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Lock Ness Marathon

( 以前から気になっていたのだが、日本語サイトを検索するとネス湖の英語表記は”ロッホネス”になっているところが多い。これはケルト語読みらしい。)


ネッシー人形は何故かどれも帽子をかぶっている。スコットランドだからか?




今回ロックネスマラソンに参加の面々。

金曜の夜
  シンガポールから参加の二人を出迎えに空港へ。

メドック走ったMs.H、奴豚の従兄弟パスカルも。



土曜、午前中にパスカルをコースの下見に連れ出す。まずは実際のコースではない上り坂ばかりのキツーイ西側を見せて脅かしてみた。「宿の女将に明日の朝食には卵2個、ベーコン2枚、ソーセージ2個を追加するように頼んでくれ」と言われ大笑い。

ゼッケンを受け止りに雨の中出かけ、申し込んでおいたパスタパーティーで早めに夕食。
パスタはちょっと寂しかった。10ポンドで仮設テント内でのスープ、パスタ1種類(おかわり不可)デザートはちと高くないか? と文句言ったりして。

       
      

                 


マラソン当日

天気予報は晴れだったんだが、、、 7時45分 バスに乗り込みスタート地点に向かう間に降ってきた。 だんだん強く降り出す。スタートまで、ゴミ袋に穴をあけた簡易レインコートを着て雨と寒さをしのぐ。

      

10月2日(日)10時 ロックネスマラソン 10分遅れのスタート合図。
元気よく飛び出した。いってきまーす!

      

 
  
スタートから下り坂。気分よく快調なすべり出し。

コースはネス湖の東側の一本道をインバネスに向けゆっくり下るダウンヒルコースではあったのだが、高低差チャートではダウンヒルでも実際走るといくつもアップダウンがありきつい。

スタートして間もなくトイレ休憩で3分のロスタイム。挽回しようと少し飛ばしたが。。。ハーフ通過はいい感じにハイペースであった。



雨でしっぽり濡れ身体がすっかり冷えてしまった。
今回初めて試した加圧ソックスは足首を締め付け逆効果。そのせいで足の甲が痛くなる。

さらにはお腹が冷えて胃が締め付けられるような痛み。手のひらでお腹を暖めながら走るが、18マイルの上り坂にかかったところで諦めて歩き出した。右、左と手のひらを交換しながらお腹を暖めて歩いた。氷のように冷たい胃とお腹の筋肉がヒクヒクと痙攣する感じ。



だましだまし走っては歩き走っては歩きを繰り返す。
雨の中応援してくれる沿道の人の前では頑張って走る。

のろのろ歩みの我が足運びを見下ろし、寛平氏の事を思い、75歳で世界新記録を達成した中野陽子さんのことを思い、マラケシュマラソンで助けてくれたおじさんを思う。辛いのは皆同じ、抜かして行く人達の後ろ姿を見ながらなんとかもう少し走ってみよう。。。



23マイル インバネスの町に近づく。
ボランティアの皆がもうこの先坂はないから、頑張れ頑張れと皆を激励してくれる。5時間、こんなに遅いランナーにも変わらぬ声援を送ってくれる。ありがたいものだ。遅くても痛くても もうちょっと走ろう。。。



ネス川の橋を渡って左にターンするとあとはフィニッシュまで最後の直線コース。
あぁ、やっとフィニッシュだ。
随分かかってしまった。後半ほとんど歩いて来たようなもんだ。
今までのマラソンのなかで PBならぬPW(パーソナルワースト)だな。


シューズの選択ミス及び加圧ソックスも功を奏しなかった今回。かえって途中で脱ぐのが大変だった。
レインコートも早々脱ぎ捨てずに着たまま走るべきであった。
反省点も多いが 6週間の間にフルマラソン3本というのが最初から無謀であったのかもしれぬ。
心底 ホトホト 疲れ果ててしまった今回のレースであった。

      

奴豚も同様 途中でバテて 4時間44分。
牛美 全くもってお恥ずかしながら 5時間31分。
パスカルはマイペースで 4時間 ご立派!

