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     身も縮む 寿命も縮む UYUNI - TUPIZA Road

ウユニ塩湖で素晴らしいひとときを過ごし 写真も何百枚も撮り気がすんで 昼食を取りにウユニの町へ引き返した。

ウユニの町というのは残念ながら長期滞在したくなるような場所ではない。ウユニ塩湖観光の為に十分な施設が整っているというだけで それ以外何の用事も見るところもない。


 ので、ツアーの〆の昼食を採ったら 早速次の町へ移動することにした。
丁度 四駆車でその町へ向かうというグループが二席空いたから同乗してよいと言ってくれたので、急いで昼食を済ませ、ツアーメンバーに手短かに別れを告げ そそくさと急いで待ち合わせ場所へ向かったのだが。。。  

    言われた場所には もうすでに彼等の姿はなかった。。。


  。。。脱力。。。 

せっかくいい話だと思って乗ったのに。。。なんだよ。
先に行ってしまったらしい。いい加減。  それとも我々が遅かったのか? 

どちらにせよ、乗り合い四駆車を探さねばならぬ。
奴豚が頑張って交渉し なんとか2時間後に出発する一台を確保。

15時半に英国人女性二人をピックアップして出発するというので気長に待った。
次の町TUPIZA(トゥピザ)へは 四駆車で6時間、夜行バスだと8時間と言われている。むろん四駆車はバスより高いが夜を待たずに出発出来るし速い。


15時半 ウユニツアーから戻った英国人の若い女性二人を迎えに行き 運転手フランクリンと我々4人でトゥピザへ向け出発した。


     トゥピザまで207キロメートル。

     5時間程度で着くかな? と 思った我々4人は 甘かった。。。



      

美しい景色を四駆車は進む。
運転手フランクリンは29歳。英国女性は二人とも30歳。
互いに自己紹介して 片言のスペイン語で会話も弾む。
英国人のうち一人がスペイン語を話すので通訳してもらい 和気あいあいであった。


土の路面は雨で削られている。ガタゴト道を最初は快調に飛ばしていた。英国人の二人も仮眠して、我々がフランクリンが居眠りしないよう見張っていた。

運転手フランクリンが軽食休憩。と、どうも食事と共にビールを飲んでいるようではないか。。。 いやな予感。

     その後の道中は4人で彼をキビシく見張ろうと決めた。


スペイン語の出来る一人が助手席に座り、絶えず運転手フランクリンに話しかける。我々も後ろからラジオに合わせて歌ったり手拍子したり、景色の話や音楽、趣味、家族の話、思いつく限りの話題を持ち出して頑張っていた。




だんだんと景色が変わってきたのはその頃。...

高い高い山の中、道は細くなり まわりはどこも断崖絶壁である。

ドア1枚隔てて 窓から下には何もない。。。

怖くて覗き込むことはおろか、首を1ミリだって動かすことすら出来ない。ほんの少し動いただけで重心が傾いて谷底に落ちるんじゃなかろうかと思うと 身体を固くし 何かを必死につかんでいないと生きた心地がしなかった。手のひらは汗でぐっしょり。

絶景だが 写真を撮るという余裕などなかった。

いくつもの山を上り下り。上りも下りも同じように怖い。
     対向車が来たらどうすんだ? 

フランクリンが運転中、度々谷を覗き込んでいる。
谷底に車が落ちているのが見えるんだそうだ。

     そんなもん、怖くて覗けないぞ!


やれ 下ってきたぞ 川だと思うと、フランクリン自ら車を止めて 川の水で顔を洗っている。流石に往復は疲れるらしい。朝、既に逆のトゥピザーウユニ間を走っているのだ。彼だって事故る訳にはいかない。我々が話しかけているのが嬉しいらしく機嫌は良い。

日が暮れてきた。「大丈夫か?眠くないか?」と問うと「大丈夫」という。夜9時前には着けるだろうと言う。

また険しい山に入った。夕焼けの中 どんどん暗くなる山道。
断崖絶壁が見えなくなると こちらの肝も座ってきた。
『死ぬときゃ死ぬんだ。いや、ここではまだ死にたくない。。』
どうか頼むからトゥピザまで無事連れて行ってくれよ~。

対向車が来た。こんな漆黒の夜に大型バスだ。ひえぇ~。ボリビアでは決してバスには乗らぬと四人で硬く誓った。どうやってあの崩れ落ちた断崖絶壁を回って行くんだ? 対向車とどうやってすれ違うのだ? 何台もくるぞ。すれ違い場所を探して何度もバックするフランクリン。バックも怖いよ。。


