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12月31日

2012年、名残惜しい…などとちっとも思わず いつも通りの一日。
旅して転々と移動していると掃除はしなくていい、おせち料理は作らなくていい、近所付き合いもない、まったく隔離された年末年始で、普段となにひとつ変化がないものである。
それを寂しいと思うか 楽と思うか、それはその時の気分による。

日本が新年を迎えるチリ時間の正午、奴豚と「明けましておめでとうございます、昨年は御世話になりました、今年も宜しく」と挨拶を交わし ジョギングへ出掛けた。
約1時間半、高台へ登り、海辺へ下り、今晩の花火はどこで見ようかとロケハンしながら走り、戻って昼食。まだノロノロから脱け出せない…


街の中心部 バルパレイソ通りは出店が並び人が溢れている。
元旦のみスーパーが閉まるので買い出しの人も多数。
『 何 買ってんだ、そんなに?』 と買い物袋を覗くと、ポテチやソフトドリンク、アイスクリームと主にスナック系であった。一日スーパーが閉まるくらいで 大混雑するこたないだろうに。。。
先日のクリスマスもそうだったけど。。。

我が家は先日買った鮭がたんまりあるので食料には困らんぞ。

夕飯をシャンパーニャ(スペイン語表記)で楽しみ、イザ 花火を見に出掛けるなり。



     2013年 さらに素晴らしき 良き年でありますよう




  カジノ前から海岸に集まった人達。

 カジノ提供の無料シャンパーニャを頂きながら花火を待つ。


        0時5分 街灯が消え。。。



始まり始まり。ヴァルパレイソからビニャ - レニャカ - コンコン の 四つのリゾートを繋ぎ 7カ所からシンクロして打ち上げられております

      

海から高々と上がる花火。
腹に響く 打ち上げ音と炸裂音が小気味いい!!!



         新年 あけましておめでとうございます




1月1日

元旦からダラダラすると一年ずっとだらだらしそうで不安なので、、、

気乗りしないが、奮起して走りに行った。走り初め。
隣町レニャカまでバス。昨夜の騒ぎの名残、ゴミやクラッカーの色とりどりの紙屑が残る路面。
海岸に設置された柵の撤去作業をする人達、海岸で寝転ぶ人達。新年といえども昨日と何の変化もない。


身体が重い。。。太ったかな? 走るのシンドイわぁ。。。
新年早々こんなことではいかんと、せめて10キロ、レニャカからアパートまで、ともかく走る。
奴豚は身体が軽いそうで、ビニャの街を素通りしてバルパレイソへ向かって去って行った。
牛美は別れて1人帰宅。ふぅ。。




映画「ライフ・オブ・パイ」(トラと漂流した227日)

チリでは1月3日封切りで初日に見てきた。

3D。アバター以来、なんでもかんでも3D上映というのが嫌だったのだが、2D上映の時間が深夜だったので仕方なく余計払って3D黒メガネをかけて見た。眼鏡にさらに黒メガネって煩わしい…(3Dで見るまでもない気がするのだが。。。)

映像は綺麗だったが、テンポがスローで少々気疲れした。
期待したのが仇になって、あと味はいまひとつ、という感じであった。227日も漂流した感じではなかったなぁ。
ファンタジー映画なんだね。最後に彼の口から語られる「二つの真実」に深い意味があるんだろうが、もたつく気がしてしまった。
まぁ、取り方は人それぞれですから。




5週間。

ヴィーニャに来てから5週間経った。

マラソン走って、風邪で寝込んで、のんびり年末年始を過ごした心地良い街ともお別れだ。
いつもながら、ちょっと長めに滞在した場所を去る時は後ろ髪を引かれる思いだ。
居心地良い場所を後にする時は決まってそうなのだ。わかっているんだ。

荷物をまとめ、バックパックを背負うと、もう気持ちは次に向かっている。根っからの旅人かも。

それでも最後の夜はキャンディーズの「微笑み返し」の気分で「私達、歩いて行くんですね~♩」なんて気になっているわけである。。。。





もう何処へも行かずに ここに居着いてしまいたい、、、と ふとそんな衝動にかられる事があるのは事実。

居心地の良い土地に長居すると きっと誰でも一度くらいはそう思うかもしれない。


それでもまだ我々には行きたい場所があるのだ、見たい所があるのだ、だから 16キロのバックパック(以前より軽いぞ!)を背負って歩き出すと、ほぅらね! また 素敵な街に出会った。


街との相性は一目惚れに似ている。第一印象で決まる。




奴豚がまず「悪くないじゃん」と言い、何事も冷静な牛美(冗談冗談…)が しばらーく経ってから「いいじゃない、ココ」と言う。それで決まり。二人とも、とてもココが気に入った。

