も湿って、小物を洗濯しても乾くまで二日かかる。
やはり雨は憂鬱だ。濡れたランニングシューズを履くのも嫌だ。どうも気合が入らない。


この町の犬達は縄張り意識が強く凶暴だ。
走っているものを見ると人だろうがバイクだろうが車だろうが狂ったように突っかかって行く。歯を剥き出しで挑みかかってくるヤツらを棒で追い払い、石を投げつける。その繰り返しにウンザリで走りに行く気持ちが失せるのだ。


せめて One day One thing (一日 なにかひとつはしよう)と決め行動。

  二日目:標高3千メートルジョギングと市場探索
  三日目:クンベマヨツアー & 散歩
  四日目:ラン航空にて先日の欠航便補償金請求と受取り & バスチケット購入
  五日目:奴豚のみ午前中ランニング。教会巡り & 散歩
  六日目:クンベマヨから町まで20キロラン と 犬との格闘


町中は車やバイクタクシーが交通ルールを無視して走り回っているのでとても走れる環境ではなく、仕方なく山まで上がる。
が、山へ行くと凶暴な犬達が沢山いるので 人里離れたクンベマヨまでわざわざタクシーで行き走って戻って来た。
“岩の森”クンベマヨは標高3500メートル。そこから町まで20キロ下るジョギングは景色も天気も良く楽しかった。
町に近づくにつれ犬が増える。嫌になるなぁ~、バカ犬どもめ。

ウシュアイアの犬達は犬種はシェパードかハスキー系で ガタイはデカイが皆 おっとりして なつっこかったが ペルーの犬達は中型の雑種で 気も小さいのかな?



  そう、ここには本家本元、由緒正しい”インカ道”がある。

クスコ近辺でインカ道と呼ばれているのは 単にインカ時代から使われていた道のひとつだが、ここのインカ道はクスコから王様が湯治に来る為に使っていた 言うなれば「王様の道」。インカの王が台座に乗り往復した道である。(ちなみに 王は自らお歩きになる事はなかったそうで。。)
雨季の今は 日によっては川のようにもなるが。。。トレッキングは可能である。




Ventanillas de Otuzco


カハマルカの町から乗り合いバスで30分程の所にあるVentanillas de Otuzco オツスコの墓跡を見に行った。



カハマルカは遺跡が町から近いので自力で簡単に行けて便利。


時の流れと共に少しずつ風雨にさらされ崩れつつある墓跡。

こんな小さな穴に埋葬されていたのか、北ペルーの墓はコンパクトだなぁ。小さくたたまれ膝を抱える姿勢だったろうと思われる。



そういえば先日、広大な国土を持つオーストラリアでさえ 埋葬方法を立ち姿勢に変え 土地の有効利用をしてはどうかという提案がなされていたニュースを読んだ。火葬の日本も団地のような(または立体駐車場のような)墓があるくらいだものなぁ。
墓ねぇ、、、子供の居ない我々は先に逝ったもん勝ちだな。。。


話がそれてしまった。


オツスコは道路脇にあり 乗合バスは正面でおろしてくれる。
南米のバスは実に便利。何処でも止まってくれる。道路脇で手を上げれば何処であろうと乗せてくれるし、ここやあそこで降ろしてと言えば 目的地の真ん前まで行ってくれる。安いし。時にはぎゅうぎゅう詰めだけど。



また話がそれた。。。


と言うか、あっけなく見学が終わってしまい これと言って特筆することがないのである。

オツスコは、そういうところである。



雨のカハマルカでカビが生えそうだったので チクライヨという町へ移動した。
チクライヨはペルーの北、海からさほど遠くない ほとんど雨の降らない乾燥地帯である。
雨季から乾季へ えらい違い。


バスは 『カハマルカってこんなに山奥だったの?』と再認識させてくれるほど 嫌ってくらいにクネクネ山道をカ~ブカ~ブで標高を下げて行く。下りきるまで約1時間半、すっかり乗り物酔いだ。
下ってしまえばあとは普通のアスファルトの道を無謀な追抜きの連続でチクライヨまで合計6時間。