もうフランクリンに語る話題が尽きてしまった。
元気だった英国人二人も恐怖で疲れ切ってしまい無言で前を見据えている。
奴豚が助手席を交代し、時々フランクリンを突つく事にした。「起きてる?寝るなよ」と突くと「大丈夫」と答える。


Tupizaまで20キロメートル。やっと道幅が広くなり家の灯りがチラチラと見えはじめた。掌の冷汗をズボンになすりつける。

無事、Tupizaに到着。フランクリンに抱きついて感謝したい気持ちもあったがやめておいた。
約束の1人80ボリビアーノ(約千円)を支払い、もちろんビールで無事を祝った四人であった。


後日思い返せば素晴らしい経験であった。が、二度と御免だな。



2013年は 今のところよく走っている。かなりの距離を走っているはずだが いつまでたってもシンドイ。

それに比べ 奴豚は身体が軽くて軽くてと連日長距離もへっちゃらのぱいである。。。



      

Tupizaには六泊したが 毎朝走った。
北へ 南へ 町の中心から線路を伝って町を後にすると 景色はこんな感じである。



まだ涼しい午前7時、

こんな出で立ちで走りに出る。

後ろに携えた刀ならぬ棒っきれ? これは意地悪い犬対策の護身棒。
走っていると恐ろしい形相で追っかけられ吠えたてられるので。。。
石も握って走る。襲ってこようとしたら本気で投げる。
狂犬病を思うと、噛まれる訳にはいかない。




高度3千メートル。
平地は楽に走れるようになったが 上りはかなり負荷を感じる。

何故か奴豚は平気のへーざ。
心臓とか肺機能とか 違うのかな???



      

南へ線路を辿って行くと こんないい感じの平坦なコース。

水汲みの手伝いをしている小さな子供達とすれ違う。
随分離れた川から重そうなバケツを姉妹でうんしょうんしょと運んで行く。

        

平坦を楽しく走りたい牛美の気持ちとは裏腹に、奴豚は山坂を上り下り、道無き道を走りたくて仕方ない。

ついて走ると思わぬ場所に連れて行かれることになる。。。

      

いくつも丘を越え ぜ~は~と必死につき合って奥地の村へ着いた。
片道約10キロ。

帰路、同じ丘を登りきれずギブアップなり。
心臓パクパク、みぞおちも脇腹も股の筋肉も痛い。
珍しい事である。
奴豚は先へ行っては様子見に戻ってくるから余計に走っているが元気そのもの。

悔しい。。。もうマラソンやめようと真剣に思った。。




2月はカーニバルシーズンだ。

ブラジル・リオもそうだが、ここボリビアではORUROオルロという町で一大イベントが延々四日間繰り広げられる。

          行きたい気持ち半分、避けたい気持ち半分…

人混みは避けたいのだ。カーニバルは見てみたいが、カーニバル週末の尋常ではない宿の値上げ作戦にはNOと言いたい。最低三泊以上の滞在で、一泊料金がUS$150は異常だ。ましてボリビアで…。

ウユニ/トゥピザ恐怖の四駆ロードから共に生還した(大袈裟な。。。)英国人二人と「どうする?行く?」と相談しながらネットで安い 物件を探してみたが、最安値は三泊で$240であった。

    行くのは、やめよう。
        その代わりスクレ”SUCRE"の町でカーニバルを見ることにした。




カーニバルの前週末、ここトゥピザでも カーニバルのリハーサルが行われた。

リハーサルなのに本番同様の熱の入った立派な踊りっぷりで、『オルロへ行かずとも もう、これで充分じゃないか?』と思う程であった。


昨夜からの雨で路面はドロドロ。時々降ったり止んだりだが、お陰で涼しくて踊るには良かったかもしれぬ。。。
      


   。。。 と言うのも、踊るというよりジョギングしている感じだ。
小走りに走っている。男女入れ替わり右へ左へ回って、前へ後ろへ、ぐるぐる回って、年配が多いのには恐れ入った。

      

  踊っている人達に 沿道の皆が水をかける。

遠慮なしに じゃんじゃんかける。もちろんこちらにも飛んでくる。
互いにびしょ濡れである。

最近は水がわりにパーティースプレーが主流で、色とりどりの泡のスプレーをこれでもかというほど身体中にまかれる。

いやはや。。。

      

でも とても楽しかった。

これでリハーサルなら、本番はどんなんだ???!!!