ラ・セリーナという街。




ヴィーニャからバスで7時間。途中ロスビロスというなーんにもなさそうな地方小都市を通り(写真右)約500km北のラ・セリーナという街へ。

他所様の評判はイマイチで、ビーニャの方が綺麗だとか聞かされていたので全く期待せず来たお陰で、逆に印象が良い良い。



早速、朝からパワービジットで街を走り回る。

狭い街だからすぐにひとまわり。

丘へ上り墓地横のモニュメントから眼下を見渡す。
(写真右は隣町の景色)









丘を下り、そのまま海岸へ走る。




静かだ…

約1時間半のジョギング。

明日は海岸沿いを隣の漁港コキンボまで走ろうっと。







ラ・セリーナの南にはコキンボという名の漁港がある。
ちょうどヴィナデルマールとヴァルパライソ的な位置関係。

ヴァルパライソも漁港だが、このコキンボというのがこれまた ことのほか い~い小漁港であった。ヴァルパライソよ、ここを見習いたまえ。



ラ・セリーナのホステルからジョギングで漁港まで13キロ。海沿いの遊歩道を走る。




港は小さいが活気があって 魚料理の店がひしめき合うように軒を並べ、威勢の良い声があちこちから聞こえてくる。
鮮魚屋も沢山。これぞ漁港の醍醐味、観光漁港として終日開いており、何時行っても魚が食べられる。

     吊るしてあった魚達。  大きな口だ。

      




 決して安くはないが、色々な種類の魚、貝料理が食べられる。

 調理方法は主にフライかソテー。

 付け合わせに野菜、炒飯。またはフライドポテト。



   量 多し。




コキンボの丘に立つ十字架まで腹ごなし散歩し、丘から眼下を見渡すなり。

       







  昨日の魚に味を占めて、、、

 本日も漁港目指して13キロのジョギングなり。

   魚とビールが待っていれば13キロは楽し過ぎ!

      曇り空の中をスタート。



   空を舞うカモメ達。      と       漁港横にはペリカンの群れ。
      

    途中でピーカン。気温上がって皮膚から塩が吹き出す。



 昨日登った十字架の丘がどんどん近づいてくる。

   もうすぐ漁港、美味しい魚が待ってるよ。



   今日はマーケットも開催中。
      新鮮野菜と果物が並ぶ。

 ネクタリンとプラムを購入、ずばり 甘い!!!



本日は 食後 砂浜を散歩で戻る途中、カジノに寄り道。
スロットマシーンで昨日と今日の昼食代を稼ぐなり! うふ!





特に長居する理由がなければ、基本滞在は三泊。もちろん気に入った場合は延泊になるが、セリーナは当初から四泊と決めていた。

        1月9日に次なる町、ビクーニャを目指す。

ビクーニャはセリーナから東へ、内陸のヴァレー(エルキン渓谷)へ入って行くのだ。
距離にして60km程度。舗装のよくないガタゴト道をオンボロバスで約2時間。
カラカラに乾いた渓谷の町、ビクーニャに来た。
よほどの暇人以外、日本人はまず来ないであろう。。。

道中の村落には何もなさそうで、はたしてどうなることやら、と近づくにつれ不安が増したのだが、バスを降りて周りを見回すと広場周辺には店も宿も何件かあるし にぎやかだ。

 写真左)は 中央広場にあった「顔」



予約していた宿まで徒歩。思いっきり暑い。
午後二時の日差しは強烈でこの暑さでは日中は走れないな。。。と少し落胆。

我々のホステルは、町では安い方に入るが 我々的には高い部類に属する。
ハイシーズン値段なので仕方ない。チリは本当に宿代が高い。。メールやネットで予約出来るような便利で洒落た宿は高いのである。



        さて、ビクーニャで何すんの?と我々も思案。

天体観測所ツアー、ピスコ蒸留所見学、ノーベル賞作家ガブリエル・ミストラルの生家見学、と選択はそんなもんである。


  。。。で、先ずは着いた初日の夜、天体観測所ツアーに参加。

21時過ぎ、まだ薄明るい夕映えの残る空にひとつ、ふたつと星が見え始めた。
英語で説明をしてもらいながら、望遠鏡を覗き木星の筋を確認。どんどん星が数を増して、とうとう空は星だらけに。
人工衛星が縦横無尽にあっちからこっちから流れて行く。
           

砂漠に近いこの辺りは雨がほとんど降らない。湿気もなく乾いて、雲さえ無いお陰で天体観測には格好の場所。世界各国の観測所がこの近辺に集結している。勿論、日本のチームもいるそうだ。と言うことは日本人も訪れる場所だったのか。
2020年には世界最大の望遠鏡を導入する予定のチリ政府。現時点では他国に水を開けられているが、一挙挽回を図るらしい。