今年のフルマラソンはこれで打ち止めとしよう。。。





ウイスキー街道 その弍


マラソン翌日、身体も足もボロボロであちこち痛む。

が、インバネスは今日で最後、先日行き損ねたグレンフィディックへパスカル&ガールフレンドと四人で向かった。



まずはインバネスから20分程の所にあるタマティン蒸留所へ寄る。
サンフランシスコで行われる品評会では金賞、銀賞の常連だそうだ。
紹介ビデオを見て、12年ものシングルモルトのテイスティングも無料。シングルモルトの楽しみ方を情熱を持って語ってくれる女性が親切だった。

御礼を言って次へ。


先日も訪れたグレンリベットへ。
通り道だからと立ち寄り、ここでもテイスティング。朝からスコッチだから抑え気味で頂く。先日のガイドの男性はスコットランド訛りが強く説明の半分も判らなかったのだが、今日の女性ガイドさんは聞きやすい。やっと先日言ってた意味が判る。




グレンフィディックへと急ぐ。

3時のツアーに間に合い、まずは各国語で紹介されるビデオを見てから工場見学へ。
ここも無料のガイドツアー。見学者が多いので言語別にグループを組んでくれる。仏語と英語でありがたかった。



蒸留所内部も写真撮影可能だった。古い蔵が素晴らしい。(ここだけは撮影不可)。

この蒸留所見学は一見の価値がある。



そして最後にテイスティングルームへ。

テーブルの上にはそれぞれグラスが3つセットされていた。ゆったりとしたソファに腰掛け、まずは12年、そして15年、最後に18年ものをテイスティングさせてくれた。それぞれの違いと美味しい楽しみ方も時間をかけて教えてくれる。飲み比べてみて、12年ものが最も人気がある理由がわかる気がした。フルーティーで親しみやすい。
流石に三種全部飲み干す事は出来ずに残してしまった。3カ所回ると酔うね。。。



どの蒸留所のガイドさんも、ぜひウイスキーは常温で楽しんで、と勧めていた。「氷を加えると香りと味の広がりが消えてしまうから。。。でもあくまで、各自が好みの楽しみ方をしてくれればそれでいいんですけどね、」と苦笑。
奴豚がCMでオンザロックの写真や映像を使うのは何故?と質問。
「広報部門の決める事だから。。。私達 作り手としては残念な事ですが、暑い国ではオンザロックが美味しく感じるかもしれませんしね。」
私ごとだが、まずはストレートで、その後ちょっと数滴の水を加えるのが好きだ。



スコットランドの町を歩いていると

「あれ?米屋? 」と思うことがある。

もちろん、米屋があるわけはなく、これは銀行。
それでも見るたび「 あ、米屋だ 」と思ってしまう。



インバネスの素晴らしい経験を心にしまい、エジンバラを目指す。
三日でロンドンまで戻らねばならぬが、奴豚がエジンバラのHHHに参加したいと言うので、エジンバラで二泊することにした。

道中 セントアンドリュースへ寄ってみた。

ゴルフ発祥の地。
ゴルファーでなくてもこの地の名は耳にしたことだろう。

ゴルフの聖地、由緒あるオールドコースにどっしりと建つホテルにこわごわ足を踏み入れるには勇気がいる。スコットランドの伝統衣装に身を包んだ初老の上品な紳士がドアを開けてくれるのである。場違いとしか言いようのない我々。敷居が高いとはまさにこのこと。が、こういう時でも奴豚は面の皮が厚いのか堂々としていられるのは 牛美には真似の出来ない態度で、なかば尊敬すらおぼえる。


いかにも裕福そうな年配の方々がゆったりくつろぐロビーをさらに奥へ奥へと進むと歴代のチャンピオン達の名前が刻まれた壁があり、これまでの歴史を語るギャラリーのようなところへ出る。豪華なトイレを拝借して、さて、エジンバラへ。