ボリビアでは今のところ、どの町でも日本のお下がりのマイクロバス達に出会う。

多いのは スイミングスクール、旅館、ドライビングスクール。
日本全国制覇出来そうな程、各都道府県から海を越え南半球へ来ている。


      
    




2月6日。


世界で一番高度が高い "人が住む都市 "として有名なポトシへ。

トゥピザのバスターミナルで 乗り合いタクシーを探す。

ボリビアでは 出来る限りバスは避けると決めた。

実は、昨日 バス事故の現場を目撃したのだ。9名死亡、17名重体。

目の当たりにすると余計にバスへの拒否反応が出る。事故現場はトゥピザのすぐ町外れで、走りに出た際、人だかりが出来ていたので何かと思ったら後部が崩れたバスが道脇に止められていた。
後で知ったのだが横転したらしい。ニュースでも何がどうなったのか、原因がわからないと報じられていたそうだ。
今年はやけにバス事故が多いとボリビアに駐在する人が言っている。

と言うわけで、乗り合いタクシーと交渉すること1時間。
我々の他にローカル男性の三人では値段が高過ぎるので、あと二人、丁度現れた仏人夫婦を誘って合計五人で値段交渉がまとまり出発。

途中、道端でお婆ちゃんを拾い、その後も太っちょの叔母ちゃんを拾いながら、小さな村落を抜け、休憩を挟み5時間程でポトシへ着いた。
ボリビアの長距離乗り合いタクシーは運転手と乗客の共同作業である。
運転手が居眠りしないようにと乗客も寝ずに頑張って運転手を盛上げるので目的地へ着く頃には疲れる。。。それとも外国人が心配性なだけか?

すっかり車内で打ち解けた仏人夫婦と夕食を共にし旅の情報交換。またフランス語攻めかぁ。。。


ポトシは土砂降り、極寒だった。

冬服を出してババシャツにタイツ、フリースに厚手のジャケットを着込む。部屋も寒く夜はシビアに冷えた。
ほとんど何処も見ずに宿に戻ってネットして寝た。



翌日、2月7日。

雨が止んだので町を散策。
ふと見回せば隣の小高い山には雪が積もっている。

気温は東京と同じであった
明日の予報は最低気温零下三度。

一気に冬。シンシンと冷える。



    

高度は4060メートル。上り坂や階段は少々息切れがするが、もう身体はすっかり順応したようで、ワインを飲んでもへっちゃらだ。(ビールもね)

ポトシはかつて銀山で栄えた町。スペイン統治時代はこの山の銀がどれほどスペインを豊かにしたことだろう。
今はもう銀は採れない、が、主産業は鉱業だ。一時採れていた錫ももう今では枯渇しているらしいが、今だに昔ながらの原始的かつ過酷な方法と劣悪な環境のなか、安賃金で働く多くの炭坑夫がいる。

灰色の空の下、余計に暗い町に思えてしまった。

  


世界遺産の街並みとはいえ、二泊だけして 次なる町、ボリビア第二の都市スクレSUCREへ向かうことにした。




寒いポトシをそそくさとあとにし、タクシーでスクレの町へ向かう。
バスも走っているが乗り合いタクシーならば2時間半程度。三人以上で割り勘すればひとり15ボリビアーノ(200円程度)。ドアーto ドアーで雨に濡れる事なく楽にスクレ着。

Sucreスクレはボリビア第二の都市。

白壁、コロニアル様式、ユネスコ世界遺産の街並みがチャーミング、綺麗な町だ。
        


ここでカーニバルの四日間を過ごすのである。



ウユニからトゥピザへ一緒に旅した英国人女子達は一足先にポトシ入りしたのだが、1人が高山病にかかり一晩入院したそうな。高山病も重度になると低地へ移動する以外対処方法はない。ので 退院してその足でスクレへ移動したとメールで連絡があった。果たして回復しただろうか。。。



スクレの宿はフランス領事館内にある部屋を予約していた。
領事館が宿を営んでいるのか? 面白そう。

                

タクシーで領事館に横付け。フランスの国旗がはためき、ちゃんと領事館と書いてある。
これほど安全な住まいは他にないだろう。

後で知ったのだが、元々ホステルを営んでいたフランス人が、政府から頼まれて領事館の仕事をボランティアで引き受けているという面白い実態であった。領事館としてはそれほど忙しくはないのであろう。

