FC2ブログ
*admin*entry*file*plugin| 文字サイズ  

我々の四駆車ドライバーは落ち着いた中年男だった。
名前はアブラモ。無口でボソボソと説明をしてくれる。むろんスペイン語で。



このツアーの良し悪しは 要は会社ではなく、各ドライバー個人によりいかようにも変わってしまうのである。
いいドライバーに巡り合わせればツアーはいいものになる。もちろん逆もあり得る。
アル中だけには遭遇したくない。



同乗者は我々を含み6名。スイス人とドイツ人のカップル。ブラジル人の若者二人。車内はスペイン語、ドイツ語、ポルトガル語、英語と日本語であった。ツアー中、必要な事はスペイン語に堪能な者が通訳してくれ不便は感じなかった。




初日はどんどん高度が上がる。コカの葉を噛み噛み、大量の水を飲み飲みと、高山病にかからないよう注意する。

白い湖、緑の湖、赤い湖、どれも塩分を含んだ沢山の湖を巡る。


      

      






    ボリビアはフラミンゴの宝庫である。





活火山の多いこの辺りは温泉もあるんだ。
すごい勢いで湯煙を吹き上げるさま。覗き込むとボコボコ言っていて怖い。


      


ひとっ風呂浴びて行く事に。今宵はシャワーなしだそうだからね。

       



第一夜目、宿泊は水も電気も無い山小屋に全員が同室と聞いていたが、到着してみると水も電気もあり、部屋にはベッドが7つ、夜間は零下になると言われていたが、毛布も沢山あり寒くはなかった。

      


このツアーで一番の高度5千メートルにあるコロラド湖畔。赤い色をした湖には赤いフラミンゴが沢山いる。
ご存知かと思うがフラミンゴがピンク色をしているのは赤い藻を食べるからである。

      


遅い昼食を4時に取り、5時にはお茶と菓子が出され、湖畔を散歩。強風で寒ーー!


      



暮れ行くピンクの空を見ながら夕飯を待つ。8時過ぎに夕飯。食事は簡素だが場所と状況を考慮すれば “充分すぎてありがたい” 程であった。他のツアーメンバーは文句を言っていたが、我々は予習していたのでそれ以上の期待もせず、感謝していただいた。

夕食を済ますともうする事はない。ツアーメンバーと歓談し打ち解けた所で早々とベッドに潜り込んだ。
高山病予防の薬を飲んで寝たら 嘘のようにぐっすり熟睡してしまった。




二日目。6時朝食と言われていたので5時45分起床。

服着たまま寝たので ささっと準備してまだ暗い戸外に出てみると、どうもオカシイ。。。食堂もどこも真っ暗。誰もいない。。
??? と思って食堂のある棟に近づくとドライバーが2人ヒソヒソと立話中。もしやと思い聞いてみた。「今、何時?」 クールに2人が答える「4時50分」 あぁそう、やはり時差があったのか。昨夜のうちに教えてくれよな、と思いながら 外で用を足して部屋に戻り 他のメンバーに伝える。皆 速攻でベッドに潜り込んだのだった。



さて、冷たいパンケーキにジャムの朝食を済ませ すぐに出発。
他のツアーが到着する前に絶景を見せてくれようという運転手アブラモの配慮であった。
誰もいない 四駆の砂煙もない 静けさの中の奇岩の景観を楽しみ散歩する。
30分もすると、次々と四駆車が集まり始め ガヤガヤと観光地化してしまった。

       「アブラモ 素敵なひと時をありがとう。」

        



さて、次へ次へとスケジュールをこなし 湖をめぐり 変わった景色を眺め、リャマやチンチラも見、どこへ向かっているのか 土地勘のない人にはわからない 道なき道(実際はそこが道なのだろうが。。。)を進み、川を渡り丘を超え ウユニの町を目指した。



       



故障車がいると皆が助け合う。明日は我が身かもしれぬ。

タイヤが外れた車を皆で修理。各車それぞれがボルトをひとつずつ提供し、ツアー再開。
故障は日常茶飯事。そんな時は散歩したり用を足しに行ったり、気長に待つべし。




ウユニの町の外れには、鉄道車両の墓場がある。

      





もう何処へも行けなくなった車両達。
遊び場にもなっているようだ。





近隣の村の古い教会を訪ねてみる。




今、ボリビアは雨期で塩湖に水が溜まるのを待っていたのだが、逆に降り過ぎで洪水状態。ボリビア政府は安全対策としてウユニ塩湖へのアクセスをウユニ町側からの一箇所に制限したので、ツアーの中身も従来とは違って 二日目にして既にウユニの町へ行く事に変更されていた。
ウユニ塩湖内にある「魚の島」と呼ばれる場所へは立入禁止だった。
いいんだ、ウユニ塩湖の鏡張りさえ見られれば、それ以外の望みはない。

完璧な鏡張りの景観を見るためには ある一定の条件が揃わねば無理である。
雨水が溜まっている事は論外としても、天気が良い事、無風である事と雲が多すぎない事が重要なファクターになる。風が吹いて湖面が波立つと鏡にはならない。。。