エジンバラでは先日泊めて頂いたairBnBへ舞い戻ったのだが、実は宿主ご夫婦は旅行に出ていてお留守。そうなのだ、今回 留守宅に泊めて頂くことになったのである。
あらかじめ、近所に住むお嬢さんから鍵の受け渡しをうける手筈にはなっていたが、他人を留守宅に泊めてくださるとは何とも心の広い二人。感謝で頭があがらない。
2週間前に会い、スコッチを飲み交わした仲ではあるが、本当に留守宅に上がり込んでも構わないのか?と聞いた時に、「大丈夫、顔をみればどんな人か判るから貴方達になら喜んで家を開放するわよ、」と嬉しい言葉をもらい親切に甘えさせて頂くことにした。
冷蔵庫には奴豚のお気に入りヨーグルトまで用意されていた。なんて優しい人達だろう。
ありがとう、Jane & Tom。

気持ちだけでも来た時より綺麗にしてお返ししたい。感謝の気持ちを込めて 出発前に部屋を整理整頓。


エジンバラからロンドンへは高速を飛ばして7時間弱。

10月6日、午前10時半にエジンバラを出て GPSにロンドンスタンステッド空港をインプット。(GPSは従兄弟のパスカルが持たせてくれたものだ)
給油で二回止まっただけで、午後5時前にスタンステッド空港隣のデイズインホテル着。

朝は豪雨だったが、強風に吹き飛ばされた雨雲の間から青空が顔を出す。灰色の雲が前方に見え、思った通りに大雨を降らせている中を走り過ぎるとまた青空。
英国はいつもこんな感じに降ったり止んだりで、日に何度も虹を見る。ダブルの虹も珍しくない。何度、虹を見たことだろう。。。

子供の頃は、東京でもよく虹を見たものだが。
当時は家の前を流れるドブ川にメダカが住み隣のキャベツ畑で蝶の幼虫を観察しツクシを採って遊んだ。原っぱで蛇に出くわして肝を潰したものだった。我が兄は多摩川へ遊びに行ったきりいつまでも帰って来ず、心配した親によく叱られていたものだ。そんなに外が好きなら外に立ってろと怒られ、泥だらけのまま何時間も締め出しをくらっていた。懲りない兄はこれはとばかりにまた遊びに行って姿をくらましていた、愛おしく美しい昭和の時代。生きる事に真剣で真っ直ぐだった厳しく優しい時代。

近頃、よく昔のことを思い出す。今の自分より若かった親の姿、無鉄砲で勝手だった自分のこと。友のこと。。。 過去を懐古する時間が増えたのは死期が近いからだろうか?などと思ったりもする。
偉大な頭脳と斬新なアイディア、それを遂行する信念と情熱を持ったスティーブジョブズが56歳で世を去った。彼が数年前、スタンフォード大学の卒業生に贈ったスピーチを聞き 死を受け入れることがどんなに無念であったろうかと思った。
天才にも富豪にも死は平等に訪れる。
天災や戦争の巻添えで命を落とす人達、何の用意も心構えもないまま不運にも世を去る人達。
残りの人生、どう生きるか。誇れなくとも恥ない生き方をしたい。そんな事を思う英国最後の夜。

雨の似合う国。



3週間英国で過ごして マルセイユ空港に降り立つ。

着陸前にぐるっとマルセイユ上空を旋回。市内の地図も頭に入ったので 懐かしい気持ちで眼下の景色を楽しんでいた。空から見ると綺麗な町なんだがなぁ。。。


空港バス乗り場。並ぶ事なく順番を待つ事もなく、我先にと乗車口に殺到する皆さんを見ていて、これが英国ならば、秩序正しく列を作りさらに老人、女性に先を譲るだろうな、、と 思う。
殺到する輪から押し出されないよう気持ち押し気味で前につめるも、やはり後ろから5番目になってしまった。奴豚の不機嫌な顔が目に入る。(そんな顔するならさっさと先に乗って席を確保すりゃぁいいじゃん)と思った矢先、ドライバーが「あと2席」と遮り、我々は辛うじてセーフ。
乗車してみるとまだ5つ空席がある。親切にも奴豚が出発間際のドライバーに5席空いてるよ、と伝えにいくも、「いいってことよ、20分後に次が来るから待てばいい」、、、だと。。ドアを開ければいいだけじゃん、なんていい加減な奴なんだろう。。あーぁ、これってすごくマルセイユだなぁ、こういう町なのだ。こういう国民性なのだ。