実際そこには一泊だけして引越ししたのだが ベッドは心地良く羽根布団も気持ち良かった。建物は古いが。。。興味ある方は こちらを参照。
何故 引越したかと言うと ネット接続状況が良くなかったからである。
引越し先は 宿主が自ら薦めてくれた ホステルだった。
ドルチェビータDolce Vitaという宿の我々の部屋は20畳程もあり、広々快適な場所だったのだが、生憎南京虫がベッドに潜んでいたようである。。。首と顎を刺され、人相がちょいと変わったのであった…




さて、カーニバル。

金曜の夕方は 楽団を引き連れた団体が いくつも町を練り歩いていたが、これと言ってカーニバルの感じはなかった。

土曜。午前11時ごろから中央広場の周りでダンスが見られると言うので行ってみた。各チームに分かれて着飾ったグループが踊り歌いながらのんびり行進していた。

      

         

      

次々とくるわけではなく間が空くので待ちくたびれる。人垣をかき分け、背伸びして 見ていたが、カーニバルクイーンの登場で終了した。

      


約2時間程のイベントだった。
その後は、水かけ合戦。


日曜日も月曜日も火曜日もずっとずーーっと水かけ合戦。
練り歩く楽団に向かって集中砲火ならぬ集中放水。

風船に水を詰めた水爆弾の投げ合い、ハイテク水鉄砲、旧式バケツも登場で誰彼かまわず水を掛け合うのがスクレの祭りであった。
老若男女、町民総出の水かけ合戦。おばあちゃんまで割烹着の下に隠した水爆弾をシュパッと投げてくる。
誰一人怒ったり泣いたりする者はいない。


だもんで、外出時は雨具で防御し、水爆弾をよけ応戦しながら。
これが結構面白くて 一度濡れると根性も座って 進んで戦地に赴くのであった。気温低くずぶ濡れになると寒い。
高山病から回復した英国人二人娘達と一緒に連合軍でボリビア勢と渡り合った。


      


。。。が、二日目、三日目ともなると飽きて、最終日は外出すらせずであった。
楽団と共に練り歩く人達も酔いが回ってきたようだが、終日ぐるぐると町を回っていた。


          



カーニバル中は店も閉まり、買い置きしておいた食材で自炊して 宿でネットしたり旅程を練ったりしていた。





ポトシは雨で寒く高度も高い事もあって、丸二日 ジョギングは休んだ。


スクレに来て 翌日から朝のうち、まだカーニバルの水かけ合戦が始まる前に走った。

スクレ市街は綺麗なコースが見つけられず、ゴミが散乱する市街地を走ってみた。
が、野良犬が沢山いる。縄張り意識が強く数匹で挑まれると流石に棒切れと石ころでは心許ない。集団の犬を見つけると走るのは止め 距離を置いて やり過ごすことにする。


走って坂を登るのは相変わらずキツイ。ポトシより低いが2900メートルの高台である。
こうやってボリビアで走ることが のちに心拍機能強化として役立つだろうか。。。 トレーニングと呼べるほどのことはしていないが、本番で楽しく走る為には 多少のキツさくらいなんだ。(…と豪語してみたが…)




ゴミ溜め(スクレの皆さん、すみません)ばかりを縫って走るんじゃモチベーションも下がるので、展望台へ登ろう!と奴豚に提案。自ら山を駆け登るコースを選ぶとは、オヌシなかなかやるのう。。。ってか?

       

ミラドー(展望台)は町のすぐ外れ、小高い丘の上だが 辿り着くまで 息が上がる。




途中 犬の集団に会い 道を譲った。

囲まれたら勝ち目なさそうだったのだ。




   展望台てっぺんにはお決まりのキリスト様。




  スクレで唯一、このコースは景色抜群だった。 満足。








中華新年を祝って昼食に中華系食堂へ行き定食を頼んだところ。。。

見事に中華らしきスープが登場して 少々面食らう。







 食後 近所のケーキ屋でテイクアウトを頼むと、

   紙皿に乗せたケーキに ズブリとスプーンを刺してくれ、

     このままお持ち帰りなり。




スクレでは観光らしい事はなにもせず。
元々カーニバルで皆閉まっていた。空いているのは宿屋とスーパー(時間短縮)と観光客目当てのカフェが数軒。

水かけ合戦に疲れると 外国人旅行者はほぼ同じカフェに集う。馴染みの顔がちらほら、皆、びしょ濡れでビールを飲んでいる。
ビールはフアリHuariブランドが味わいがあって旨い。ポトシナブランドは薄過ぎだな。