  さて、お次はピスコ蒸留所見学へ。

      


地下の資料館には過去 フランスから輸入した酒造りの器具等が展示されている。
葡萄から作る醸造酒なので基本の作り方はワインと同じである。

工場見学と来たら“試飲”抜きには語れない。

度数の違う原酒を二種、カクテル割にしたものを二種、小さなカップながら四杯頂き、ニコニコ。

   グラッパとかウゾーとかの種類に似ている。アルコール度数40度なり。




ヴィクーニャの散歩の友も確保。(写真右)

因に ガールフレンドである。ホステルを出た時からついてきた。
公園のベンチで休む時は ベンチの下に寝転んで待っている。

翌日もいつの間にか現れ 一緒にお散歩なり。
目がクリクリなので 「どんぐり」と名付ける。



渓谷の昼は乾いて暑く とても走る気になれないので、早朝 裏の山へ向かう。

奴豚とは別行動である。走りたい方角、時間帯、走るスピードも違うので 自ずと別々。互いに気楽。



すぐ裏のミラドー(展望台)と呼ばれる小山の頂上には数々のアンテナが並ぶ。

マリア様はアンテナに押しやられている感じ。

神様より携帯電話の時代か。。






この小山から ずっと奥へ奥へと果てしなく走っていけるが、牛美は深入りせずに折り返す。                        写真右はヴィクーニャの町。
      



朝の渓谷は霧と靄と砂漠とサボテン。

清々しく素晴らしい時間。








暑い午後はバスで隣村へ。

何もない。誰もいない。。。と思ったら山羊達とすれ違う。



          




ヴィクーニャからさらに渓谷の奥地へ入ったところにPisco Elqui ピスコ・エルクイと呼ばれる小さいが居心地の良い村がある。

本当に小さく 中央広場をくるりと回るともうそれで終わり。店もレストランも数件、ここはそれでも充分なのだ。

ピスコというくらいだからピスコ酒用のぶどうが栽培されている。
緑の渓谷は一面葡萄畑だ。山からの川の水で潤っている。


     この小さな村で我々は 忘れられない心に残る三日間 を過ごした。




渓谷の村の夏は乾いて暑く、日中は何もする気になれず、ホステルの庭にあるプールサイドで涼むくらいだ。





    そこで早朝、明るくなり始めた頃 トレイルへと走りに出る。

初日はとりあえず渓谷の奥へ向かって走り出したが、予想外にもあちらもこちらもフェンスで囲まれ、ぶどう畑へも立ち入り禁止で、行っては戻り、鉄条網をくぐりフェンスを越えとなかなかワイルドであった。


      

      宿で知り合ったイスラエル人ランナー、長身のロンと三人で走る。


宿へ戻る途中で野良犬が走り寄って来た。南米には野良が多いのである。用心に棒切れを携え走っているのだが、こいつは悪意がなさそうだった。

       遊んで欲しそうにしているので一緒に連れて走った。




翌朝、同じ時間に宿を出る時に、昨日の野良が宿の前にいたので連れて走った。

      

元気一杯のこの野良は心底楽しそうに我々と行動を共にした。嬉しいのを押さえきれないのか時々喋りかけてきたり、ベロリンと舐めてくれたり、前になり後になり嬉々と走るその姿が愛らしくてたまらない。
賢いのだ。牛美がひとり遅れてトレイルに迷いそうになると決まって野良が様子見に戻ってきてくれる。「あ、いた。」とでも言っているようである。そして行くべき道を示してくれる。不思議な子だ。心の優しい子だ。「大丈夫だから行っていいよ」と前を指差すと一目散に奴豚達のいる方へ走り去って行く。そんなことが三日間のランニング中、何度もあった。



走り終わって宿へ戻る。またね、と別れて、夕方公園で彼と再会。
のんびり寛いでいた。ここで生まれてここで育ったのだろう。
気だての良い野良犬である。すっかり我々は彼に惹かれてしまった。
     お喜楽顔だが結構賢い。




三日目の朝、宿の前に野良の姿がないので公園まで迎えに行ってやった。

 と、どうだろう。  飛び上がって喜びを爆発させて、ご近所の犬達に向かって「これから走りに行くんだよ!!」と吹聴でもするように ちょっと自慢気にひとしきり吠える姿が可笑しくて仕方ない。
馬鹿者、と苦笑しながらも、あまりの喜びようにこちらも嬉しい。


  今朝は山登りラン。
   “◯◯”と煙は高い所が好きなのだ。

せっせと足場の悪いハゲ山を登って行き、日の出でパチリと記念撮影。



   二人と一匹のグループ写真。(右)

     まだ山の中腹、ここからさらに登る。




      