ペルーのコメどころチクライヨ。
さとうきびと米畑の郊外の風景はまるで東南アジアにワープしたようだ。蒸し暑いし、タイかベトナム風。
この地の米は日本米に味が近いらしい。


さて、町に近づくと 道路脇にはゴミが散乱してひどい事になっている。なんじゃこりゃ この大量のゴミ、なんとかした方がいいんじゃありませんか?
ゴミ処理場がないのか、これが処分方法なのか。。。風にゴミが吹き飛ばされてますけど。



チクライヨは1987年に遺跡が発見発掘され、一躍世界的に有名になった町である

エジプトのツタンカーメン以来の大発見だったそうだ。なにより 発掘された墓には金銀財宝がザックザックだったのだそうだ。その後1991年に発掘された墓にも金銀が眠っていたそうだ。(こっちは日本の調査団とTBSの協力)

チクライヨでは、それらの発掘物を納めてある 立派な博物館見学が目的である。
金銀宝石と人骨、文化の勉強なり。





Chiclayo チクライヨに来たのは遺跡と博物館見学の為。


早速お目当ての博物館へ 乗合バスで行ってみた。


それにしても 名称がシパンとシカンで紛らわしいんだ。Sipan と Sican。

今回行ったのは
Museo Tumbas Reales de SIPAN (シパン王墓博物館)

チクライヨ市内からはバスで20分程度、すぐそこの隣町 ランバイヤケ Lambayeque にある。
このランバイヤケの町というのがこれまた騒々しく 特徴も面白みもない所で、これほど立派な博物館を建築したのならば、もっとどうにかプロモートしませんか?という残念な町であった。
町おこしには絶好の条件なのに 観光客も博物館前からタクシーでとっととチクライヨへ戻ってしまう、全く悲しい素通りの町になっていた。



博物館外観。新しく立派。デザインも斬新。なかなかいいぞ。



カメラ禁止。携帯電話も持ち込み禁止で入口でロッカーに仕舞わねばならぬので内部の写真はなし。
ご興味のある方は各自ご検索下さい。
内容は素晴らしく、英語のガイドさんを頼んで1時間半 充分に堪能させてもらった。
展示の説明文はスペイン語のみである。世界に誇る博物館なんだから英語表記くらいつけてくれてもいいものだろうに。。。 ガイド代稼ごうって魂胆かな? ガイド料は別途30ペソ也。




チクライヨ。 はっきり言おう  "好きな町ではない。"

博物館見学目的がなければ 端折ってしまっても後悔しないかもしれない。が、これも来なければわからないのだ。


遺跡、考古学、人骨、秘宝、ピラミッド、 これらを聞いて心がときめく人には欠かせない場所であるが。

もともと美術館・博物館が嫌いな奴豚には辛い場所だ。

到着当初は「食事の選択も多いし店も沢山でいい町だ」と発言した奴豚も三日目あたりから「リマへ帰りたいね~」と漏らすようになった。
我慢強い牛美でさえ毎日土埃に巻かれ、マンホールから汚水が溢れ出て下水道の臭い漂う通りに嫌気がさし、『カハマルカが雨でもいいから早よ帰ろうや…』という気持ちになっている。



数限りないバイクタクシー(三輪)がブインブインと駆け巡る、ブレーキを踏むことのない車達、狭くガタガタの未舗装路に汚水が乾いて風に舞い身体にべったり貼りつく町中、chaos(カオス)。
屋台で買い食いはゴメンだし、店を選ばないと腹を下す。(既に二回下している)



カハマルカへ戻るバス券は買ってあるし、カハマルカからリマへの飛行機も変更不可なのだ。
ある意味 北ペルーでスタック状態。じっと時が過ぎるのを待っている日々である。
         こうと知っていたらリマに居るんだった。。。

カハマルカもだったが、ここチクライヨも走れない、まともに走れる場所がない。。走っていたら悪い事でもしたんじゃないかとお巡りさんに捕まりそうだ。仕方なく部屋で筋トレとストレッチなり。ビッグサーマラソンはすぐなのに…。…。…。

      



それでも、

もう二度と来ない場所ならば尚更 精力的に見て回る以外にないだろうと、嫌がる奴豚のケツ叩いて博物館めぐり



宿の側に広い広い市場があるので紛れ込んで迷子になったり、暇にまかせて散髪したり。ヘアカット3ペソ110円なり。
ヘアスタイル写真から選んだ髪型にちゃんとなったぞ。満足。