取り敢えずチャンスは一度。明日の天気は如何に。。。
自分の強運に かなりの自信を持って 守護霊にお願いをして 明日に備えて寝る事にした。


明朝の出発は5時である。
ブラジル人が必ず集合時間に遅刻するので 一言 キツく刺しておいた。

「1分でも遅刻したら置いて行く」と。






ウユニ塩湖


5時。ドライバーのアブラモが焦れながら「バモス(さぁ出発しよう)」と言う。当然こちらだって 出発したい、が、案の定 ブラジル勢が来ない。また遅刻かい。今までは待ってやったが今朝は違う。待ったなし!と思うが、今日が誕生日のブラジル人 ロドリゴを置いて行くのもチョットやり過ぎかな?と思い 呼びに行き急がせ 何とか10分遅れで出発とあいなる。

いくら穏やかな性格の牛美とは言え、この時ばかりは 嫌味の一言。

     「私達は貴方達を待ってあげられるけど、朝日は待ってくれない!」

心で思う。『今日の朝日は特別なんだから。あんた達には 普通の朝日かもしれないけど。』



既に他の四駆車はずっとずっと前方を走っているようで、遠くに点々とライトが見える。遅れを取り戻そうとアブラモは頑張って走ってくれるが、なんせデコボコ道では飛ばす事は無理だ。


東の空が明るみを帯びていく。
ウユニ塩湖の水が溜まっている場所まで、朝日が登る前に着けるだろうか。

       頼む、何とか、あと少し、頑張れアブラモ。。。



ウユニ塩湖の入口。
   とうとう来たぞ、鏡張りの湖が待っていてくれるだろか。



東の空は赤く白く染まっていく。強い光が雲を押しのけるように真っ直ぐ上に向かって伸びていく。
     やった、間に合った、塩湖の夜明けだ。




涙が出てきた。とうとう来たな、こんな遠くまで、よく来たものだ、と思うと泣けてきた。



アブラモに「外に出たいんだけど、いい?」と聞くと、「いいけど水が冷たいよ」。構わない、そのつもりで素足にサンダル履きでスタンばっていたのだ。

10センチ程も水が溜まっているか。ジャブジャブと塩水をはね上げながら湖面を歩く。



なんて美しい景色だろう。
嬉しくて黙ってしまう。皆 黙って朝日を見つめる。






寒いからと裸足になるのを躊躇う他のメンバーは車の上の荷台に登って朝日を見ていた。













フラミンゴが列になって飛んでいく姿が 美しすぎる。
音のない、風のない、境のない 広い広い景色の中で朝日を浴びていた。
          (クリック拡大で見て下さい)

      






アブラモが「そろそろ移動して 塩のホテル(兼美術館)で朝食にしよう」と言い ゆっくりそろそろと移動。湖面を車で走るのは大海原を渡る船とも違う感覚で実に不思議である。


現実とは思えない この世の物とは思えない 世界だった。

宇宙船かと錯覚する 塩のホテルの外観。(脇には車)




       これ以上願い様もないほど 完璧な日であった。


無風で正に鏡張りであった。

これ程までに美しい景色の中に溶け込んでいられる自分はなんと幸せなのだろう。

こんな景色、後にも先にもここ以外では見る事が出来ない。


   

     という訳で 鏡ばりを遊ぶ。   
     あっち向いたりこっち向いたり
     
     


                雲も綺麗だ。

        

        バスが普通に走っているのが たまらなくシュール。

        

           ウユニお決まりの鏡ばり撮影会開始。

        

          近くにいた日本勢に混ぜてもらって嬉しい奴豚。

          



   極めつけはこのポーズ。

      湖面に写った UYUNI の人文字。







          ウユニの雨期、、、言葉にならない。






     身も縮む 寿命も縮む UYUNI - TUPIZA Road

ウユニ塩湖で素晴らしいひとときを過ごし 写真も何百枚も撮り気がすんで 昼食を取りにウユニの町へ引き返した。

ウユニの町というのは残念ながら長期滞在したくなるような場所ではない。ウユニ塩湖観光の為に十分な施設が整っているというだけで それ以外何の用事も見るところもない。


 ので、ツアーの〆の昼食を採ったら 早速次の町へ移動することにした。
丁度 四駆車でその町へ向かうというグループが二席空いたから同乗してよいと言ってくれたので、急いで昼食を済ませ、ツアーメンバーに手短かに別れを告げ そそくさと急いで待ち合わせ場所へ向かったのだが。。。  

    言われた場所には もうすでに彼等の姿はなかった。。。


  。。。脱力。。。 

せっかくいい話だと思って乗ったのに。。。なんだよ。
先に行ってしまったらしい。いい加減。  それとも我々が遅かったのか? 