ボリビア産ワインもなかなか捨てたものじゃない。トゥピザでも連日ワイン屋に通った。1本 300円から500円、とても美味しい。



四日間のスクレカーニバルも終了し、水曜の朝 道は綺麗に掃除され 何事もなかったかのように皆乗合バスで仕事へと向かう。
カーニバル中ウィンドーガラスが割られないように貼り付けてあった囲いや覆いのベニヤ板を外し店を開ける人々。静かだ。祭りによって憑き物が落ちた感じ。
どの国民も、祭りで羽目を外し日常を離れ 色んなものを発散したり流したりするんだなぁと町の様子を見ながら、我々は空港へと向かった。


カーニバル前日に町の旅行社で、スクレからラパスへのアマゾネスエアー便の席を購入しておいた。
チェックインカウンターで荷物を預ける。他の客が次々搭乗口へ向かう間、我々はやけに待たされていた。

     「???」 が  『嫌な予感』  へと変わった頃に、、、

案の定 予約が確認出来ない と言う。 おまけに満席で今日は搭乗不可能、明日も満席って どうゆうことよ?!!!  まてよ、怒る前に冷静に話し合おうじゃないか。

発券した旅行社に連絡取ってもらう。ともかくスペイン語でまくしたてられても我等には解らん。誤解かもしれぬ。旅行社と空港マネージャーが電話口で激しく言い合いしている。互いに自社には非がないことを主張しているようだ。
  アマゾネスエアーの言い分はこうだ。「コンピューター上で予約が確認できないのでチケットを持っていても既に満席の便に乗せることは不可能」
  こちらの主張は「アマゾネスエアーの予約サイトで購入し、支払いも済んでおりリコンファームも済んでいるのに予約がないというのは御宅のシステムミスだ」

       どうやら我々だけではなく 他にも二人待たされていた。

        飛行機は準備が整い 我々以外の乗客はすでに搭乗。

その時 チケットを購入した旅行社の担当者がカウンターに来てくれた。その手には 搭乗券が握られていた。ラパス本社に電話で掛け合ったのだそうだ。飛行機には空席がある。何らかの理由で乗客数を制限しているらしい。我々を乗せるか否かは機長の判断に委ねられたそうだ。本社からは乗せるよう指示が出ているようである。

かなーり待たされてからOKが出て機上の人達になる。
機内には空席が目立った。気圧のせいで重量に制限があるのだろう?
最悪の場合、14時間かけてバスでラパス行きを覚悟していたが、飛行機はたったの40分で世界で一番高度の高い(国際空港)ラパス空港へ着陸した。




 注)ラパス空港:世界最高標高の国際空港。標高4,000メートルを越す位置にあり、酸素濃度が薄くエンジンの燃焼効率、翼の揚力発生能力が低下するため、大型機でも離陸時に充分な加速が得られ、着陸時も安全な速度が維持できるようボリビア国内で唯一4,000メートルの滑走路を有している。
(wikipediaから抜粋)




      ラパス La Paz、 Oh、La Paz  ラパス !!!

ラパス。 他と比較のしようがないラパスの街並。 なんて心揺さぶる 光景だろう。

何の情報もなく 軽い気持ちで来たみたところ、空港から町へ向かう景色の例えようの無い衝撃。





     すり鉢状。

   すり鉢の縁の上まで家々が連なっている。




      中心地はすり鉢の中心部。

      最も低い部分には高層ビル。








   眺めていても見飽きる事がない。
     レンガ色の家々が綺麗だ。
  宣伝や看板がないせいでもある。




ラパスへ来た一番の理由はハッシュランである。


世界で一番標高の高い首都ラパスのハッシュは HHHH(Hが4つ)と呼ばれている。

通常は HHH(或はH3): Hash House Harriers の頭文字を取ったものである。

ラパスは HHHH : Highest Hash House Harriers で Hが4つなのである。

隔週開催のハッシュに合わせてラパスに来たのだ。


実は 3月10日に第一回ラパスマラソンが開催されることになった。
世界一標高の高い首都での栄えある第一回シティーマラソンである。
  走りたくないわけがない。。。  が、 知った時期が遅過ぎた。
3月11日ペルーのリマ発の航空券を購入済みで変更不可。
ラン航空に聞いてみたが、出発地及び出発日の変更は不可のチケットである。残念だが出走は諦めた。