   どこまで行ってもキリがない。   延々と連なる山並み。

          素晴らしい景色を堪能する。

  
  朝食に間に合うように下山する事に。

  名残惜しい山のランニング。
  時の経つのを忘れてしまうほど楽しい。

     疲れを感じることもない。



これもひとえに馬鹿者の野良公のお陰である。
こんなに幸せな気持ちにしてくれ、我々を選んでくれてありがとう。
犬との関係は 人が犬を選ぶのではなく、実は犬に選ばれるのである。



     別れは辛かった。

今まで何匹もの犬達と関わってきたが、連れて行きたいと思ったのは今回が初めてである。
公園のバス停で、ぐっと堪えて後ろを振り向かずにバスに乗った。

        

    元気でいろよ、馬鹿者。




ピスコ・エルクイのホステルにはWiFiがあった。
場所はカフェテリアに限られ、接続にもムラがあったが、何よりないよりマシ、ありがたいことだ。

ところが 我がiPadがストライキ

立ちあがらない。
電源も落ちない。
強制終了を繰り返してももとに戻らない。

またか。。。以前もあったんだ。

リインストールしてバックアップデータを戻してみる。
一瞬治ったかのように見えて、また同じ症状に戻ってしまった。この間、約3時間経過していて、深夜になり、復旧は翌日に持ち越す。


工場出荷状態に戻してみた。

バックアップデータをインストールすると機嫌が悪くなる。
何の為のバックアップじゃ。仕方ない過去は忘れよう。

まっさら、いちから出直しである。


っったくーー、、、。


. 野良公の馬鹿者の事が頭から離れない。思い出しては寂しくなったりにんまりしたり、変な人達である。

エルクイ渓谷と呼ばれる 素敵な村々を通り、再び海岸のリゾート ”ラ・セリーナ”へ戻った。
帰路のバス運転手は山道のくねくねを巧みなハンドルさばきで あっと言う間の2時間半でセリーナのターミナルまで連れて帰ってくれた。が、野良公との距離がどんどん離れて行くのは淋しかったなぁ。。。


セリーナの町に戻り、海岸沿いの14kmランニング、漁港でのランチ、帰路のカジノでランチ代を稼ぐというパターンに戻った。


今回セリーナに三泊したのは、ダカールラリーの混雑をやり過ごすつもりであった。


以前パリダカと呼ばれていた砂漠のラリーレースは 今は南米の砂漠で行われており ダカールラリーと名称を変更している。

我々が北上しようと予定していたのと同じようなコースをあちらさんは南下してくるので、どこかですれ違うことになる。チームやサポート、その家族や友人、観戦者、ファンが揃って移動するので、バッティングすると宿が確保しにくくなる心配があり、出来れば脇道にそれてやり過ごしたいと思っていたのだが。。。実際 宿はどこも満室のようだった。。。

ラリーがセリーナに来るのが18日なので我々は18日の朝 北へと向かうバスに乗った。


ラ・セリーナ以北、観光に力を入れている町は希少である。

どこも鉱山、炭鉱が産業で、それなりに潤っているので宿代は強気の驚きの高値。
数年前に落盤事故で33人が69日間地下に閉じ込められ、奇跡の救出劇のあった町コピアポもこの先だ。泊まろうかどうしようか思案中である。

取り敢えず、宿の予約もないまま行き当たりばったりでVallenar(バレナー)という町までのバスに乗った。
早い時間に到着して徒歩で宿を探す作戦。
町が気に入らなかったら次の町へのバスに乗ろうと思っていた。

バスの車窓からの景色はすっかり砂漠地帯。
初めは面白いと見ていたが短調で眠気に襲われた。

バレナーまで3時間。
砂漠の中に急にオアシスのように緑が現れたと思ったらそこがバレナーであった。
渓谷と言うくらいだから、川に浸食された深い谷の狭間、川沿いに町が広がり下ってみると緑溢れる小さな町だった。

ダカールラリーのサポートチームが寛いでいた。
各自の車の整備をしたり食事を取ったり、公園で寝転んでいる人達もいる。
レースも終盤、疲れも出ている頃だろうなぁ。






牛美はひとりバレナーの町を歩いて宿を探す。奴豚はバスターミナルで荷物番。
拙いスペイン語で部屋の交渉。時には解らない方が安易に進む時もある。





年配の女性に すがるような眼差しで「セニョリータ、27,000 を 25,000にしてくれませんか?」と筆談してみる。

WiFiシグナルも強い、朝食付き、トイレシャワー付き、しょぼい宿だが立地が良く庭にテーブルがありいい感じであったので ここに一泊する事に決めた。





バレナーには ほんの一晩の滞在。
奴豚が不機嫌、「気に入らん」というので そそくさと次の町へのバスに乗る。



チリの北部は砂漠地帯。鉱山ばかりで景観はいまひとつ。
バスの行き先はカルデラCalderaという海沿いの小さな小さな港町。




途中 コピアポの町を抜けて行く。
砂埃ですすけた印象の町だった。




着いたカルデラ。
バス停で牛美が荷物番をしている間、奴豚が宿探し。
目星をつけておいた最初のホステルに決め、町を散策。

      
小さいが港には魚屋もあった。
天気が良いと なかなかどうして悪くない町である。



先を急ぐ必要もなし 三泊した。

隣にある猫の額程のリゾート地バヒアイングレサへジョギングしたり、海岸沿いをぐるりと巡って走ったりと 連日せっせと走った。

(写真左:突端の灯台)