どちらにせよ、乗り合い四駆車を探さねばならぬ。
奴豚が頑張って交渉し なんとか2時間後に出発する一台を確保。

15時半に英国人女性二人をピックアップして出発するというので気長に待った。
次の町TUPIZA(トゥピザ)へは 四駆車で6時間、夜行バスだと8時間と言われている。むろん四駆車はバスより高いが夜を待たずに出発出来るし速い。


15時半 ウユニツアーから戻った英国人の若い女性二人を迎えに行き 運転手フランクリンと我々4人でトゥピザへ向け出発した。


     トゥピザまで207キロメートル。

     5時間程度で着くかな? と 思った我々4人は 甘かった。。。



      

美しい景色を四駆車は進む。
運転手フランクリンは29歳。英国女性は二人とも30歳。
互いに自己紹介して 片言のスペイン語で会話も弾む。
英国人のうち一人がスペイン語を話すので通訳してもらい 和気あいあいであった。


土の路面は雨で削られている。ガタゴト道を最初は快調に飛ばしていた。英国人の二人も仮眠して、我々がフランクリンが居眠りしないよう見張っていた。

運転手フランクリンが軽食休憩。と、どうも食事と共にビールを飲んでいるようではないか。。。 いやな予感。

     その後の道中は4人で彼をキビシく見張ろうと決めた。


スペイン語の出来る一人が助手席に座り、絶えず運転手フランクリンに話しかける。我々も後ろからラジオに合わせて歌ったり手拍子したり、景色の話や音楽、趣味、家族の話、思いつく限りの話題を持ち出して頑張っていた。




だんだんと景色が変わってきたのはその頃。...

高い高い山の中、道は細くなり まわりはどこも断崖絶壁である。

ドア1枚隔てて 窓から下には何もない。。。

怖くて覗き込むことはおろか、首を1ミリだって動かすことすら出来ない。ほんの少し動いただけで重心が傾いて谷底に落ちるんじゃなかろうかと思うと 身体を固くし 何かを必死につかんでいないと生きた心地がしなかった。手のひらは汗でぐっしょり。

絶景だが 写真を撮るという余裕などなかった。

いくつもの山を上り下り。上りも下りも同じように怖い。
     対向車が来たらどうすんだ? 

フランクリンが運転中、度々谷を覗き込んでいる。
谷底に車が落ちているのが見えるんだそうだ。

     そんなもん、怖くて覗けないぞ!


やれ 下ってきたぞ 川だと思うと、フランクリン自ら車を止めて 川の水で顔を洗っている。流石に往復は疲れるらしい。朝、既に逆のトゥピザーウユニ間を走っているのだ。彼だって事故る訳にはいかない。我々が話しかけているのが嬉しいらしく機嫌は良い。

日が暮れてきた。「大丈夫か?眠くないか?」と問うと「大丈夫」という。夜9時前には着けるだろうと言う。

また険しい山に入った。夕焼けの中 どんどん暗くなる山道。
断崖絶壁が見えなくなると こちらの肝も座ってきた。
『死ぬときゃ死ぬんだ。いや、ここではまだ死にたくない。。』
どうか頼むからトゥピザまで無事連れて行ってくれよ~。

対向車が来た。こんな漆黒の夜に大型バスだ。ひえぇ~。ボリビアでは決してバスには乗らぬと四人で硬く誓った。どうやってあの崩れ落ちた断崖絶壁を回って行くんだ? 対向車とどうやってすれ違うのだ? 何台もくるぞ。すれ違い場所を探して何度もバックするフランクリン。バックも怖いよ。。


もうフランクリンに語る話題が尽きてしまった。
元気だった英国人二人も恐怖で疲れ切ってしまい無言で前を見据えている。
奴豚が助手席を交代し、時々フランクリンを突つく事にした。「起きてる?寝るなよ」と突くと「大丈夫」と答える。


Tupizaまで20キロメートル。やっと道幅が広くなり家の灯りがチラチラと見えはじめた。掌の冷汗をズボンになすりつける。

無事、Tupizaに到着。フランクリンに抱きついて感謝したい気持ちもあったがやめておいた。
約束の1人80ボリビアーノ(約千円)を支払い、もちろんビールで無事を祝った四人であった。


後日思い返せば素晴らしい経験であった。が、二度と御免だな。



2013年は 今のところよく走っている。かなりの距離を走っているはずだが いつまでたってもシンドイ。

それに比べ 奴豚は身体が軽くて軽くてと連日長距離もへっちゃらのぱいである。。。



      

Tupizaには六泊したが 毎朝走った。
北へ 南へ 町の中心から線路を伝って町を後にすると 景色はこんな感じである。



まだ涼しい午前7時、

こんな出で立ちで走りに出る。

後ろに携えた刀ならぬ棒っきれ? これは意地悪い犬対策の護身棒。
走っていると恐ろしい形相で追っかけられ吠えたてられるので。。。
石も握って走る。襲ってこようとしたら本気で投げる。
狂犬病を思うと、噛まれる訳にはいかない。




高度3千メートル。
平地は楽に走れるようになったが 上りはかなり負荷を感じる。

何故か奴豚は平気のへーざ。
心臓とか肺機能とか 違うのかな???