  因に 興味のある方に:参加無料で 今からでも参加可能である。
スタートから13キロメートルは上り、その後は下りのコースだそうだ。高所で心臓破りの坂を経験したい方にはもってこいのレースである。詳細はこちらから
どうぞ




さて、我々はハッシュラン。

ラパスの宿はAir B&B。広々した寝室が3つもあるアパートで快適だ。宿主の娘さんがハッシャーだと言う。なので一緒に出掛けた。

土曜の午後 待ち合わせ場所で待つ事20分。ボリビア人はのんびりである。
ゾナスール(南側にある町)から車でさらに“月の谷”方面へ上がって行った所がスタートであった。
   
約20名程、男性は若手ランナーが多く、ついて行こうと頑張ってはみたが。。。離されはしたが女子ではトップ。

約7キロのコースは 多彩な路面に面白いアップダウン。月の谷の横を抜けて とても楽しいコース取りだった。

      

      

      

      



     メンバーのハッシュ名 命名式もあって。。。

        


         会合の後は バーベキュー。

     


  ラパスは治安も良く、暗くなってもさほど心配せず 無事帰宅なり。

ラパスには親日家が多く、日本語を話す人が数名。日本の文化にもとても興味を持ってくれている。ラパス郊外には日本人のコミュニティーがあるそうだ。知らなかった。




ラパスには "death road"(直訳すると死の道)と呼ばれる山路がある。

雨季にはぬかるんだ道が崩れて 車が谷へ落ちたり、怖いもの知らずのバイカーやチャリダーがブレーキをかける事なくカーブを曲がりきれずに谷底へ落ちたりと、死亡事故が跡を絶たないことで有名だ。

ここをマウンテンバイクで駆け下りるツアーは観光客に人気である。
流石のボリビア政府も事故防止の為に、最近は車を制限し、バイク用に時間を分けたり、別に路を作ったりして、以前よりは安全のようだ。要は、スピードを出さなければ危険はないのであるが。。。


ここを奴豚が走りに行った。バイクではなくランニングである。
ハッシュランで知り合った現地在住ランナーと三人で夜明け前に出て行った。
車で2時間程行った山の上から 死の道はスタートする。




山の上は雪が残るところあり。




      

          山の中腹に刻まれた路。

        

本来のDeath Road は上部の舗装路を含め60キロメートル程度だが、奴豚達三人は舗装路はさけて、未舗装路が始まる地点から約37キロメートルのダウンヒルを駆け下りる。

      






ここで亡くなった人達の墓もある。








      

雨季で滝の水は豊富だ。
いたるところに滝。いいお湿りをいくつもいくつも越えて行く。


何故 牛美は行かなかったか。。。?

ダウンヒルコースと聞いて行きたくないはずはなかった。
が、せっかく男性三人でさっそうと駆け抜ける邪魔になるような気がして遠慮した。標高の高い37キロをきっちり走れる自信がなかった。残念。自分の力に不安があるのだから仕方ない。ぐっと我慢の一日だった。トレーニングを積むしかこの悔しさを晴らす方法はない。



ラパスが気に入り7泊を8泊に延長。

Air BnBの家主ファリニャとその母マリアはとても親切で、昼食に招いてくれたりマーケットへ連れて行ってくれたりだ。
木曜と日曜に空港付近で開催される青空マーケットは広さで言えば世界最大の規模だそうだ。
ゴミのような物から中古、新品、生き物(鳥や牛や馬等)、バスまで、無い物はない勢いで何でも売っている。スリが多いから手ぶらで行け、腕時計も外せと指示され用心して行ったが、何の問題もなく、以前訪れた他国のマーケットより安全であった。

息子さんが日本人と結婚式をあげお嫁さん共々日本から戻ってくるとあって、迎える準備で忙しそうだが、日本語を話す父上も皆、家族揃って親日家。
ボリビアには親日家が多い。顔も似ているような気がする。ますます親近感が湧く。