までの道中、やけに道路のゴミが気になる。
英国にはゴミも犬のフンもあまり落ちていなかったな。。
裏路地に小水の匂いが漂うこともなかったし、町を歩いていて不快だと思ったことはなかった。

国民性か? アングロサクソンとラテンの違いなのだろうか、単にマルセイユだけかな?
マルセイユはフランスと言えどもアフリカからの移民が多く他のフランスの町と比べると随分雰囲気が違う。大都会にありがちな低所得者、無所得者や流れ者も多く、ともかく治安は良くない。女性の一人歩きはあまりすすめないし、貴重品は決して持ち歩かないほうがいい。走行中は車のドアをロックし鞄は外から見えないところに置く。引ったくりも多いので注意を払って道を歩き、背後にも気を配る。そういう町である


3月に購入したデジカメのサイバーショットが不具合で日本のカスタマーセンターにメールしたら、大変丁寧な返事がきた。せっかくの旅行中に不具合が生じたことに同情してくれていた。流石 日本だなぁと苦笑。だからって保証内でただで直してくれるとは決して言わないけれど、表向きは礼儀正しくBK丁寧、これも国民性だなとわが故郷を少し不憫に思ったりして。


土曜の午後、インターネット用のUSBコネクターを探しに町へ行き、携帯電話会社数社を回る。同じ会社でも店舗の店員によって言う事が違う。どいつもこいつも腹の底からいい加減な奴らだ。ったく。。
店内を見回して思う。どれが店員でどれが客?? 偉そうな態度の方が店員だとおもってまず間違いない。そういう町である


          人格はどう形成されるんだろう。
      人種や民族の違いはどの程度人格形成に影響するのだろうか。
   育ちと習慣が与える影響は大きいと思うが、気質というのは生まれながらなんだろうか。
ラテン系は喜怒哀楽を表に出す事をよしとし、そんな自由な思想から数々の素晴らしい芸術が生まれた。
規律と勤勉をよしとする英国から戻ると違いがありありとわかって、色々な国の側面を見る事が出来ることに感謝しながらも、ラテン系の国は住むには向かんなぁと思っていたおり。。。駐車違反で車をレッカー移動されてしまい、そこで赤の他人に大変親切にしてもらい窮地を抜ける事が出来た。
いい人も沢山いる。そういう町である
細々とした事が気になるのは、きっとそんな町が以前よりもずっと好きになりはじめたからだろう。




マルセイユは連日 快晴。
奴豚はなにかと多忙な日々を過ごしている。

さて
ロックネスマラソン以来 1ミリも走っていなかった。
運動と名のつくことは一切お休み、二週間が経過した。

次のマルセイユ/カシ ハーフマラソンは10月30日。
ハーフといえども マルセイユの有名なベルドロムスタジアムをスタートして隣町のカシまではひと山越えて行くのである。


越えて行く山。。。という程高くないのだが。。


気持ちは「これではいかんなぁ。。」と思いつつも ずるずる時を過ごしてしまっていた。

金曜、ついでもあって 奴豚の両親と四人で車でコースの下見を兼ねてカシへランチをしに行った。




コースはというと:

スタートから8km登りが続き、峠まで登ると約2kmほどほぼフラット。
峠は木も生えておらず日を遮るものが全くない、晴天ならば頭のてっぺんを焼かれる程の日差しを受けるだろう場所。緩やかな下りから、残り5kmは一気に下る。
カシの町に近づくとくねくねした路地の細かいアップダウンになる。