      

南へ線路を辿って行くと こんないい感じの平坦なコース。

水汲みの手伝いをしている小さな子供達とすれ違う。
随分離れた川から重そうなバケツを姉妹でうんしょうんしょと運んで行く。

        

平坦を楽しく走りたい牛美の気持ちとは裏腹に、奴豚は山坂を上り下り、道無き道を走りたくて仕方ない。

ついて走ると思わぬ場所に連れて行かれることになる。。。

      

いくつも丘を越え ぜ~は~と必死につき合って奥地の村へ着いた。
片道約10キロ。

帰路、同じ丘を登りきれずギブアップなり。
心臓パクパク、みぞおちも脇腹も股の筋肉も痛い。
珍しい事である。
奴豚は先へ行っては様子見に戻ってくるから余計に走っているが元気そのもの。

悔しい。。。もうマラソンやめようと真剣に思った。。




2月はカーニバルシーズンだ。

ブラジル・リオもそうだが、ここボリビアではORUROオルロという町で一大イベントが延々四日間繰り広げられる。

          行きたい気持ち半分、避けたい気持ち半分…

人混みは避けたいのだ。カーニバルは見てみたいが、カーニバル週末の尋常ではない宿の値上げ作戦にはNOと言いたい。最低三泊以上の滞在で、一泊料金がUS$150は異常だ。ましてボリビアで…。

ウユニ/トゥピザ恐怖の四駆ロードから共に生還した(大袈裟な。。。)英国人二人と「どうする?行く?」と相談しながらネットで安い 物件を探してみたが、最安値は三泊で$240であった。

    行くのは、やめよう。
        その代わりスクレ”SUCRE"の町でカーニバルを見ることにした。




カーニバルの前週末、ここトゥピザでも カーニバルのリハーサルが行われた。

リハーサルなのに本番同様の熱の入った立派な踊りっぷりで、『オルロへ行かずとも もう、これで充分じゃないか?』と思う程であった。


昨夜からの雨で路面はドロドロ。時々降ったり止んだりだが、お陰で涼しくて踊るには良かったかもしれぬ。。。
      


   。。。 と言うのも、踊るというよりジョギングしている感じだ。
小走りに走っている。男女入れ替わり右へ左へ回って、前へ後ろへ、ぐるぐる回って、年配が多いのには恐れ入った。

      

  踊っている人達に 沿道の皆が水をかける。

遠慮なしに じゃんじゃんかける。もちろんこちらにも飛んでくる。
互いにびしょ濡れである。

最近は水がわりにパーティースプレーが主流で、色とりどりの泡のスプレーをこれでもかというほど身体中にまかれる。

いやはや。。。

      

でも とても楽しかった。

これでリハーサルなら、本番はどんなんだ???!!!



ボリビアでは今のところ、どの町でも日本のお下がりのマイクロバス達に出会う。

多いのは スイミングスクール、旅館、ドライビングスクール。
日本全国制覇出来そうな程、各都道府県から海を越え南半球へ来ている。


      
    




2月6日。


世界で一番高度が高い "人が住む都市 "として有名なポトシへ。

トゥピザのバスターミナルで 乗り合いタクシーを探す。

ボリビアでは 出来る限りバスは避けると決めた。

実は、昨日 バス事故の現場を目撃したのだ。9名死亡、17名重体。

目の当たりにすると余計にバスへの拒否反応が出る。事故現場はトゥピザのすぐ町外れで、走りに出た際、人だかりが出来ていたので何かと思ったら後部が崩れたバスが道脇に止められていた。
後で知ったのだが横転したらしい。ニュースでも何がどうなったのか、原因がわからないと報じられていたそうだ。
今年はやけにバス事故が多いとボリビアに駐在する人が言っている。

と言うわけで、乗り合いタクシーと交渉すること1時間。
我々の他にローカル男性の三人では値段が高過ぎるので、あと二人、丁度現れた仏人夫婦を誘って合計五人で値段交渉がまとまり出発。

途中、道端でお婆ちゃんを拾い、その後も太っちょの叔母ちゃんを拾いながら、小さな村落を抜け、休憩を挟み5時間程でポトシへ着いた。
ボリビアの長距離乗り合いタクシーは運転手と乗客の共同作業である。
運転手が居眠りしないようにと乗客も寝ずに頑張って運転手を盛上げるので目的地へ着く頃には疲れる。。。それとも外国人が心配性なだけか?

