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バリにて想う


     数年で変わった事は 外国人が増えたという事か。


観光客ではなく住み着いている外国人のことだ。

その為、彼等用の店が大量に増え輸入品が豊富になり 結果、物価が上がった。
それでも外からの人にはまだ価格は安めで暮らしは豊かに思えるだろうが、その分ローカルの生活レベルは爆弾事件以来悪くなったままなのに物価上昇でキツい暮らしぶりになっているようだ。
確かにあの事件以来観光客が減った。ホテルにも客はまばら。。。観光業に携わる人々は暮らしを維持するのでさえ大変である。倒産、失業。(これはどこでも同じであろうが。。)

だが、通りで物乞いする人はただ1人としていない。
持てる人は持てない人に施すーーー という バリ精神の御陰か。。
なんとか食べて生きていくことは出来るようだ。

この「生きていく」。。。という言葉は
    バリでは深い意味
がある。


命を神から与えられこの島に産まれた人達は、朝日と共に起き 自分に与えられた人生を文句言うでもなし、しゃかりきに働くでもなし、他人より良い暮らし、良い学歴、良い職を求めるでもなく、自分に与えられた環境の中で それを受け止め抗わず、あるがままに繰り返し繰り返し続けて行く。。。 神を敬いセレモニーとオファリング(神に捧げる儀式)を欠かさない。バリのカレンダーは日々何かのセレモニーで埋まっている。
生を祝い、死を祝う。 命を全うした者へ その死を嘆くではなく、土に還る事を祝う。




生きるーーー というのはこうゆうことなのかもしれんなぁ~と静かに思うバリの日々。



   が、、、欲はないのか?
      本当にあるがままでいいのか?
         心の底では、豊かな暮らしを求めていないか?
            学びたい、とか 知りたいとか、自分にない物を持つ他人を妬むとか。。。 それとも 諦めなのか???
外国人の集まるナイトクラブがターゲットにされたのは一部それらの疑問に答える事になるのではないか。

バリにて想うのはきまってそんな複雑でごっちゃなイメージだ。


外の国を訪れるということは、現地の人々の習慣、宗教を尊重し、その環境の中に自らを置いて、見つめてみるという事だと、バリにて想う。



本日の写真は全て我がボロ屋の庭。神に祈りを捧げる静かな朝。
(管理をしてくれているKT氏)


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