          (写真右:中央広場の教会)

一周するのに15分もかからない程の小さな町だが 印象は良かったな。




さて、これからいよいよ アタカマ砂漠へ。


アタカマ砂漠へ


1月22日 カルデラ 22時20分 発 の バスに乗った。

サンペドロ デ アタカマ、日本人には通称 ”アタカマ” 、 その名の通り アタカマ砂漠のど真ん中の町へ向かうのである。

所要時間9時間の夜行バス。満席だった。
我々は カマエクゼクティブ(やや寝台)席で ゆったり休む事が出来た。
(やや寝台)と書いたのは、セミカマ席の通常のリクライニングと比べると150度リクライニングするので、寝台とは呼べないが ゆったりだからである。


翌朝 9時、ローカルは ”サンペドロ”と呼ぶ サンペドロ・デ・アタカマへ着いた。
バス停から予約しておいた宿までは1ブロックですぐ。町の中心から2ブロックと絶好の立地。
フランス人の間で絶大な人気を誇るホステルローズ・デ・アタカマ
本当にフランス人しかいない。。。ホステル内の公用語はフランス語、いきなりフランスに戻った気分。まぁもともとスペイン語もフランス語も牛美にとっちゃ 似たようなもんだ。もちろん英語も通じる。

このホステル、立地よし 値段よし 部屋も共有スペースも清潔 おまけに羽根布団。
シャワーの時間は朝晩2回に限定、朝食は付かないがキッチンで自炊可能。物干し場もあり、中庭も広く 家具類は古いが、我々には申し分ない宿。
物価高のアタカマの中心部でプライベート部屋が20,000ペソ(40ドル)なら文句ないぞ。
ドミ部屋(8,000ペソ)もあるので一人でもOK。かなりオススメの宿である。(詳細



写真下は中央広場の様子。
      



  昼時、アサード(焼肉)屋さんの肉を焼く煙。
   人も犬も匂いにつられて集まってくる。
        もち、奴豚も。。。


        中央広場は皆の社交場。


 
  野菜買って エンパナーダ立ち食いしながら そぞろ歩く。



ボリビアへ抜ける四駆のツアーと 貸し自転車屋を物色。

ゴージャスな夕焼けのなか、中庭でネギたっぷりリゾット、アボガドツナ缶乗せの夕飯なり。




 アタカマはこんなトコ

東は雪をかぶった5千メートル級の山々。活火山からは煙がのぼる。あれを越えると向こう側はボリビアだ。
西は 月面てこんな感じか?という 砂漠と岩山が果てなく続く。塩を豊富に含んだ白っぽい大地と濃い茶色の砂丘、ピンクがかった山並み。ほんの少しの緑があちらこちらに。

強烈に渇いて 朝晩は寒く日中の紫外線は強力、まさに砂漠の気候。
世界の砂漠の中でも最も乾燥しているそうだ。
鼻の中がカラカラに乾いて痛いほど。



マウンテンバイクを借りて 夜明けに塩のラグーン(湖)目指して 走り出す。

  東の山の上に 光が…。 … … … 。         パッカーンと朝日の登場。
      



暁のライダーは一路 湖を目指して 真っ平らなアスファルトをまっしぐらに進む。
朝の冷気が気持ち良い。寒くて指がかじかむ。

      



   岐路、ここから砂利道。

      お尻痛い。。。。




     22キロ先のラグーンまで1時間半。一番乗りで誰もいない静かな塩湖。

        


湖は三箇所あり、一箇所だけ入水が許可されている。他はフラミンゴ達用。



  まだ寒いんだけど。。。

   ソロリソロリと入ってみると、、、

     強い塩気で身体が浮く。 死海と同じ。





プカプカと浮きなしに漂う浮遊感。

泳ごうとしても足が水面から上に持ち上がってしまい泳げません。







塩ラグーンで浮遊感を堪能し塩で真っ白になった肌を水で落とし、すっかり冷えて、にわかチャリダーは 今度は山へ向かう。

      


     ひと山登って トンネル通って、
        




  チャリダー達の前には 

   更なる山と砂漠が広がっていた。。





"月の谷" を目指して



 今日もにわかチャリダーは 朝も早よから
   フットワーク軽く 。。

        出発進行ー!