すっかり車内で打ち解けた仏人夫婦と夕食を共にし旅の情報交換。またフランス語攻めかぁ。。。


ポトシは土砂降り、極寒だった。

冬服を出してババシャツにタイツ、フリースに厚手のジャケットを着込む。部屋も寒く夜はシビアに冷えた。
ほとんど何処も見ずに宿に戻ってネットして寝た。



翌日、2月7日。

雨が止んだので町を散策。
ふと見回せば隣の小高い山には雪が積もっている。

気温は東京と同じであった
明日の予報は最低気温零下三度。

一気に冬。シンシンと冷える。



    

高度は4060メートル。上り坂や階段は少々息切れがするが、もう身体はすっかり順応したようで、ワインを飲んでもへっちゃらだ。(ビールもね)

ポトシはかつて銀山で栄えた町。スペイン統治時代はこの山の銀がどれほどスペインを豊かにしたことだろう。
今はもう銀は採れない、が、主産業は鉱業だ。一時採れていた錫ももう今では枯渇しているらしいが、今だに昔ながらの原始的かつ過酷な方法と劣悪な環境のなか、安賃金で働く多くの炭坑夫がいる。

灰色の空の下、余計に暗い町に思えてしまった。

  


世界遺産の街並みとはいえ、二泊だけして 次なる町、ボリビア第二の都市スクレSUCREへ向かうことにした。




寒いポトシをそそくさとあとにし、タクシーでスクレの町へ向かう。
バスも走っているが乗り合いタクシーならば2時間半程度。三人以上で割り勘すればひとり15ボリビアーノ(200円程度)。ドアーto ドアーで雨に濡れる事なく楽にスクレ着。

Sucreスクレはボリビア第二の都市。

白壁、コロニアル様式、ユネスコ世界遺産の街並みがチャーミング、綺麗な町だ。
        


ここでカーニバルの四日間を過ごすのである。



ウユニからトゥピザへ一緒に旅した英国人女子達は一足先にポトシ入りしたのだが、1人が高山病にかかり一晩入院したそうな。高山病も重度になると低地へ移動する以外対処方法はない。ので 退院してその足でスクレへ移動したとメールで連絡があった。果たして回復しただろうか。。。



スクレの宿はフランス領事館内にある部屋を予約していた。
領事館が宿を営んでいるのか? 面白そう。

                

タクシーで領事館に横付け。フランスの国旗がはためき、ちゃんと領事館と書いてある。
これほど安全な住まいは他にないだろう。

後で知ったのだが、元々ホステルを営んでいたフランス人が、政府から頼まれて領事館の仕事をボランティアで引き受けているという面白い実態であった。領事館としてはそれほど忙しくはないのであろう。

実際そこには一泊だけして引越ししたのだが ベッドは心地良く羽根布団も気持ち良かった。建物は古いが。。。興味ある方は こちらを参照。
何故 引越したかと言うと ネット接続状況が良くなかったからである。
引越し先は 宿主が自ら薦めてくれた ホステルだった。
ドルチェビータDolce Vitaという宿の我々の部屋は20畳程もあり、広々快適な場所だったのだが、生憎南京虫がベッドに潜んでいたようである。。。首と顎を刺され、人相がちょいと変わったのであった…




さて、カーニバル。

金曜の夕方は 楽団を引き連れた団体が いくつも町を練り歩いていたが、これと言ってカーニバルの感じはなかった。

土曜。午前11時ごろから中央広場の周りでダンスが見られると言うので行ってみた。各チームに分かれて着飾ったグループが踊り歌いながらのんびり行進していた。

      

         

      

次々とくるわけではなく間が空くので待ちくたびれる。人垣をかき分け、背伸びして 見ていたが、カーニバルクイーンの登場で終了した。

      


約2時間程のイベントだった。
その後は、水かけ合戦。


日曜日も月曜日も火曜日もずっとずーーっと水かけ合戦。
練り歩く楽団に向かって集中砲火ならぬ集中放水。

風船に水を詰めた水爆弾の投げ合い、ハイテク水鉄砲、旧式バケツも登場で誰彼かまわず水を掛け合うのがスクレの祭りであった。
老若男女、町民総出の水かけ合戦。おばあちゃんまで割烹着の下に隠した水爆弾をシュパッと投げてくる。
誰一人怒ったり泣いたりする者はいない。


だもんで、外出時は雨具で防御し、水爆弾をよけ応戦しながら。
これが結構面白くて 一度濡れると根性も座って 進んで戦地に赴くのであった。気温低くずぶ濡れになると寒い。
高山病から回復した英国人二人娘達と一緒に連合軍でボリビア勢と渡り合った。


      


。。。が、二日目、三日目ともなると飽きて、最終日は外出すらせずであった。
楽団と共に練り歩く人達も酔いが回ってきたようだが、終日ぐるぐると町を回っていた。


          



カーニバル中は店も閉まり、買い置きしておいた食材で自炊して 宿でネットしたり旅程を練ったりしていた。





ポトシは雨で寒く高度も高い事もあって、丸二日 ジョギングは休んだ。


スクレに来て 翌日から朝のうち、まだカーニバルの水かけ合戦が始まる前に走った。

スクレ市街は綺麗なコースが見つけられず、ゴミが散乱する市街地を走ってみた。
が、野良犬が沢山いる。縄張り意識が強く数匹で挑まれると流石に棒切れと石ころでは心許ない。集団の犬を見つけると走るのは止め 距離を置いて やり過ごすことにする。


走って坂を登るのは相変わらずキツイ。ポトシより低いが2900メートルの高台である。
こうやってボリビアで走ることが のちに心拍機能強化として役立つだろうか。。。 トレーニングと呼べるほどのことはしていないが、本番で楽しく走る為には 多少のキツさくらいなんだ。(…と豪語してみたが…)




ゴミ溜め(スクレの皆さん、すみません)ばかりを縫って走るんじゃモチベーションも下がるので、展望台へ登ろう!と奴豚に提案。自ら山を駆け登るコースを選ぶとは、オヌシなかなかやるのう。。。ってか?