これはよっぽど脚力がないとまずいわな。。。と やっと尻に火がついた。

家に戻ってトレーニング開始。
ジャンピングスクワットで太ももを鍛えようと、30x10セット、いきなり行ってみた。出来てしまうのが恐ろしい。。。
今までたらんこたらんこしていた足の筋肉がちょっと形を表す。「お帰り、我が筋肉」
たっぷりストレッチをしたつもりだったが、流石に300回のスクワットは初日には過激過ぎて、翌日予想していた以上の筋肉痛で階段の上り下りが辛い。
まったくずぶの素人並みのトレーニングメニューだと我ながら反省。
トレイナーがいたならば、150回ぐらいで「今日はこのくらいで」と止めてくれたろう、が、素人判断というのはあさはかなものよ。
翌日どころか翌々日まで足運びがギクシャクしていた。
ロボットのアシモ君のほうがよっぽど滑らかな歌舞伎歩きをしているなぁ。。。



奴豚はホームベースだけあって雑務に追われたり友人と会ったり、父の術後の病院通いと日々多忙。
なので、一人の時間が出来て嬉しい牛美である。
自分の為だけに使える自由時間というのは嬉しい。

生憎、家にはネット接続がないのでマックに張り付いていることは出来ないが、お陰で他の事が出来てそれもいい。

近頃は一人歩きも上手に出来る。
ちょくちょく近所のスーパーやパン屋へも行く。「はじめてのおつかい」状態だ。
初級仏語1程度のサバイバル会話なら出来るようになったし相手の言っている事もかなり理解出来るようになった。

本日 いつものように近所のミニカルフールへ野菜を買いに行き いつものようにレジにて支払いに出した20ユーロが「偽札」だと言われる。
「え? ありえないでしょ? 新札じゃないの?」と言ってもレジのマドモアゼルが偽札判定機に通すから待ってと言うので、レジには長ーい長ーい列が出来てしまった。
20メートル後ろのムッシュが「どうしたんだよ?」とレジのマドモアゼルに聞く。「お札が偽物だと思うのよ」
ムッシュ「近頃 二種類の紙があるから 本物だよ~」と列を促そうとするが、マドモアゼルは「ともかく機械にかけるまで待って」と、列の全員が情報を共有する。
自分の20ユーロを出して 大きさと紙の質感を比べる人あり、「あんた仏語分かる?」と聞いてくる人ありで レジ前はなんだかご近所井戸端会議状態である。
渦中の牛美は「仏語はよくわからないのよ、英語は話す?」とマドモアゼルに聞いてみるも 誰も話す人はおらず。。。上級仏語会話はまだ出来んぞ。。
偽札判定機械はいつくるんだよ。。。? 中国の偽札を扱うマフィアの一味だと思われてんのかな? セキュリティーとか来るのかな。。。? とか内心思いながらも、わたしゃ悪い事してないからね、と腕組みをしながらわざと大きくため息をついてみせたりしていた。

さて、機械が来て 皆の注目の中 20ユーロがするりっと機械を抜けて。。。いかない。。。
札は機械にはじかれてしまい、偽札のレッテルを貼られてしまった。
と言っても なんて事はなく、別の20ユーロを出したら あっさり受け取ってレジ清算が終わり、「銀行行って聞いてみたら?」 と言われておしまいである。

家に戻って よーくよーく見比べてみた。
言われた通り サイズが微妙に小さい、紙の質感がざらっとしている、透かし部分の紙の色がほんのりピンク色かかっている、中心の線が微妙に他の札よりずれている、、、ような気がする。

どこで貰ったか忘れたが、つかまされた方が馬鹿であるようだ。
さりげなく どこかで使ってくるしかないか? こりゃぁ。
偽札って普通に流通してるんだ? と感心した午後。

とうとう日曜 頂上決戦。

フランスチームがここまで残るとは思ってもみなかった。
戦いぶりが感情むき出しだったが、それでも準々決勝のイングランドチームとの戦いぶりはなかなかであった。
牛美はジョニーウィルキンソンの応援をしていたのだが。。。 年齢的にワールドカップはこれで最後だろうと言われているウィルキンソン氏の試合が終わった。


昨年の10月、我々はニュージーランドに居た。
試合を見ながら その頃の事を色々思い出す。
素晴らしい国。素晴らしい人達。沢山の素晴らしい思い出のある場所。
日曜、我々は何の躊躇もなくオールブラックスを応援するのである!