目指す先は「ヴァレー・デ・ラ・ルナ」(訳するに 月の渓谷 )

月面はこんな風じゃないか?という 月に行ったことのない我々が思い浮かべる世界である。



      

塩の大地は白く乾き、ミネラルを多く含みクオーツ石などはむき出しである。
岩と言うよりも石と砂の大地を風が刻んで作った地形。ゴツゴツよりむしろギザギザで不用意に触ると鋭利なエッヂで怪我をしそうだ。(実際切ったのだが。。)




細かい砂、透き通った水晶、表面はキラキラ日に反射する。






     まさに月面 の イメージ。







スケールの大きな景色の中をさらに進む。
広大な公園である、が、アタカマ砂漠のなかにあっては ほんの点ほどの大きさだ。




空も雲も 綺麗だ。

飛行機がまっすぐな線を引いて飛んで行く。
空からはどんな風に見えるのだろうか。



スリーマリーと名付けられた岩。何万年も前からここに立っている。
風に少しずつ削られて行くのだろう。






日陰を求めて岩の影に座る。シーンとした景色のなかに ピキッ! ビシッ! と 渇いた音がする。
誰かいるのかとあたりを見回す。
石と泥と塩で出来た その岩の表面から聞こえる。
少しずつ剥がれているのである。

崩れないかとヒヤヒヤしながら、しばしランチ休憩。






     ここから天然塩を採取している。        水晶と思われる表面(写真右)
     



  開園は9時半だが、チャリの我々を8時半に入園させてくれた。

誰もいない月の渓谷は、自分を なんてちっぽけな存在に思わせてくれたことか。。。

圧倒的な大地の中に ポツネンと 存在している我々人間は、小さく、その生涯は短かい。


      


何百年も雨一滴降らない場所もあるのだそうだ。

NASAが火星探索ロボットの試験をしたこともあると言う。




  塩の川、蛇行する河の跡、
     大地に刻まれた 壮大な景色。

       ここに来ると無口になる。




   圧倒的な規模の 大砂丘。
       砂の海、砂の波、
         広すぎて、例えようが無い。

  (クリックで拡大すると左上に車が小さく見える)





結局、丸一日をここで過ごしたが、すれ違う人はほとんどいなかった。
団体ツアーは夕方なのである。
車でさぁ~っと巡ってしまっては、ここの素晴らしさは半減するだろう。


是非、自転車でゆっくり巡って欲しい 素晴らしい渓谷である。



当初、アタカマには三泊程でいいかと思っていたのだが、砂漠や山や湖やら 息を呑む程美しい夕焼とかを見ているうちに、結局六泊してしまった。

アタカマ砂漠を抜けてボリビアへ入国しウユニ塩湖へ向かう3日間の四駆車ツアーの日程も、無理言って二回も延期してもらった。(ボリビア人、結構融通効くね、ありがとう。)


アタカマ砂漠も素晴らしかったが、この先に是非見たい所があるのだ!

それは ウユニ塩湖 : 雨期に入って雨水が溜まるまで、わざわざ日程待ちして、この時に調整してきたのである。


ウユニ。 最近ユニクロの宣伝で紹介されているらしい。(日本にいないからわからんが。。。)
地平線と空がくっついて境がなくなり、世界がまん丸になる場所。どこからが空でどこからが塩湖か解らなくなるのである。全ては鏡張り。全てが湖面に映り込んで まるで宇宙に浮遊しているような錯覚を起こす、この世とは思えない あり得ない程美しい光景なのである。

それを見たくてボリビアへのツアーに参加した。ツアー会社選びも慎重。
塩湖で朝日が見られるか?否か? 運転手や四駆車の状態、食事や宿、何がツアーに含まれているのか、色々調査して、エストレラ・デル・スール(Estrela del Sul) という会社に決めた。
。。。矢先に、まさにその会社のツアーで運転手が飲酒運転、ヘロヘロで危険な運転をしたという情報が耳にはいる。よくある事らしい。運転手が二日目くらいから夜な夜なドライバー仲間と酒盛りをする話は聞いていたが、実際目の当たりにし、その会社のツアーに申し込んだとなると話は違ってくる。

事務所に出向いてプレッシャーをかける。のらりくらりと応対するボリビアン。
朝日も、ベストドライバーも確約はしてくれたが、口約束はあてにならない。実際、ツアーは始まってみなければわからない。あとは同乗者達と相談して、運転手が居眠りしないか、飲酒運転しないか、皆で常時確かめるしかない、と かなりの覚悟で出発の朝を迎えた。