       

ミラドー(展望台)は町のすぐ外れ、小高い丘の上だが 辿り着くまで 息が上がる。




途中 犬の集団に会い 道を譲った。

囲まれたら勝ち目なさそうだったのだ。




   展望台てっぺんにはお決まりのキリスト様。




  スクレで唯一、このコースは景色抜群だった。 満足。








中華新年を祝って昼食に中華系食堂へ行き定食を頼んだところ。。。

見事に中華らしきスープが登場して 少々面食らう。







 食後 近所のケーキ屋でテイクアウトを頼むと、

   紙皿に乗せたケーキに ズブリとスプーンを刺してくれ、

     このままお持ち帰りなり。




スクレでは観光らしい事はなにもせず。
元々カーニバルで皆閉まっていた。空いているのは宿屋とスーパー(時間短縮)と観光客目当てのカフェが数軒。

水かけ合戦に疲れると 外国人旅行者はほぼ同じカフェに集う。馴染みの顔がちらほら、皆、びしょ濡れでビールを飲んでいる。
ビールはフアリHuariブランドが味わいがあって旨い。ポトシナブランドは薄過ぎだな。

ボリビア産ワインもなかなか捨てたものじゃない。トゥピザでも連日ワイン屋に通った。1本 300円から500円、とても美味しい。



四日間のスクレカーニバルも終了し、水曜の朝 道は綺麗に掃除され 何事もなかったかのように皆乗合バスで仕事へと向かう。
カーニバル中ウィンドーガラスが割られないように貼り付けてあった囲いや覆いのベニヤ板を外し店を開ける人々。静かだ。祭りによって憑き物が落ちた感じ。
どの国民も、祭りで羽目を外し日常を離れ 色んなものを発散したり流したりするんだなぁと町の様子を見ながら、我々は空港へと向かった。


カーニバル前日に町の旅行社で、スクレからラパスへのアマゾネスエアー便の席を購入しておいた。
チェックインカウンターで荷物を預ける。他の客が次々搭乗口へ向かう間、我々はやけに待たされていた。

     「???」 が  『嫌な予感』  へと変わった頃に、、、

案の定 予約が確認出来ない と言う。 おまけに満席で今日は搭乗不可能、明日も満席って どうゆうことよ?!!!  まてよ、怒る前に冷静に話し合おうじゃないか。

発券した旅行社に連絡取ってもらう。ともかくスペイン語でまくしたてられても我等には解らん。誤解かもしれぬ。旅行社と空港マネージャーが電話口で激しく言い合いしている。互いに自社には非がないことを主張しているようだ。
  アマゾネスエアーの言い分はこうだ。「コンピューター上で予約が確認できないのでチケットを持っていても既に満席の便に乗せることは不可能」
  こちらの主張は「アマゾネスエアーの予約サイトで購入し、支払いも済んでおりリコンファームも済んでいるのに予約がないというのは御宅のシステムミスだ」

       どうやら我々だけではなく 他にも二人待たされていた。

        飛行機は準備が整い 我々以外の乗客はすでに搭乗。

その時 チケットを購入した旅行社の担当者がカウンターに来てくれた。その手には 搭乗券が握られていた。ラパス本社に電話で掛け合ったのだそうだ。飛行機には空席がある。何らかの理由で乗客数を制限しているらしい。我々を乗せるか否かは機長の判断に委ねられたそうだ。本社からは乗せるよう指示が出ているようである。

かなーり待たされてからOKが出て機上の人達になる。
機内には空席が目立った。気圧のせいで重量に制限があるのだろう?
最悪の場合、14時間かけてバスでラパス行きを覚悟していたが、飛行機はたったの40分で世界で一番高度の高い(国際空港)ラパス空港へ着陸した。




 注)ラパス空港:世界最高標高の国際空港。標高4,000メートルを越す位置にあり、酸素濃度が薄くエンジンの燃焼効率、翼の揚力発生能力が低下するため、大型機でも離陸時に充分な加速が得られ、着陸時も安全な速度が維持できるようボリビア国内で唯一4,000メートルの滑走路を有している。
(wikipediaから抜粋)




      ラパス La Paz、 Oh、La Paz  ラパス !!!

