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12月4日

DAY15:ナムチェータモーナムチェ 宿泊先:ホテルチベット

パンボチェ朝7時の室内気温 ➖1℃、テンボチェ夜の室内気温1℃、ナムチェに来て夜の室内気温12℃と一気に住環境が快適になった。ナムチェ 暖かいよーー。湯たんぽが必要ないどころか毛布もはいでしまったほどだ。
暖かいって幸せ! 乾燥し過ぎだが、湿って寒いのの なん万倍も幸せだ。

我が宿のホテルチベットは食事は少し高めだが料理の味も良く清潔で快適である。
ここいらの宿は一泊ひと部屋200〜400ルピー。安い分食事代で稼ぐのだ。



寝坊し 10時半過ぎ、西のタモTHAMOという村までショートトレックに行った。
気持ち良い片道1時間40分の散歩。静かでのんびりした村だ。

DSC09821 copy花ざかりのテラスで昼食にスープを頼んだ。

コックの親父さんが 毛糸を紡ぐ手を止めず 「どこから来たんだ?」と聞く。
日本」と答えると 実に流暢な日本語で話が始まったのだった。
流暢なんてもんじゃない、生まれながらの日本人レベルである。


DSC09834 copy彼、名はアンチェリン、58歳。タモ生まれのタモ育ち。

エベレストのキャンプ2で15年間コックを務めていたそうだ。キャンプ2ってベースキャンプのさらに上 高度6000メートルにある。その前は日本人経営あのエベレストヴューホテルで8年みっちりコック修行をした筋金入りの山料理人であった。親子丼もおにぎり、寿司 カツ丼なんでも作り、いまだに自分で梅干しを漬けている日本通。日本語もそこで学んだそうだ。



それどころではない、故・植村直己氏がエベレストに初めてアタックした時に同行したガイド/ポーターのひとりである。1970年の事だ。

最初のアタックは強風に阻まれ一旦断念、その際一緒にいたアンチェリン氏は 植村直己さんから「アンチェリンさん、駄目だ、戻ろう」と言われキャンプ2へ引き返した。キャンプ3へ留まった他の邦人1名は強風に飛ばされて来た氷の塊に当たって死亡、生存出来た2人のネパール人ガイドも両手足の指を凍傷でなくす事態だったそうだ。氷の塊がビュンビュン飛び交う凄まじい光景だったそうである。

その時かぶっていた白いヘルメットは 今、彼の居間の壁に掛かっている。誰に頼まれてもどんなに高額でも絶対に売らないと言っていた。


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62歳まで山に関わって仕事をしたら その後はここをロッジに改装して料理しながら暮らすんだ、と嬉しそうに語り、家の中、外のオーガニック菜園、自分の城であるキッチンと 祈りのための部屋を見せてくれた。
キッチンにはピッカピカに磨かれた大小の鍋釜が整然と並んでいた。



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庭で奥さんの淹れてくれたオーガニックミント茶をご馳走になり、日が傾き始めるまで話をしていたとてもいい午後だった。


ちなみに彼の息子さんはテレビで表彰される優秀なガイドに成長したそうだ。








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