1月29日
いざボリビア国境へ。

… と、その前にチリを出国せねばならぬ。出国スタンプを貰うのに長蛇の列。1時間並ぶ。


さて、やっと国境を目指すなり。トイレか?と思うような簡易建物内部で、「日本人? ふうん。何日滞在したいの? 30日? 何故?」と軽く質問にスペイン語で答えて入国完了。


周りは山。チリ側からの四駆車ツアー陣と ボリビア側からの四駆車ツアーの交差点。
グリンゴトレイル=つまりは外国人観光客のゴールデンルートだ。

これからいくつもの湖をめぐり、5千メートルの山を越えて、二日かけてウユニを目指すのである。



昼近くになって朝食。

チリ側のバスドライバーがささっと準備をしてくれ、車の横で軽食。

ここでボリビア側からの四駆車に乗換える。
ボリビアの観光はボリビア人ドライバー・ガイドに限定されているのだ。




我々の四駆車ドライバーは落ち着いた中年男だった。
名前はアブラモ。無口でボソボソと説明をしてくれる。むろんスペイン語で。



このツアーの良し悪しは 要は会社ではなく、各ドライバー個人によりいかようにも変わってしまうのである。
いいドライバーに巡り合わせればツアーはいいものになる。もちろん逆もあり得る。
アル中だけには遭遇したくない。



同乗者は我々を含み6名。スイス人とドイツ人のカップル。ブラジル人の若者二人。車内はスペイン語、ドイツ語、ポルトガル語、英語と日本語であった。ツアー中、必要な事はスペイン語に堪能な者が通訳してくれ不便は感じなかった。




初日はどんどん高度が上がる。コカの葉を噛み噛み、大量の水を飲み飲みと、高山病にかからないよう注意する。

白い湖、緑の湖、赤い湖、どれも塩分を含んだ沢山の湖を巡る。


      

      






    ボリビアはフラミンゴの宝庫である。





活火山の多いこの辺りは温泉もあるんだ。
すごい勢いで湯煙を吹き上げるさま。覗き込むとボコボコ言っていて怖い。


      


ひとっ風呂浴びて行く事に。今宵はシャワーなしだそうだからね。

       



第一夜目、宿泊は水も電気も無い山小屋に全員が同室と聞いていたが、到着してみると水も電気もあり、部屋にはベッドが7つ、夜間は零下になると言われていたが、毛布も沢山あり寒くはなかった。

      


このツアーで一番の高度5千メートルにあるコロラド湖畔。赤い色をした湖には赤いフラミンゴが沢山いる。
ご存知かと思うがフラミンゴがピンク色をしているのは赤い藻を食べるからである。

      


遅い昼食を4時に取り、5時にはお茶と菓子が出され、湖畔を散歩。強風で寒ーー!


      



暮れ行くピンクの空を見ながら夕飯を待つ。8時過ぎに夕飯。食事は簡素だが場所と状況を考慮すれば “充分すぎてありがたい” 程であった。他のツアーメンバーは文句を言っていたが、我々は予習していたのでそれ以上の期待もせず、感謝していただいた。

夕食を済ますともうする事はない。ツアーメンバーと歓談し打ち解けた所で早々とベッドに潜り込んだ。
高山病予防の薬を飲んで寝たら 嘘のようにぐっすり熟睡してしまった。




二日目。6時朝食と言われていたので5時45分起床。

服着たまま寝たので ささっと準備してまだ暗い戸外に出てみると、どうもオカシイ。。。食堂もどこも真っ暗。誰もいない。。
??? と思って食堂のある棟に近づくとドライバーが2人ヒソヒソと立話中。もしやと思い聞いてみた。「今、何時?」 クールに2人が答える「4時50分」 あぁそう、やはり時差があったのか。昨夜のうちに教えてくれよな、と思いながら 外で用を足して部屋に戻り 他のメンバーに伝える。皆 速攻でベッドに潜り込んだのだった。



さて、冷たいパンケーキにジャムの朝食を済ませ すぐに出発。
他のツアーが到着する前に絶景を見せてくれようという運転手アブラモの配慮であった。
誰もいない 四駆の砂煙もない 静けさの中の奇岩の景観を楽しみ散歩する。
30分もすると、次々と四駆車が集まり始め ガヤガヤと観光地化してしまった。

       「アブラモ 素敵なひと時をありがとう。」

        



さて、次へ次へとスケジュールをこなし 湖をめぐり 変わった景色を眺め、リャマやチンチラも見、どこへ向かっているのか 土地勘のない人にはわからない 道なき道(実際はそこが道なのだろうが。。。)を進み、川を渡り丘を超え ウユニの町を目指した。



       



故障車がいると皆が助け合う。明日は我が身かもしれぬ。

タイヤが外れた車を皆で修理。各車それぞれがボルトをひとつずつ提供し、ツアー再開。
故障は日常茶飯事。そんな時は散歩したり用を足しに行ったり、気長に待つべし。




ウユニの町の外れには、鉄道車両の墓場がある。

      