ラパス。 他と比較のしようがないラパスの街並。 なんて心揺さぶる 光景だろう。

何の情報もなく 軽い気持ちで来たみたところ、空港から町へ向かう景色の例えようの無い衝撃。





     すり鉢状。

   すり鉢の縁の上まで家々が連なっている。




      中心地はすり鉢の中心部。

      最も低い部分には高層ビル。








   眺めていても見飽きる事がない。
     レンガ色の家々が綺麗だ。
  宣伝や看板がないせいでもある。




ラパスへ来た一番の理由はハッシュランである。


世界で一番標高の高い首都ラパスのハッシュは HHHH(Hが4つ)と呼ばれている。

通常は HHH(或はH3): Hash House Harriers の頭文字を取ったものである。

ラパスは HHHH : Highest Hash House Harriers で Hが4つなのである。

隔週開催のハッシュに合わせてラパスに来たのだ。


実は 3月10日に第一回ラパスマラソンが開催されることになった。
世界一標高の高い首都での栄えある第一回シティーマラソンである。
  走りたくないわけがない。。。  が、 知った時期が遅過ぎた。
3月11日ペルーのリマ発の航空券を購入済みで変更不可。
ラン航空に聞いてみたが、出発地及び出発日の変更は不可のチケットである。残念だが出走は諦めた。

  因に 興味のある方に:参加無料で 今からでも参加可能である。
スタートから13キロメートルは上り、その後は下りのコースだそうだ。高所で心臓破りの坂を経験したい方にはもってこいのレースである。詳細はこちらから
どうぞ




さて、我々はハッシュラン。

ラパスの宿はAir B&B。広々した寝室が3つもあるアパートで快適だ。宿主の娘さんがハッシャーだと言う。なので一緒に出掛けた。

土曜の午後 待ち合わせ場所で待つ事20分。ボリビア人はのんびりである。
ゾナスール(南側にある町)から車でさらに“月の谷”方面へ上がって行った所がスタートであった。
   
約20名程、男性は若手ランナーが多く、ついて行こうと頑張ってはみたが。。。離されはしたが女子ではトップ。

約7キロのコースは 多彩な路面に面白いアップダウン。月の谷の横を抜けて とても楽しいコース取りだった。

      

      

      

      



     メンバーのハッシュ名 命名式もあって。。。

        


         会合の後は バーベキュー。

     


  ラパスは治安も良く、暗くなってもさほど心配せず 無事帰宅なり。

ラパスには親日家が多く、日本語を話す人が数名。日本の文化にもとても興味を持ってくれている。ラパス郊外には日本人のコミュニティーがあるそうだ。知らなかった。




ラパスには "death road"(直訳すると死の道)と呼ばれる山路がある。

雨季にはぬかるんだ道が崩れて 車が谷へ落ちたり、怖いもの知らずのバイカーやチャリダーがブレーキをかける事なくカーブを曲がりきれずに谷底へ落ちたりと、死亡事故が跡を絶たないことで有名だ。

ここをマウンテンバイクで駆け下りるツアーは観光客に人気である。
流石のボリビア政府も事故防止の為に、最近は車を制限し、バイク用に時間を分けたり、別に路を作ったりして、以前よりは安全のようだ。要は、スピードを出さなければ危険はないのであるが。。。


ここを奴豚が走りに行った。バイクではなくランニングである。
ハッシュランで知り合った現地在住ランナーと三人で夜明け前に出て行った。
車で2時間程行った山の上から 死の道はスタートする。




山の上は雪が残るところあり。




      

          山の中腹に刻まれた路。

        

本来のDeath Road は上部の舗装路を含め60キロメートル程度だが、奴豚達三人は舗装路はさけて、未舗装路が始まる地点から約37キロメートルのダウンヒルを駆け下りる。

      






ここで亡くなった人達の墓もある。








      

雨季で滝の水は豊富だ。
いたるところに滝。いいお湿りをいくつもいくつも越えて行く。


何故 牛美は行かなかったか。。。?

ダウンヒルコースと聞いて行きたくないはずはなかった。
が、せっかく男性三人でさっそうと駆け抜ける邪魔になるような気がして遠慮した。標高の高い37キロをきっちり走れる自信がなかった。残念。自分の力に不安があるのだから仕方ない。ぐっと我慢の一日だった。トレーニングを積むしかこの悔しさを晴らす方法はない。



ラパスが気に入り7泊を8泊に延長。

Air BnBの家主ファリニャとその母マリアはとても親切で、昼食に招いてくれたりマーケットへ連れて行ってくれたりだ。
木曜と日曜に空港付近で開催される青空マーケットは広さで言えば世界最大の規模だそうだ。
ゴミのような物から中古、新品、生き物(鳥や牛や馬等)、バスまで、無い物はない勢いで何でも売っている。スリが多いから手ぶらで行け、腕時計も外せと指示され用心して行ったが、何の問題もなく、以前訪れた他国のマーケットより安全であった。

息子さんが日本人と結婚式をあげお嫁さん共々日本から戻ってくるとあって、迎える準備で忙しそうだが、日本語を話す父上も皆、家族揃って親日家。
ボリビアには親日家が多い。顔も似ているような気がする。ますます親近感が湧く。