ボリビアのビザは30日間。切れる前にペルーへ向け移動するのだが、チチカカ湖を通って行くのだ。

というわけで、次なる目的地はコパカバーナ

コパカバーナと聞いてブラジルを思い浮かべる人は(自分も含めて)勉強が足らんのである。

コパカバーナの地名のオリジナルはここボリビアなのである。
チチカカ湖に面し、山に囲まれ大変美しい町だ。

コパカバーナとはボリビアのアイマラ語で「宝石の展望台、湖の眺め」の意味。
インカ文明発祥の地:太陽の島のあるチチカカ湖である。

標高3800メートル。ラパスより少し低い。
湖畔でトレーニングに励む予定である。




チチカカ湖に面する町、コパカバーナ。


チチカカ湖を見るならペルー側のプーノ(PUNO)よりもボリビア側のコパカバーナがお勧めである。
青さが違う。夕陽が美しい。町が綺麗だ。断然コパカバーナ。

ラパスからバス。ボリビアで初バスである。が、普通に舗装路で何の心配もなく約3時間で到着した。

途中 短い海峡を渡る。
乗客はフェリー、バスはバス専用渡しで。





コパカバーナは小さな町。町の中心は観光客ばかりである。治安良く安全。何の心配もいらない。

      



          ここで四日間、せっせと走るのである。







  コパカバーナの小高い山の上には
     かなり大きな十字架が建っている。




下の写真はその展望台から町の南側を見下ろした景色。

初日はここをずっとずっと突端方面へ向けてスロージョグ。のどかだ…
標高は3840メートル。相変わらず富士山より高い。


        



チチカカ湖は鱒(トルーチャ)でも有名。

町のレストランは軒並み 鱒料理を提供とあって 我々も久しぶりに魚にありつく事が出来た。ほぼ毎食 鱒。

料理方法は揚物かフライパンで焼くしかなかったが、焼いた物にレモンをかけて食べるのが最もシンプル。腹にほうれん草とニンニクを詰めて焼いたのも鱒の泥臭さが隠されて美味しかった。湖で養殖しているんだろうな、きっと。

消化具合がチョット心配だったが、鱒料理は問題なく、かえってピザを食べた翌日の方が不調であった。



チチカカ湖に浮かぶ「太陽の島」へ走りに行った。

スローボートで2時間もかかる。
すぐそこに見えているのに。。。
北側の港から 眺めの良いトレイルを南側の港へ向け走る。
(トレイルによって差があるが直線コースならば8キロ程度)




     

太陽をいっぱいに浴びて とびっきりの晴天。太陽の島というだけある。サンサンと降り注ぐ陽の音が聞こえてきそうなほど。


      



インカ文明がここで生まれ 広がって行った、歴史的にも重要な遺跡が残されているらしいが、我々は資料館は素通りし、帰りの船の時間に間に合うよう さっさと走り出した。


      


途中の村落で通行料を取られるのには面食らったが。。
各村落でちょっとずつ徴収されるなんて知らんがな。


      

というわけで関所を避けたコースを取った。

途中で脇道へもそれ、総走行距離は14キロメートル。
地元の人達とも交流して、実に気持ちの良い楽しいトレイルだった。



      


     のどかで平和で静かで優しく美しい島。  Isla del Sol





2月25日。


コパカバーナを朝9時のバスで出発。楽しかった ボリビアに別れを告げる日。

2キロ先はペルーの国境。

バスに大きな荷物を残し 徒歩で国境を越える。
まずはボリビア側で出国スタンプを貰い、400メートル先のペルーの入国管理窓口で何ひとつ質問されず、荷物のチェックもなくスタンプを貰って完了なり。簡単。。。ペルーに入国して時計を1時間戻す。

バスに戻り PUNO プーノまで 約3時間弱。
PUNO プーノの町はバスの車窓から見た限りでは良い印象はなかった。
バスターミナルでバスを乗換えて その足でペルー第二の都市 Arequipa アレキパへ向かった。

道中の景色は広い大地と緑豊富で綺麗だったが アレキパに近づくにつれ霧が張り出し視界ゼロに。バスは大幅にスピードを落とし アレキパ到着は夜になってしまった。
車内で一緒だった英国人とドイツ人男性とタクシーを割り勘して町の中心地へスムーズに移動し予約してあった宿へ。

久しぶりにバスに10時間も乗ったら 疲れた。。。



AREQUIPA アレキパの町はクスコによく似ていた。

南米の町は何処もそうだが 立派な教会の隣に中央広場があり、それを中心に町が広がっている。
第二の都市 と聞くと ビルが連立する大都会かと想像していたが、スペイン風の古い建物がとてもチャーミングな美しい町である。
一目で気に入った。居心地も良い。中央広場の周りは治安も良く夜のそぞろ歩きも楽しい。