その日、我々はカンヌにいる予定だ。
以前ブログで触れた事があるが、牛美が初めてレースで一等賞のトロフィーを貰い損ねて、友人宅に預かってもらっている件。。。
その時のブログはこちら
今回それを理由にカンヌの友人の顔を見に行く。
嬉しいことに友人のヤンからは「もう、冷蔵庫にシャンペンは冷えてるぞ」とメールを貰った。血のつながらない兄弟のような気がするヤン。時々自分自慢をする彼だが、その自慢ぶりがちっとも嫌みではなく愛しささえ感じてしまう。育ちの良さなんだろうか。心根の優しい人である。


という事で、週末はニース、カンヌ、モナコに居りまする。


写真左)モナコ王宮からの眺め




10月22日 土曜 9時にマルセイユのガレージ家を出発しカンヌを目指す。
(ガレージ家とは 現在住んでいる場所の事:車庫を改装した部屋に住んでいる)

高速で1時間半と思っていたら 週末の朝から渋滞。あれれ、カンヌの友人宅で昼食を共にする約束に間に合わないか? と高速を下りて田舎道のくねくねをひた走ることに。お陰で景色は抜群。小さな村から村をつなぐ裏道。丘を越え畑を巡り、収穫の終わった葡萄畑や紅葉するプラタナスの街路樹を抜けて行くのは素晴らしい。

12時半 カンヌ着。




ヤン&パオラ夫妻宅にはすでに彼らの友人家族が二組。
子供達も含め我々を迎えて大人数の昼食会。

預けてあった牛美のトロフィーの授与式もして貰い 暑い日差しを浴び 庭でのんびり。





夕方から全員で近所の体育館へバレーボールの試合を見に行く。

          
ヤンがカンヌチームのマネージメントを手伝っているので 我々はVIP待遇であった。
5セットマッチの合間、2セットが終わったところで体育館の屋上につながるVIPルームでシャンペンサービス。
バレーボール観戦しながらシャンペンなんてリッチだなぁと嬉々として頂く。

    
結果はカンヌチームの惨敗。リーグ下位のチームに負けてしまった。
終了後 VIPルームに戻ると 今度はシャンペンと一緒に軽食が出されている。
カナッペやオードブル、サンドイッチにデザートまで立食形式でたっぷりで夕食代わりにきっちり頂いた。    
     

選手も加わり和やかな歓談。海外から参加しているオリンピック選抜メンバーもいたりで英語も通じる国際的環境。

カンヌは国際的イベントをつねに開催しているだけあり、市民も英語を話す重要性を強く感じているように思う。
ヤンの長男は現在交換留学生でアメリカに行っている。
11月の第一週はG20サミットが行われる為、町の中心部は閉鎖され住民以外の立ち入りは禁止だそうである。
お陰で学校も商店も休み。ホテルも関係者以外の宿泊は受け入れせず。港への立ち入りも禁止という厳重な警備がしかれるそうである。



どうもいまひとつシェンゲンビザを理解できないままユーロ圏を出入りしていたのだが、思い切って入国審査官に聞いてみた。
(偉そうに言っても聞いたのは奴豚なんだが。。)

今回、8月にアイスランドを経由してヨーロッパ入りし、その後,英国へ行き またユーロ圏に戻って来たわけである。

ずばり 日本のパスポート保持者にはシェンゲンビザ90日と言うのは入国のたびに与えられるのだそうだ。
つまり、シェンゲン協定のあるユーロ圏に入国し90日のビザが切れる前に一度シェンゲン協定のない国へ出国すれば、次の入国でまた90日滞在する許可がおりるのである。6ヶ月間のうちの90日という制限なしに。
一旦出国するのは1日だけでもオッケーで、例えば、フランスから格安航空会社のライアンエアーでロンドンへでも飛んで、翌日戻って来てもいいのだそうである。
これはハッキリ言ってかなり画期的なニュースであった。

イミグレーションの審査官に聞いたのだから、これ以上明白な情報はないだろう。
 (が、これはあくまでも空路のことであり、陸路については定かではない)

とは言うものの、マルセイユ空港の審査官だと言うことを忘れてはいけない。。。



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