ボリビアのビザは30日間。切れる前にペルーへ向け移動するのだが、チチカカ湖を通って行くのだ。

というわけで、次なる目的地はコパカバーナ

コパカバーナと聞いてブラジルを思い浮かべる人は(自分も含めて)勉強が足らんのである。

コパカバーナの地名のオリジナルはここボリビアなのである。
チチカカ湖に面し、山に囲まれ大変美しい町だ。

コパカバーナとはボリビアのアイマラ語で「宝石の展望台、湖の眺め」の意味。
インカ文明発祥の地:太陽の島のあるチチカカ湖である。

標高3800メートル。ラパスより少し低い。
湖畔でトレーニングに励む予定である。




チチカカ湖に面する町、コパカバーナ。


チチカカ湖を見るならペルー側のプーノ(PUNO)よりもボリビア側のコパカバーナがお勧めである。
青さが違う。夕陽が美しい。町が綺麗だ。断然コパカバーナ。

ラパスからバス。ボリビアで初バスである。が、普通に舗装路で何の心配もなく約3時間で到着した。

途中 短い海峡を渡る。
乗客はフェリー、バスはバス専用渡しで。





コパカバーナは小さな町。町の中心は観光客ばかりである。治安良く安全。何の心配もいらない。

      



          ここで四日間、せっせと走るのである。







  コパカバーナの小高い山の上には
     かなり大きな十字架が建っている。




下の写真はその展望台から町の南側を見下ろした景色。

初日はここをずっとずっと突端方面へ向けてスロージョグ。のどかだ…
標高は3840メートル。相変わらず富士山より高い。


        



チチカカ湖は鱒(トルーチャ)でも有名。

町のレストランは軒並み 鱒料理を提供とあって 我々も久しぶりに魚にありつく事が出来た。ほぼ毎食 鱒。

料理方法は揚物かフライパンで焼くしかなかったが、焼いた物にレモンをかけて食べるのが最もシンプル。腹にほうれん草とニンニクを詰めて焼いたのも鱒の泥臭さが隠されて美味しかった。湖で養殖しているんだろうな、きっと。

消化具合がチョット心配だったが、鱒料理は問題なく、かえってピザを食べた翌日の方が不調であった。



チチカカ湖に浮かぶ「太陽の島」へ走りに行った。

スローボートで2時間もかかる。
すぐそこに見えているのに。。。
北側の港から 眺めの良いトレイルを南側の港へ向け走る。
(トレイルによって差があるが直線コースならば8キロ程度)




     

太陽をいっぱいに浴びて とびっきりの晴天。太陽の島というだけある。サンサンと降り注ぐ陽の音が聞こえてきそうなほど。


      



インカ文明がここで生まれ 広がって行った、歴史的にも重要な遺跡が残されているらしいが、我々は資料館は素通りし、帰りの船の時間に間に合うよう さっさと走り出した。


      


途中の村落で通行料を取られるのには面食らったが。。
各村落でちょっとずつ徴収されるなんて知らんがな。


      

というわけで関所を避けたコースを取った。

途中で脇道へもそれ、総走行距離は14キロメートル。
地元の人達とも交流して、実に気持ちの良い楽しいトレイルだった。



      


     のどかで平和で静かで優しく美しい島。  Isla del Sol





2月25日。


コパカバーナを朝9時のバスで出発。楽しかった ボリビアに別れを告げる日。

2キロ先はペルーの国境。

バスに大きな荷物を残し 徒歩で国境を越える。
まずはボリビア側で出国スタンプを貰い、400メートル先のペルーの入国管理窓口で何ひとつ質問されず、荷物のチェックもなくスタンプを貰って完了なり。簡単。。。ペルーに入国して時計を1時間戻す。

バスに戻り PUNO プーノまで 約3時間弱。
PUNO プーノの町はバスの車窓から見た限りでは良い印象はなかった。
バスターミナルでバスを乗換えて その足でペルー第二の都市 Arequipa アレキパへ向かった。

道中の景色は広い大地と緑豊富で綺麗だったが アレキパに近づくにつれ霧が張り出し視界ゼロに。バスは大幅にスピードを落とし アレキパ到着は夜になってしまった。
車内で一緒だった英国人とドイツ人男性とタクシーを割り勘して町の中心地へスムーズに移動し予約してあった宿へ。

久しぶりにバスに10時間も乗ったら 疲れた。。。



AREQUIPA アレキパの町はクスコによく似ていた。

南米の町は何処もそうだが 立派な教会の隣に中央広場があり、それを中心に町が広がっている。
第二の都市 と聞くと ビルが連立する大都会かと想像していたが、スペイン風の古い建物がとてもチャーミングな美しい町である。
一目で気に入った。居心地も良い。中央広場の周りは治安も良く夜のそぞろ歩きも楽しい。

三つの火山が町のすぐ隣にそびえていて 壮観。ひとつは富士山に似ている。見事な景色。いい意味で期待を裏切ってくれた町。

宿も快適、ネットも快適、長居したくなる町だ。



20150619110152a8e.jpg