宿は隅々までとても清潔、掃除がいききとどいて親切なのだが、、、

  宿泊客の皆さんは音楽好きのようで、
 朝は6時半から夜は12時までボリュームマックスなのは何故だろう?
ちょと困る。奴豚は怒って吠えてるし。。。

チクライヨは何かと騒々しい町だ。




(この日記をアップした翌日、ナスカで更なる地上絵の発見が発表された。絵は片方が片方の頭を切っているように解釈されたが、上に載せた壁画の写真もちょん切った頭をぶら下げているものである。ガイドによると戦いに負けた側の王はクビを切られたそうだ。)






    博物館めぐり



Museo Arqueologico Nacional BRUNING 

Hans Heinrich Brüning氏の名前を冠したブルニング博物館

ランバイアケのシパン王墓博物館から数ブロックのご近所にある。
ここは主に出土品のセラミック壺類や宝石、金銀細工品の展示。
当時の暮らしが分かるような生活道具や布などの展示もあり。
王の墓から出てきた秘宝類と骨を展示しているシパン博物館とは少し趣が違う。

   やる気のなかった牛美はカメラを部屋に忘れて行ったので写真なし。





Museo Nacional SICAN 

島田 泉 博士が発見発掘し名付けた シカン博物館

フェラニャフェFerrenafe(余計なお世話だが、ふにゃふにゃした名前だ)の町の端っこに建つ。

タクシーやコレクティーボならチクライヨから20分程度。

シカンとは月の神殿の意味だそうだ。TBSの援助により発掘された墓。




骸骨に肉付けする過程

 肉付け完了           で多分こんな外観
           

ここの展示にはレプリカが多いのだが、実物大模型のようで一目瞭然分かりやすくて良い。本物の人骨はシパン王墓博物館で沢山見たからね。 
    


     最大の謎は、この墓から発見された重要人物の埋葬法である。


  逆立ち状態?

 頭は切り離されて置かれていたそうである。謎は未だに解明されていない。
 置かれた両の腕といい どんな意味があったのだろう。




年代的には、シパン王のモチェ文明が古く、その後にシカン文明、そしてインカ文明と続く。チクライヨはインカ文明以前に栄えた土地である。



         
ピラミッドも沢山あるが、どれも普通の丘のようで言われなければピラミッドとは思わない。土れんがを積み上げ築いたてっぺんが平らなピラミッドである。神殿や住居になっていたと思われている。
そんな小高い崩れかかったピラミッドとは思えない山や丘が ここいら周辺に何十とあるのである。


古代の神秘に惹かれる人には 是が非でも来てみたい場所でしょ?
そんな場所にいながら 嫌いだ来るんじゃなかったなどと贅沢な不満は言ってはいけないね。


写真右)は インカ以前の壁画にも登場するヘアレス(毛のない)犬。
博物館をうろついていた。人相(犬相?)悪いけど。。。




チクライヨ から カハマルカへ戻る リネア社バスは午前10時発。

早めにバスターミナルに着き荷物を預けた。
もう思い残す事は何もないぞ。

            カハマルカへ戻るのだ。 『嬉しい』
             たとえ カハマルカが雨でもだ。

二階建てバスのパノラマ席(一番前)に陣取り 6時間強の旅も チクライヨを出ると思うとウキウキする。


バスは小さな町をいくつか抜けて、山が見え始めた。

あの高い高い山のそのまた向こうの山を越えていくんだ。




       




   「 おいら、お山へ帰るんだ   」





4月12日 カハマルカ。

せっかく山へ戻って来たのだからと 嬉々と 郊外から 宿へ10キロのジョギング。


      


おぉ いるいる、バカ犬達。 一匹吠えると ご近所皆んなが吠え始める。
遅れを取るまいと 遠くから走って駆けつけて来る奴までいる。
… が、我々の横を素通りだ??? 訳もわからず 参加しに来たってわけか。間抜けな奴め。
我々も容赦 手加減せずに棒で叩く事にした。向かって来る鼻っ面に一撃。
「キャイーン、ヒィーン」そらみたことか。ザマァミサラセ。