もう何処へも行けなくなった車両達。
遊び場にもなっているようだ。





近隣の村の古い教会を訪ねてみる。




今、ボリビアは雨期で塩湖に水が溜まるのを待っていたのだが、逆に降り過ぎで洪水状態。ボリビア政府は安全対策としてウユニ塩湖へのアクセスをウユニ町側からの一箇所に制限したので、ツアーの中身も従来とは違って 二日目にして既にウユニの町へ行く事に変更されていた。
ウユニ塩湖内にある「魚の島」と呼ばれる場所へは立入禁止だった。
いいんだ、ウユニ塩湖の鏡張りさえ見られれば、それ以外の望みはない。

完璧な鏡張りの景観を見るためには ある一定の条件が揃わねば無理である。
雨水が溜まっている事は論外としても、天気が良い事、無風である事と雲が多すぎない事が重要なファクターになる。風が吹いて湖面が波立つと鏡にはならない。。。

取り敢えずチャンスは一度。明日の天気は如何に。。。
自分の強運に かなりの自信を持って 守護霊にお願いをして 明日に備えて寝る事にした。


明朝の出発は5時である。
ブラジル人が必ず集合時間に遅刻するので 一言 キツく刺しておいた。

「1分でも遅刻したら置いて行く」と。






ウユニ塩湖


5時。ドライバーのアブラモが焦れながら「バモス(さぁ出発しよう)」と言う。当然こちらだって 出発したい、が、案の定 ブラジル勢が来ない。また遅刻かい。今までは待ってやったが今朝は違う。待ったなし!と思うが、今日が誕生日のブラジル人 ロドリゴを置いて行くのもチョットやり過ぎかな?と思い 呼びに行き急がせ 何とか10分遅れで出発とあいなる。

いくら穏やかな性格の牛美とは言え、この時ばかりは 嫌味の一言。

     「私達は貴方達を待ってあげられるけど、朝日は待ってくれない!」

心で思う。『今日の朝日は特別なんだから。あんた達には 普通の朝日かもしれないけど。』



既に他の四駆車はずっとずっと前方を走っているようで、遠くに点々とライトが見える。遅れを取り戻そうとアブラモは頑張って走ってくれるが、なんせデコボコ道では飛ばす事は無理だ。


東の空が明るみを帯びていく。
ウユニ塩湖の水が溜まっている場所まで、朝日が登る前に着けるだろうか。

       頼む、何とか、あと少し、頑張れアブラモ。。。



ウユニ塩湖の入口。
   とうとう来たぞ、鏡張りの湖が待っていてくれるだろか。



東の空は赤く白く染まっていく。強い光が雲を押しのけるように真っ直ぐ上に向かって伸びていく。
     やった、間に合った、塩湖の夜明けだ。




涙が出てきた。とうとう来たな、こんな遠くまで、よく来たものだ、と思うと泣けてきた。



アブラモに「外に出たいんだけど、いい?」と聞くと、「いいけど水が冷たいよ」。構わない、そのつもりで素足にサンダル履きでスタンばっていたのだ。

10センチ程も水が溜まっているか。ジャブジャブと塩水をはね上げながら湖面を歩く。



なんて美しい景色だろう。
嬉しくて黙ってしまう。皆 黙って朝日を見つめる。






寒いからと裸足になるのを躊躇う他のメンバーは車の上の荷台に登って朝日を見ていた。













フラミンゴが列になって飛んでいく姿が 美しすぎる。
音のない、風のない、境のない 広い広い景色の中で朝日を浴びていた。
          (クリック拡大で見て下さい)

      






アブラモが「そろそろ移動して 塩のホテル(兼美術館)で朝食にしよう」と言い ゆっくりそろそろと移動。湖面を車で走るのは大海原を渡る船とも違う感覚で実に不思議である。


現実とは思えない この世の物とは思えない 世界だった。

宇宙船かと錯覚する 塩のホテルの外観。(脇には車)




       これ以上願い様もないほど 完璧な日であった。


無風で正に鏡張りであった。

これ程までに美しい景色の中に溶け込んでいられる自分はなんと幸せなのだろう。

こんな景色、後にも先にもここ以外では見る事が出来ない。


   

     という訳で 鏡ばりを遊ぶ。   
     あっち向いたりこっち向いたり
     
     


                雲も綺麗だ。

        

        バスが普通に走っているのが たまらなくシュール。

        

           ウユニお決まりの鏡ばり撮影会開始。

        

          近くにいた日本勢に混ぜてもらって嬉しい奴豚。

          



   極めつけはこのポーズ。

      湖面に写った UYUNI の人文字。







          ウユニの雨期、、、言葉にならない。






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