三つの火山が町のすぐ隣にそびえていて 壮観。ひとつは富士山に似ている。見事な景色。いい意味で期待を裏切ってくれた町。

宿も快適、ネットも快適、長居したくなる町だ。



アレキパで を探していた。


小パックにつけていたダイアル番号合わせタイプでTSA(アメリカ運輸保安局)認定の高級品だったのにワイヤーがプチンと切れた。

           安宿・安旅に鍵は必須である。

で、相当数の店を当たってみたが欲しい鍵は見つからなかった。

そもそもダイアル番号合わせ式の鍵がない。
スペイン語で何と言うのかも分からなかったが、鍵屋で鍵を指差し「番号のヤツ」と手振りで説明したら直ぐわかってくれた。
牛美はいつもジェスチャーである。これが自分で言うのも何だが 的を得ていてまず100%解ってもらえる。ジェスチャーゲーム大会に出場したらば、高得点を獲得出来ると思う。。。


   話を戻そう。

この番号合わせ鍵をスペイン語(と言うか、ラテン語)で何と言うかだが、「コンクラーべ」なんだそうだ。面白くない? 番号合わせの「根くらべ」。


そういえば 「ダビンチコード」にも出てきたな、コンクラーべ。
確かローマ法王を決める教皇選挙だったか何かで、長引くと三日もシスティナ礼拝堂に籠もる、これもかなりの根くらべ大会の意味合いがあった気がする。


正にそのコンクラーべが開催されんとしているわけだな、バティカンでは。



教会つながりでもうひと話題。

アレキパには素晴らしい修道院があるので見学に行った。

      

長い歴史のある由緒正しき修道院。

現在でも30名ほどがひっそりとここで暮らし、祈りを捧げているという。

     

美しい回廊がいくつもあり中庭、菜園、墓地、台所、かつて歴代の修道女達が暮らしていた部屋も公開されている。

          写真上の中央は 洗濯場     右は 質素な部屋。

    ベッドと祈りを捧げるスペース。身の回りのものを保管する箱一個と椅子。
我々は 物に囲まれて、物に埋もれて日々の暮らしをおくっているが、本当に必要なものはほんのわずかなのではないか。。。… と そんな事を思わせてくれた。



アレキパは長居したくなるいい町だが、アレキパを訪れる外国人旅行者のほぼ100%はコルカキャニオンCOLCA CANYONへ行くのが普通だ。


御多分に洩れず我々もコルカ渓谷へ向かった。

早朝のアレキパ郊外も走ってみたが 世界で最も深いという渓谷を駆け回りたいーというのが本音である。渓谷には数知れぬトレイルがある。

コンドルの生息地としても有名だ。コンドルが舞う渓谷を何処までも何処までも走って行こうじゃないか。


午前3時、迎えのマイクロバスに乗る。
市内を回って集客し、バスは渓谷へ向け出発した。

渓谷入り口の村まで約4時間弱。25分の朝食休憩の後、コンドルが多く見られるという展望台へとさらに渓谷の奥へ入って行く。

雨季の今は、なかなか巣から出てこないらしいが、見ることが出来るか? 渓谷を舞うコンドル達。
朝のうちがいいらしく、展望台にはスズナリの人人。。


   あ、いた。

        
      飛んでる。。。        音もたてず悠々と。。。



コンドルの美しさは サイズも立派だが、羽ばたきする事なく舞う美しさにあると思う。


      

一羽だけだったが 姿を見ることが出来た。






バスはさらに渓谷の奥のちっぽけな村へ。
ここが我々の目的地。

カバナコンデ Cabanaconde 村で下ろしてもらった。



 窓からの景色(拡大クリック可能)
 ブリキ屋根の掘ったて小屋ばかり。



  山小屋に毛が生えた程度の簡素な宿は連日の雨で湿って寒かった。
    隣の庭には子豚と足を怪我した黒い子ヤギ、白山羊二頭。
      早朝から雄鶏がしつこく朝を告げてくれる。




早速、翌朝走りに出る。村を出て振り返ると霧が村を飲み込み始めていた。
       


コンドルの展望台から村まで16キロメートル。
ほぼダウンヒルを駆け下りてきたが、途中で霧に覆われて何も見えなくなってしまった。

霧の中から馬や牛やロバが走り出てくるのを追いながら避けながら 村へ走って戻った。







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