身体が重くて 10キロが辛いぞ。まずいなぁ。標高は2700mではあるが、アイスクリームの食べ過ぎか? 怠けたからなぁ…。。走りながら色々反省。

『もうアイスクリームはやめます。マラソンまで禁酒します…』と心で誓う。





喜び勇んでカハマルカに戻ったが滞在は二泊でリマ行きのプロペラ機に乗り込んだ。

南米で格安航空券を手配すると ほとんどの場合 往復購入が条件、片道の方が高い。で、飛行機に乗る為に戻ってきたのだ。


7時発、ラン航空のジェット機の隣に隠れるように並んでいるLCペルー機。そのあまりの小ささに愛着が湧く。(それにしてもあんな短い滑走路にジェット機が降りられるとは思いもしなかった。)
出発準備も搭乗手続きもすぐ済んで お先に失礼とばかりにラン航空を出し抜いて先に離陸。どーせ途中で抜かされるんだろうけど、あちらはジェットだもん。


プロペラ機の楽しみは飛行高度が低いので地上の景色が良く見えることではないだろうか?

8千メートル程の高さからペルーの山々を眺める。
すごい山々だ。さらに凄いのはその山の峰や尾根、急斜面に建つ家々。あーんな所に人が住めるのか? どんな暮らしなんだ? 
水は、食料は、電気は、医療は、移動は、いったいどうしているんだろう?
         
(上の写真は比較的なだらかな山並み。墨絵のようだった。)




実は鳥人類なんじゃなかろうか。皆んな飛べるんだよ、きっと。
そう思っても不思議ではない高ーい山の上に家がある。驚いた。
あそこで生まれたら一生あそこで過ごすんだろうか。

家があるのは緑が生い茂る山だけで、岩ゴツゴツの枯山にはなかったから、雨水や湧き水が確保出来、家畜の餌になる植物も生えているのだろうが 厳しい暮らしに違いないだろう、と 感心していたら、機は定刻にリマに着いた。

ミラフローレス地区の宿へ。やっぱ 都会は楽だわ。

      

着々と整備がすすむ海沿いの大規模レジャーエリア 計画。道路やスタジアム、遊歩道にサイクリング道路、ジョギングコースやテニスコートに遊園地。あと数年でリマはすっかり垢抜けるだろう。

      



飛んで来た辺りの地形をGoogleマップで見ると、山を縫うように道が記されている。それも悪い冗談の様なグルグルギザギザ悪戯書きのような道。これじゃあ絶壁から谷底へ落ちる事故は絶えないだろう。
ニュースでバスの事故を知る。カハマルカに近い所だった。

さらに、チクライヨでペスト非常事態宣言が出されるようだ。
無理もないよ、下水がマンホールからあふれ出していたのだから。
今朝の腹下しが気にかかる。気の回し過ぎか。
最後まで我が柔腹は南米には順応しなかったなぁ。
17日に南米大陸から離陸。心底嬉しい。



リマに着いて安心したのと気を抜いた為か、ランチで食べたサラダに食当たり。
熱が出て ひどい頭痛に 身体中の骨が痛くて 起き上がれなくなった。

いったい、南米 何度目の腹下しだろう。

せっかくリマでセビーチェを食べようと楽しみにしていたというのに。


7ヶ月の南米旅の疲れだろうか…
もう、この先しばらくは 旅行プランを練らなくてもいいし、宿の手配もしなくてよいので 肩の荷が下りた気がしていた矢先。

最後まで残しておいたリマ観光も これでオジャンだ。


      

         
     (かろうじて見て回った旧市街)


17日の深夜発の北米行きに乗る為、回復に務めよう。



2010年に幸運にも走る機会を与えてもらって以来、毎年この時期になると あの日を思い出し 楽しみにしていたボストンマラソン。

リマのホステルでベッドに伏せってCNNのニュースを見ていて愕然とした。

何故なんだ、なんてことするんだ。なんでボストンなんだ。
繰り返されるテレビの悲惨な画像。

こんなことが許されてはいけない。
こんな残虐な犯行がまかり通る世の中にしてはならない。


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